お知らせ 第46回生涯学習フォーラム「この指とまれ」
註) 5月の「フォーラム」は第23回生涯学習実践研究交流会をもって代えるためお休みです。第46回フォーラムは6月の予定です。
● 日時: 平成16年6月19日(土)15時〜17時、のち「センター食堂にて夕食会」
● 場所: 福岡県立社会教育総合センター
● テーマ: 総合的生涯学習政策の構造と条件ー行政改革の中の生涯学習
● 事例発表者: 交渉中
● 参加論文:生涯学習の複合施策ー保育と教育の統合−介護と教育の統合(仮題)(三浦清一郎)
フォーラム終了後センター食堂にて「夕食会」(会費約600円)を企画しています。準備の関係上、事前参加申込みをお願い致します。(担当:朝比奈)092ー947ー3511まで
編集後記 国際感覚と危機管理ーイラク人質事件の72時間
"毎月「風の声」を出しているそうですね。大変ですね。"と知人から言われた。とにかく風評は正確には伝わらない。「風の便り」のネーミングなどはどうでもいいが、誘拐事件になればそうは行かない。テレビ時代はカメラマンがどのアングルから対象を捉えるのか、対象のどんな「声」を伝えるのか、解説者がどの視点でコメントをつけるのかによって「事件」は風評となって四散し、評価は大いに混乱する。今回のイラク人質事件程日本のマスコミ報道及びその世論形成機能に疑問を持ったことはない。状況を把握する国際感覚も危機管理意識も余りにもお粗末であった。以下は事件発生後72時間の「風の声」である。
1 「愚息」と「ふつつかな娘」の不始末を詫びよ
人質事件が発生して今日で3日。家人がテレビをつける度にどの局も同じ報道が流れる。誠に気分の悪い話である。人質家族の泣き言を報道し続けるメディアの気が知れない。報道に値しないという判断は局内に存在しないのか?事件の扱い方を見れば、メディアに代表される日本人の危機管理、日本人の国際感覚を疑わざるを得ない。現在の国際情勢において、イラクのような外国軍の占領下にある危険なところへ危険を知らずに行ったとすれば愚かとしか言い様がない。日本人外交官2名の殺害報道が全国を駆け回ったのはつい最近のことである。外交官は命令の故に行かざるを得なかったのである。今回は個人の判断による渡航である。それゆえ、危険を承知の上で行ったとすれば無知に輪をかけて愚かである。危険の代償は自分だけに留まらない。他の日本人も、政府も、株式市場もあらゆるものをトラブルに巻き込むことは目に見えている。しかも、人質になったあとでピーピー悲鳴を上げて政府が何もしてくれないなどと喚くのは家族も含めて救いようもなく愚かである。すべては覚悟の上のことではなかったのか?要はすべての状況判断、危機管理の覚悟が「甘い」上に、無責任なのである。テレビに登場する家族は、世間を騒がせ、市場を混乱させ、莫大な税金を費消させる「愚息」と「ふつつかな娘」の不始末を第一に詫びるべきである。
2 未来の日本人を危険に巻き込むな
報道に間違いがなければ、人質になった3人は行く先がイラクであることを承知で出かけている。新聞やテレビ報道に接しただけでも最近のイラクはその大部分が戦場であることは分るはずである。さらに少し注意して見聞きすれば、あの国がいまだ部族社会であり、社会を統括する法も秩序も存在しないに等しいことも明らかである。アメリカの統治に対する反発も激しい。国内の宗教対立も激しく、個々人が武器を所有している。自国で武器の所有を認めているアメリカでは「刀狩り」は出来ない。中でも危険なのは外国からイスラム原理主義者の多くが流入していることである。彼等の多くは外国人を歓迎せず、自らの正義を疑わず、その振る舞いは江戸末期に外国人を無差別に排斥した攘夷思想に似ている。要は、そこかしこに無法地帯が存在するのである。しかも、つい先頃までフセイン独裁下にあって国内のクルド人を虐殺したことも記憶に新しい。その虐殺に手をかした連中も今のイラクに何食わぬ顔をして暮らしているのである。状況が緊迫してくれば、日本人ボランティアの善意などが通じる筈はない。
誘拐犯テロリストの脅迫に対する政府の決断は正しい。無謀な個人の安全を守るために一国の政策を変更すれば、未来の日本人を世界中至る所で危険に曝すことになる。日本人を脅せば国策が変わるということを世界に宣言するに等しいからである。無謀にも危険地帯に出かけて人質になったことだけでも問題なのに、その家族が、国民への詫びを言うどころか、国の政策を変えよと要求するに至っては議論するにも値しない。メディアに登場して意見をいう一般市民にも国際感覚が欠如している。「自衛隊派遣」問題の是非とテロリストに脅されて国策を変更するか、否かの問題は根本的に異なる。危機管理に対する判断も甘い。すべてに日本人の税金が費消されていることの自覚も少ない。さすがに政治家の判断は市民より優れている。民主党は自衛隊派遣に反対であったが、政策と人質救出の必要を区別した対応は立派であった。テロリストの脅迫に屈服して金を払い、囚人まで解放したダッカ人質事件の二の舞いを演じてはならない。国内日本人の感情的な反応に外国で国際関係の仕事をしている日本人は誠に歯がゆい思いをしていることであろう。日本人をさらえば国家を揺さぶることができることを世界中にさらけだしたからである。愚かで、無謀なボランティアやフリージャーナリストのために「未来の日本人」を危険に巻き込んではならない。多くの柔な日本人感情を敵に廻したくないからであろうが、夏の選挙を控えて政治家ははっきりものを言わない。メディアおよびその愚かなコメンテーターの報道振りが日本人の「学習」の手本にならぬことを祈りたい。
3 「恥の文化」ではない
何よりもメディアが無責任で、甘い。この72時間、人質になった本人達の無謀と無責任を批判する意見を聞かない。無分別を止めなかった家族や周りは何をやっていたんだ、という批判も聞こえて来ない。政策を変えよと感情的に要求する家族に"何を言うか"、といった意見も聞かない。メディアが貧しいから、そのメディアが選別する一般日本人の発想やコメントも貧しいのであろう。九州の田舎の筆者のところまでは意見を聞きに来ない。事件がどのような結末を迎えるにせよ、「風の便り」52号が出る頃にはもう色褪せた話題になっているだろうが、一言書かなければ"腹ふくるるわざなれ"である。危険を認知せず、危険を回避せず、危険を承知で出かけた連中を批判しないということは、メディアの無責任に重なり、日本人の無責任に重なっている。中でも18歳の子どものイラク行きを止めなかった親が国の政策を変更せよ等ということをくり返し報道するメディアの感覚は地球時代に報道を担当する資格はない。
私の倅だったらまず全力で止める。全力で「行くな」と頼む。それでも制止を振り切って本人が行く場合はあるだろう。危険と無責任を承知で「ばか息子」がどうしても行くというのであれば、世間への詫びのために縁を切るしかない。当然、「すべての事故はお前の自己責任である」と因果を含める。メディアのインタビューが来たら、「周りの制止を振り切り、覚悟の上で行ったのだから、すべては本人の責任。お騒がせした上、御迷惑をお掛けして申し訳ない。放っておいていただいて結構です」というだろう。日本文化が「恥の文化」であるなどとは笑止の昨今である。
◆ (筆者注) ◆ 事件が無事解決して何よりであった。しかし、筆者の思いは、事件発生後72時間の感想と変わらない。邦人の救出が政府の責任であることは当然であるとしても、事件解決後、世論の7割が「自己責任」を問題にしていることも分かった。幾らかは安心したところである。人質もその家族も少しは己の甘さと無責任を思い知ったのか?助かったのは何よりのことだが、「お礼」よりは「お詫び」が先である。あれこれ言う前になぜ己の「不覚」と「不始末」を世間に深く詫びないのか?メディアの後追い解説の愚かさにも呆れ果てている。アメリカの国務長官に日本人の勇気が褒められたなどと愚かな理解をしているようだが、アメリカはイラクが世界から見捨てられたら困るのである。日本人を褒める形でイラクに留まる自国の兵士を鼓舞しているのである。
番組に登場したフリージャーナリストの言い分に相づちを打って、彼等が知る権利と報道の自由のために、敢えて危険を犯してイラクへ行ったなどと一面的な説明はすべきではない。彼等は命令されて行ったわけではない。彼等は「虎穴に入って」「虎児」を得んとしたのである。戦場の写真も、戦場からの記事もいい金になり、ジャーナリズム・スターへの道でもある。要は、危険を承知の上で無謀な職業的「賭け」に出たのである。自分の不用心で虎に食われそうになったからといって政府が救出に無策であるなどとよくも言えたものである。小泉総理大臣のもとに「対策本部」を作ってもらっただけでも有り難いと思わねばならない。世界のどこにそんな国があるだろうか?職業上の「賭け」に出るのであれば、危機に当面しても家族が騒がぬよう因果を含めておかないのは無責任で、不覚の限りである。当人も、家族も、しばらくは謹慎して世間に顔を出すな、というのが事件解決後の筆者の感想である。
『編集事務局連絡先』
(代表) 三浦清一郎 E-mail:
kazenotayori@anotherway.jp
*尚、誠に恐縮ですが、インターネット上にお寄せいただいたご感想、ご意見にはご返事を差し上げませんので御寛容にお許し下さい。
|