定年者の「地域帰還」歓迎オリエンテーション−新入生歓迎クラブ説明会のように!−
4月は転任のごあいさつが続く。行く人あり、来る人ありである。仕事に忙殺されていると、ともすると去って帰らぬ人を忘れがちになる。忘れられるのは退職者である。4月は新入生や新任者の華やぎが周りの心まで弾ませるが、退職者にとっては花も新緑も又格別の風景に見えることだろう。
● 「地域帰還者」の危機 ●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●
先日、文部科学省の公民館職員研修が東京の社会教育実践研究センターで行われた。冒頭の講義を担当したので、福祉と生涯学習を統合して公民館運営の理念と発想を転換するように訴えた。もちろん、筆者の提言は公民館職員の歯の立つ仕事ではない。福祉と生涯学習を統合するというのは政治の課題である。しかし、プログラムの段階では公民館を高齢者の「活動支援」と地域の子育て支援の「人材派遣センター」に特化することは可能である。 特に、職を引いて家庭と地域に帰って来る多くの熟年には退職後の半年が勝負である。人間の感覚機能にとって「無為」は「安静」に似ている。安静のための寝たきり入院ですべての筋肉が衰退するように、退職後の「無為」は身体も、頭脳も、心さえも衰退させる。使わない感覚機能は消滅するのである。それゆえ、仕事を止めた後は、できるだけ早い内に「労働」から「活動」に移行しなければならない。「安静」の期間を必要以上にとってはならないのである。「労働」から「活動」への移行の躓き、それが「地域帰還者」の危機である。
しかし、自分自身の体験も含めて、「労働」から「活動」への移行は言葉でいう程簡単ではない。退職は「労働」の季節の終りを意味する。しかし、多くの熟年にとって「活動」の季節の始まりを意味するものではない。「労働」から「活動」への移行には、冒険が必要で、探険が不可欠である。時には煩悶や孤独にも耐えなければならない。最後には、昨日までの自分を捨てて、思いきって人生の裂け目を跳ばなければならない。
退職者はまず昨日までの名刺は使えない。元の職場は新年度の事務でごった返しているのだから訪ねて邪魔することは出来ない。第一、訪ねたとして誰と何の話をすればいいのか?退職者は何をやってもいいし、どこへ行ってもいい。しかし、日々の満足も張り合いも自分で見つけるしかない。時には、一日、一本の電話も来ない、一人の訪問者も来ない。かくして、少しでも油断すれば、自由という名の「刑務所」に収監される。「することがない」ということは、退職者の「自由の刑」が始まることを意味する。筆者も年度の途中で辞表を出したので、約半年、「自由の刑」に処せられたことがある。「風の便り」や「生涯学習フォーラム」、「英会話ボランティア」などを始めるまでに6か月の時間を要した。模索の6か月は、「自由の刑」への「服役」であった。この間色々考え倦ねたが、気も狂わんばかりの焦燥と無聊と寂寥に苛まれた。そこには看守もいない。鉄格子もない。「余生をのんびりと」などと人はいう。しかし、「自由の刑」だけは人に勧められる話ではない。
● 限度は半年、一年で「急降下」が始まる ●●●●●●●●●●●●●●●
すでに何回も書いた。「老い」とは「衰弱と死に向かって降下すること」である。しかも「なんびとも止めることはできない」。熟年期の加齢は心身の機能の衰退を意味する。生理学者ルーが指摘した通り、人間の感覚機能は、「使い過ぎれば、壊れ」、「使わなければ、衰退し」、「程々の負荷によって衰退の速度を緩めることができる」。自らの老いに即して考えてみれば、熟年期はまさにルーの法則の典型である。生涯スポーツや生涯学習が高齢社会の必需品となったのは、熟年の生涯活動がルーのいう「心身の適度の負荷」を生み出す理想の条件を備えているからである。ぶらぶらする限度は半年、一年ですべての感覚機能の急降下が始まる。
これからの公民館は定年を迎えた地域帰還者に新年度一番に丁重な招待状を出していただきたい、と全国から集まった研修生に申しあげた。そして地域に存在する活動の舞台を紹介し、地域に存在しない活動の舞台を創造し、定年者に「労働」から「活動」への移行を促すことが最大の仕事である、と訴えた。公民館の仕事はわずか数パーセントの熟年層のために高齢者教室を作ることではない。地域のあらゆるグループ・サークルを一同に結集し、その活動を紹介し、新たな「地域帰還者」とつなぐことである。公民館にとって、新年度の最初の仕事は、微々たるプログラムを作ることではなく、既存の活動との「仲介の労」を取ることである。退職者が「活動」に参加しさえすれば、それはかつての「労働」と同じく、情報の収集を必要とし、学習を促し、身体を使い、人と交流し、時に世間の拍手を浴びることができる。要は、心身の機能を使い続けることにある。福祉の担当者はまだ分かっていないが、生涯スポーツと生涯学習に優る「介護予防」はない。
● 「オトパー」:「お父さん、お帰りなさいパーティー」 ●●●●●●●●●●●
講義の後「社研」の村田調査官とお茶をいただいた。講義を聞いて下さった彼は東京都の三鷹市が「オトパー」という行事をやっている、と教えてくれた。「オトパー」とは"お父さん、お帰りなさい、パーティー"を縮めたものだという。それだ!と思った。後の祭りであるが、筆者は講義の中で具体的事業名を提案するのを忘れた。想定する事業名は『定年者の「地域帰還」歓迎オリエンテーション』である。オリエンテーションは、大学の新入生歓迎・クラブ説明会のように!やるのである。あるいは、企業が連携して行う就職説明会のように!といったほうが退職者にはなじみが深いのか?要は、地域の体育協会のメンバークラブ、文化協会所属の各種団体、老人会、婦人会、NPO、ボランティアグループなど既存のあらゆるグループ・サークルに集まっていただき、「地域帰還者」にそれぞれの活動を紹介してもらうのである。既存のグループ・サークルにとっては、新メンバー勧誘の機会になる。選択するのは定年者である。もちろん、その年の定年者以外でも関心のある方は出席してもらっていい。「介護予防」に「遅すぎる」事はないのである。現状では、退職者には、活動の案内状も、招待状も来ない、グループ・サークルとの「集団見合い」の舞台もない。グループ・サークルにとっても潜在的メンバーを獲得するアピール・自己紹介の機会はない。これこそが年度始めの公民館の仕事である。公民館職員に「熟年の危機」に対する自覚が薄い時(現役の働き盛りは通常自覚はない!!!)、退職者のための「活動見本市」を創造することはできないのである。
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