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風の便り

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生涯学習通信

「風の便り」(第48号)

発行日:平成15年12月

発行者:「風の便り」編集委員会


1. 専門と縄張り =不毛の「学社連携」の根本原因=

2. 市場価値と存在価値、「英語徴兵制」と「英語監獄」

3. 合併戦略の方向

4. 第41回生涯学習フォーラム報告 「表現指導の原理と方法」

5. MESSAGE TO AND FROM

6. お知らせ&編集後記

第41回生涯学習フォーラム報告 「表現指導の原理と方法」

   第41回フォーラムは今年最後の例会で、忘年会を兼ねた。会場は満杯になった。事例発表は福岡県穂波町高田小学校にお願いした。発表は「自ら進んで思いや考えを伝え合う力を育てる国語科学習指導」である。発表担当は村松啓介さんであった。論文参加は「人生の演出−表現とコミュニケーションの構成原理ー」(三浦清一郎)である。穂波町からは沢山の応援の方々が来て下さった。紙上を借りて厚く御礼申し上げる。

1   「森」を見なくていいか?

   現役の教授のころ附属小学校の教育実習の指導計画の細かさに閉口した経験がある。実習授業の準備にあたって計画が細か過ぎるのである。細部を気にし過ぎれば、全体は見えなくなる。計画通りにやろうとして、己の声や姿勢や気合いについての配慮を忘れる。

   実習後、感想を求められて思わず”どうでもいいことに気を使い過ぎて大事なことが抜けている”と言った。”大事なこととは、生徒が先生を見てかれらの首が動かないこと”、”一心不乱に聞いていること”、”先生の指示に生徒がただちに反応すること”、”先生の説明は明快、的確、気合いが入って迫力があることなどである”。”お面だとか、背景画だとか、板書の構成などにちょろちょろ気を使うな”、と言って座をしらけさせた。実習生が夜も寝ないで頑張ったのは、お面つくりであり、背景画であり、板書計画であり、発問計画であったからである。緻密な計画は天晴れであるが、授業は生き物、木を見て森を見なければ失敗する。筆者が言いたかったのはそのことである。

2   学習と体得の混合

   高田小学校の実践はエネルギーと工夫を感じさせた。ビデオの記録に見る子ども達も確かに向上していた。しかし、「スピーチ名人」の練習は、講演を生業とする筆者の練習とは異なる。筆者にとっては、体得9割、学習1割である。筆者にとっては、優れた講演者をモデルにしてその真似をするしか向上の方法はない。拝聴した子ども達の指導は、学習5割、体得5割というところだろうか?

   スピーチの名人になるのも、ディベートの名人になるのも、表現理論を学び、それを実地に練習する事である。発表資料を拝見すると相変わらず学校の計画は綿密である。今もって、「附属実習」の成果が浸透している。資料によれば、表現力向上のための研究仮説は4つある。第一は、題材との出会わせ方の工夫、第二は、シミュレーション活動の工夫、第三は、相互交流での技能、態度、内容などの観点の明確化、第四は、評価の工夫である。こうした仮説を実証するため、学校は、日常のスピーチを指導し、保護者が絵本を読み聞かせ、アナウンスのセミナーを行ない、集会や学校行事で検証した。理屈も説明し、実際のスピーチの反復練習もしたのである。高田小学校では、二つの概念の違いについては必ずしも意識していなかったが、先生方の指導は「学習」と「体得」の混合である。「スピーチ名人」に問われるのは「学習」と「体得」の比率である。学校は相変わらず「学習」(理屈)の比重が大きいように見受けられた。しかし、知識で「スピーチ」名人は育たない。

3   子どもの自己評価は内容を保証しない

   練習・指導の甲斐あって、子ども達の表現に関する自己評価の結果は向上した。しかし、採点・評価は指導者や外部の第3者がすべきである。子ども達がスピーチに際して、「気をつけるべきこと」に気をつけるようになった事は大切であるが、それがスピーチ能力の向上に直結するとは限らない。「発表やスピーチに自信を持つこと」も大事ではあるが、それが表現力の向上に直結するとは限らない。

スピーチもディベートも、その善し悪しは表現力を構成する個々の要素の観点から客観的に評価しなければならない。「いいスピーチ」である、と第3者に認められてはじめて「いいスピーカー」になるのである。

4   スピーチは「型」から入るしかない

   表現指導の場合、「木を見て森を見ない」とは表現技術の理論指導が細かすぎて、倣うべき完結「モデル」が足りない、ということである。「木」は個別の理屈である。「森」は「いいスピーチ」そのものである。モデルがあれば、先ずは、手本となる上手なスピーチの模倣から始めればいい。技能は学習では学べない。苦労して体得するしかない。そのためには、話し方の理屈を言っても仕方がない。「相手意識」、「目的意識」、「方法意識」等を教える事は重要である。「聴き手を引き付ける工夫」も大事である。だが、それだけでは子どもは「いいスピーチ」のイメージがつかめない。”先生方はモデルのスピーチをやってみせたのですか?”と参加者から質問があったが、そこが指導のポイントである。あらゆるスポーツのコーチが「やってみせる」ように、教室でも「技能はやってみせなければならない」。スピーチの全体モデルが子ども達に提示されていないことは、学校が「体得」の意味をあまり自覚していない結果である。未知の技能を体得するためには「型」の模倣から始めるしかないのである。落語でもいい、講談でもいい、政治演説でもよければ、「青年の主張」でもいい。NHKが流す朗読のモデルでもいいのである。上手な人は周りにいるのである。

5 表現要素の組み合わせ実験

   講演はもとより、小学校の発表会も、男女共同参画委員会の「寸劇」も、表現力を獲得するためには、多様な表現要素の組み合わせが重要である。それが「論理構成」であり、「文章構成」であり、「空間構成」であり、「音響構成」、「資料構成」などであろう。最後は人の持つ「迫力」であろう。どの表現要素がどのように組み合わされればもっとも人々に訴えることになるのか、それは常に未知である。未知であるがゆえに表現は常に表現要素の組み合わせの実験である。行動が表現であるとすれば、人生もまた多様な表現要素の組み合わせの実験となる。したがって、表現力を保証する究極の組み合わせ公式が存在する筈はない。子ども達には模倣すべき多様なモデルを見せてやりたいものである。

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