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風の便り

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生涯学習通信

「風の便り」(第43号)

発行日:平成15年7月

発行者:「風の便り」編集委員会


1. 学社連携−Paper  Marriageの行方

2. 「主人」は遅れているか?:言語の二重機能とカルチュラル・ラッグ −「符牒」と「符牒の意味」−

3. 『潜在光景』

4. 「生涯学習とグループ・サークル」(第36回生涯学習フォーラム報告)

5. MESSAGE TO AND FROM

6. お知らせ&編集後記

 「生涯学習とグループ・サークル」(第36回生涯学習フォーラム報告)

   第36回フォーラムの日は記録的な大雨であった。熊本と長崎で死者が出たほか、高速道路は閉鎖され、福岡県では飯塚市、穂波町が県の災害援助を適用されるほどの洪水になった。

   にもかかわらず発表者の市原 実さんは長崎から定刻にセンターに到着した。37年にわたって異業種のみなさんの自主勉強会「丸の内朝飯会」が続いたのはこのような世話人を得た故であることをはからずも大雨が証明したのである。市原さんは長崎総合科学大学の教授である。報告のテーマは「生涯学習時代のグループ・サークルー『丸の内朝飯会』と『知恵の輪』」であった。論文参加は「老いの意味、社交の意味、グループ・サークルの意味」(三浦清一郎)である。

   半数の方々が道路・交通事情のために出席できなかったが、長崎からは西野さん、大分からは、吉良さんと安心院さんが来られた。いつもの半分の席で始めた研究会であったが終る頃にはほぼ一杯になった。毎回のフォーラムが会員のご出席に値するか、否か思わず自問した半日であった。

1   グループ・サークルの存続は「世話役」次第

   表記のタイトルが市原報告に対する筆者の感想である。集団は生き物である。生き物には様々な世話が必要になる。その役目を果たすのが「世話人」である。市原さんは「丸の内朝飯会」の世話人を18年連続して引き受けられた。その後も様々な世話役に奔走しておられる。理由はたった一つである。「幹事は得るものが多い」。

   しかし、市原さんの継続は「能力」と「意志力」の賜物であろう。世話役は苦労はしても、人としての成長の絶好の場となった、と市原さんは振り返る。「丸の内朝飯会」が切っ掛けになって、その後全国の勉強会のネットワークとなる「知恵の輪」を結成し、そのお世話役もする。その間実に37年。生まれついての世話役で、歩く生涯学習と呼ぶに相応しい。

2   「丸の内朝飯会」の歴史は単行本になった。『90分、早起きすると必ず成功する』がそれである。分析では、「会」が成功した秘けつを3点に整理している。第一は時間帯が「朝」であったこと、第二は良い会場が確保出来たこと、第三は週1回の定例制を採用したことである、という。ここまではロータリークラブなどと同様の条件である。注目すべきは運営の方法である。会費がない。会則もない。役職者がいない。その代わり、スピーチがある。メンバーによるレポートや「インプット報告」と呼ばれる近況・成果の報告がある。当然、会員は制限している。マスコミの取材を受けず、一切の領収書は発行しない。政治、宗教、商売には利用しない。社会教育法23条に似ている。これらの不文律を取り仕切って来たのが「世話役」である。「朝飯会」の運営には、あらゆるグループ・サークルの活動に使える知恵がつまっている。

3   「心の支え」を得るー「社交の意味」

   心の支えとは「居甲斐」である。「居甲斐」とは「あなたがいて良かった」といってくれる人々の存在を意味する。人々の認知によって、そこに居た甲斐があった、と実感するのである。ややもすると生涯学習も、ボランティアも、活動の「やり甲斐」に目を奪われ、行為の対象や方法だけが強調されがちである。しかし、あらゆる活動の副産物は交流であり、社交である。もちろん、居甲斐は交流と社交によってもたらされる。「やり甲斐」と「居甲斐」があいまって「生き甲斐」を形成する。高齢社会の「社交」を支えるのがグループ・サークルに外ならない。

4   仲間の選択

   仲間は「波長」である。波長が合わなければ付き合って楽しくない。「ここに居て良かった」、「あなたと会えて良かった」と実感することも難しい。「居甲斐」の発見とはつまるところ波長の合う人間と出会うことである。その意味では恋愛関係に相似している。好きになる女(男)はどこか「波長」が合うのである。虫がすかぬというのは、その逆であろう。「波長の合う」人間とは一緒にいるだけで楽しくなるのである。出会いの問題も、「居甲斐」の問題も「波長」が合うか、合わぬか、相手との相性を発見することである。それは言葉でいうほど簡単ではない。惚れた相手と別れるのはある部分で「波長が合わない」ことに気がつくからであろう。日常でも人間はそれぞれの「波長」である種の「気」を発し続けているのであろうが、それが当人の全部ではない。総合的に相手を知ろうとすれば、総合的にお互いが試される舞台と環境が必要である。結婚してみるまで相手の発する「気」の全貌が分からないのは、恋人達はまだ共同生活を始めていないからである。

   友人や仲間についても、通常の飲み友だちと修羅場をともにする同志は決定的に異なる。結婚も、修羅場も「負荷の高い」活動である。困難な活動の中で人々の「気」は一層鮮明になり、お互いの波長の相性を確認することが容易になる。戦友の発見に、戦場が必要になるのはそのためであろう。アンブローズ・ビアズはこの世を皮肉った「悪魔の辞典」において、友情(Friendship)を「天気の良い時には、楽しい船旅ができるが、天気が悪くなると航行不能になる」船である、と喝破している。

5   活動の選択ー舞台の選択

   グループ・サークルは活動の枠組みである。最大の特徴は選択の「自由」である。仲間の選択の自由であり、活動の内容・方法の選択の自由である。グループ・サークルは地縁・職縁のしがらみから解放されている。結成の自由もあれば、解散の自由もある。それは組織の形態を有するが、同時に極めてゲリラ的な組織でもあり得る。必要に応じてどのように変えることもできる。正規軍であることも可能であるが、出没自在のゲリラ軍でもありうる。

   高齢期の活動は「やり甲斐」と「居甲斐」を同時に追求する。目的は「活動」と「社交」の半々である。活動にも意味があり、活動を共にする仲間にも意味がある。好きな人が集まっていれば、グループ・サークルは最高の枠組みである。募集の原理は「この指とまれ」である。公民館が育てて来た自主グループが一つのモデルである。生涯学習は多くのグループ・サークル活動を通して「サロン」を形成するようになった。これこそが高齢期の孤立と孤独を解決する処方箋である。問題は定年前に労働以外の活動の経験のない人々が既存のグループ・サークルに加入することも出来ず、かと言って、みずからのグループ・サークルを創造することもできない実態である。

   このように考えれば、生涯学習の主要任務のひとつはサロンの形成と社交の促進のため意識的「仲人機能」を果たすことである。

6   『これから出会う友だち』

   横沢氏は高齢者のグループ・サークル活動にとって極めて重要なことを指摘している。それは「現在と未来に必要な友だちはこれから出会う友だち」である、ということである(*)。グループ・サークルの選択も、そこから見つけだす社交も、現在と未来に必要な友だちに繋がっているのである。

(*)  横沢 彪、大人のための友だちのつくり方、サンマーク出版、1996年、p.15

 

*  参加論文:「老いの意味、社交の意味、グループ・サークルの意味」(三浦清一郎)は若干の予備があります。ご希望の方は90円切手を同封の上、事務局までお知らせください。

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