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風の便り

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生涯学習通信

「風の便り」(第47号)

発行日:平成15年11月

発行者:「風の便り」編集委員会


1. コミュニケーションの原点−「発表会」を問う

2. 品質管理の思想

3. 「不登校」の処方箋

4. 第40回生涯学習フォーラムレポート

5. MESSAGE TO AND FROM

6. お知らせ&編集後記

品質管理の思想

   日産自動車がエンジンにトラブルの可能性があるとして、数種類の自社商品、総計100万台を越えるリコールを行なった。初めて、わが家の車もリコールの対象となった。初めに本社から郵便による知らせが来て、続いて、販売会社の担当者から電話も来た。修理は40分ほどの簡単なものであったが関係者は初めから終りまで極めて丁重であった。「品質管理」に手落ちがあって申訳ない、という挨拶であった。”お陰で安心して乗れるよ”と返事をした。日本の”ものづくり”が世界から評価されているのも、企業が国際水準を達成したのも、「品質管理」の原則を曲げない思想のゆえであろう。ISO14000等という標識を見るのも、品質を守るための生産工程の国際水準化である。

   日産自動車のリコール方針に比べれば、日本の行政や教育界の品質管理は大いに問題がある。高校も、大学も送りだす学生を自らの”生産物”であるという自覚が乏しい。もちろん、学生の”商品価値”という発想は教育にあるまじき妄言として退けられる。社会教育で活動し、学校で教えてみると明らかであるが、どこの役所にも、どこの学校にも、仕事をしようとしない職員がいる。自分の仕事を頑張ってやらなければ、仕事ができるようになる筈はない。教育も、行政も、仕事の「品質」を問わないという点で日産自動車の対極にある。それは商品価値にこだわる思想の欠如に起因する。サービスの価値を問わないシステムの背景は、行政も、教育も「市場」と絶縁しているからである。役所の無謬性の主張も、教育界の一方的評価の独善性も、サービスを受ける側の声が届かない仕組みに原因がある。これらの分野では、終身雇用制によって”クズ”の職員が守られ、教育の専門性の名において外部評価が遮断されているからである。問題役人や問題教員のリコールが出来なければ、当然欠陥学生も”トコロテン方式”で卒業させるしかない。世間は、自衛のために「安全な医者」を選び、信用のおける学校のランク付けをする。学生一般の個別商品の「品質管理」が信用できない以上、生産者である学校の格付けをもって代替せざるを得ないからである。学校の序列化とか、偏差値輪切りという現象は教育界がまともな「品質管理」をやって来なかったことの裏返しである。学校の序列化は確かに困ったことであるが、個別学生、個別教員の品質管理をないがしろにしている事の方が何倍も困ったことであることに日本社会は気付いていない。

   時に教育界は、競争は差別に繋がる悪だという。また、評価は支配と締め付けの代名詞であるとしか理解していない。このような教育の風土こそが品質管理を拒否する原因である。競争と外部評価がなければ、怠惰となれ合いを排除できない。最も肝心な個人の資質と意欲を向上させることもできない。「平等社会は嫉妬社会である」とは渡部昇一の見識であるが、己の品質だけは評価させないという「無評価領域」も「平等社会」を前提にしている。平等社会とは人間の努力や仕事の結果の「品質管理」をしない社会の意味でもある。

   人間の存在に関わることは、当然、すべてを市場原理に任せることは出来ない。だからと言って、教育に全く市場原理を導入しなければ、教育の水は腐る。教育に関わる人間の品質管理を拒否し、問題教員のリコールが出来ないのは、努力する人間のやる気を失わせる。仕事の品質管理が出来ない社会はいずれシステムの欠陥が露呈する。日本の様々な分野で、国際競争力の陰りが見え始めたのはそのためであろう。過度の競争は確かに危険であるが、競争がないよりは危険ではない。健全な競争のない社会は健全な「敗者復活」のシステムもない。品質管理が出来ない教育界は敗者が敗れた理由もわかりようがないのである。

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