専門と縄張り =不毛の「学社連携」の根本原因=
1 口ばかりの連携論
沖縄の生涯学習フェスティバルのシンポジュームで質問が出た。「学社連携」はなぜ口ばかりでいっこうに実現しないのか?質問者は大分県教育庁の中川さんであった。彼は学校と社会教育を往復して長い歳月を「学社連携」にエネルギーを費やして来た。この間いっこうに進歩がないというのが実感である。一体どこに原因があるのか。
2 二本立ての意志決定システム
原因は法律にあり、文科省の姿勢にある。文科省は、その建て前とは異なり、具体的な行政実務において、学校を生涯学習行政の中に組み込んだことはない。昭和46年の社会教育審議会答申も、昭和56年の中央教育審議会の答申も、昭和62年の臨時教育審議会の答申も、学校を実質的に生涯学習体系に包含することに失敗している。
法律上、学校は社会教育から独立している。社会教育法では、社会で行なわれる教育・学習の総体から「学校」を引いた残りが「社会教育」である、と規定されている(*)。社会教育が教育行政において「生涯学習」と同一視されたのは当然である。地方の自治体が「社会教育課」の看板を「生涯学習課」に掛け代えたのも自然の成りゆきであった。しかし、学校だけは別格、特別、独立の存在のままであった。それゆえ、文教行政システム上の意志決定過程も二本立てのままである。それが「教育委員会」と「社会教育委員の会議」である。国においても、「中央教育審議会」と「社会教育審議会」の2本立てである。
多くの市町村で「教育委員会」に社会教育課長は出席しない。すべての市町村に「教育委員会」とは別個に「社会教育委員の会議」が設置されている。専門の助言・意志決定機関が二つあるのである。お互いはお互いの領域を犯すまいとする。お互いはお互いの領域を守ろうともする。したがって、教育委員会は「社会教育」には関わるまいとする。もちろん、「社会教育委員の会議」の言うことも聞かない。
「教育委員会」の行政上の位置付けは「社会教育委員の会議」より上であるが、頭越しに社会教育行政の方針は決めない。「社会教育委員会」の存在意義を否定する事になるからである。結果的に、「教育委員会」は「学校教育委員会」になる。日々の実務を指導する「教育長」も圧倒的多数が「学校教育長」になる。「社会教育委員の会議」は社会教育施策を論議する機関であり、学校のあり方を論じるのはそもそも「越権」である。若い頃の筆者が社会教育委員として、「学社連携」の方策を社会教育委員会の答申や建議に書いていたのは、法律上の、この矛盾に気付いていなかったからである。「専門」が「縄張り」になることの自覚も足りなかったからである。大分の中川さんの実感と同じく不毛な時間を生きたと思わざるを得ない。「学校」と「社会教育」の連携などできる筈はなかったのである。
3 「専門」と「縄張り」
高齢社会の到来によって、生涯学習も生涯スポーツも必需品となった。男女共同参画時代の到来によって保育と教育を統合した子育て支援が不可欠である。潤沢な資源、潤沢な予算を有する学校を生涯学習に開放することは時代の要請である。いまでも多くの社会教育委員が真面目に「学社連携」を進めようとしている。しかし、教育委員も学校もいっこうに聞く耳は持たない。当事者の文科省の担当者も恐らくはシステムのジレンマの自覚はない。学校教育の担当になれば、学校教育の事だけを考え、社会教育の担当になれば、無駄であるとも知らずに学校と社会教育の連携を空念仏のように唱えるだけなのである。事は日本村の特性である。「専門」は必ず「縄張り」になる。結果として「教育委員会」ではほとんど誰も生涯学習支援の総合的システムを考えようとはしないのである。
理論的には、生涯学習は初めて、教育の全体を律する論理体系として登場した。生涯学習システムの原理は自由と選択である。そのスローガンは「いつでも、どこでも、だれでも、なんでも」である。しかし、現行の法律が自由も、選択も阻んでいる。生涯時間を貫徹した「縦の統合」も、あらゆる生活分野を横断した「横の統合」も合せて阻んでいる。
学校が「特定の時期」に、「特定の場所」で、「特定の対象者」だけに、「特定の内容」を、「特定の指導者」だけが教える仕組みになっているのは誠に「反」生涯学習的である。それが学校なのだと考えている教員達も誠に「反」生涯学習的である。その矛盾を放置してきた教育委員も、教育委員会組織も同様に「反」生涯学習的なのである。要は、法律の根本に原因があり、行政上の2本立ての委員会システムに理由がある。
生涯学習を国の教育指針とするのであれば、学校教育はもちろん、社会教育も、健康教育も、職業教育も「生涯学習支援行政」の下に置かなければならない。「教育委員会」は「生涯学習推進委員会」に編成を変え、「社会教育委員の会議」は廃止しなければならない。文科省が地方の教育行政当局に対して、学校は生涯学習施設として位置付ける旨の強力な通達を出せば、事は一気に解決する。それができないのは、問題の根源に対する自覚がないからである。「専門」が「縄張り」となって総合的な生涯学習システムを分断していることに気付いていないからである。文科省の中の初等中等教育局は学校を生涯学習施設と位置付ける事を怠ってきたが、それは担当局だけの責任ではない学校教育と社会教育を二分する法律上の分業を改め、文科省の発想を変えないかぎり当分は学社連携などできない。まして、融合論は空論である。行政の指針として「融合」をいうのであれば、行政が到達目標とする新しい「学校像」を示さない限り、学校も社会教育も具体的な方法に辿り着くことはない。融合とは「異質のものが溶け合って新しいものが生れる事」だからである(国語辞典)。
3 無自覚か?怠慢か?
日本は「お上」の風土である。徳川幕藩体制以来、行政は「お上」として特別の位置を占めている。経済から教育まで、「お上」がイニシャティブを取らない限り多くの事は始まらない。近年の行政においても「日本株式会社」論から始まり、「護送船団」方式、住民の「行政依存体質」に至るまで、「お上主導」の伝統は続いている。法津の改正がおいそれとできない以上、「お上」である文科省が「学校と社会教育」との連携を進める行政指導を行なうことが不可欠である。たった一本でいいから「学社連携」を促す強力な通達を出せば事は簡単に動き出す。社会教育との連携を学校が拒否する理由はたった一つである。文科省が「地域に協力せよ」、と言っていない事である。福祉の学童保育に学校施設を開放しない理由も元を正せばたった一つ。お上の指示がないからである。お上の指示さえあれば、確たる展望すら持てない総合的学習ですら汗水たらして頑張るのが学校である。藩校以来、「お上」と学校の関係は切っても切れない深い間柄である。財政的にも、思想的にも、人的にも、心情の上でも、学校を支えてきたのは「お上」であった。連携論の徒労も、融合論の不毛も担当文科省の無自覚か、怠慢の結果である。「学社融合」を掲げて真面目にやっている地方こそいい面の皮である。
(*)(もちろん、厚生労働省が所管する健康教育や「放課後児童健全育成事業」や職業訓練も広く社会で行なわれる教育であり、したがって、生涯学習の体系に含まれるべきであることは論を待たない。現行の教育行政だけで生涯学習体系は構築できない。それゆえ、文部省と通産省のみが参加した「生涯学習振興法」も誠に不十分である。)
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