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風の便り

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生涯学習通信

「風の便り」(第37号)

発行日:平成15年1月

発行者:「風の便り」編集委員会


1. ある小学校への提案(1) 保護者調査 −「どんな子どもに育てたいか」

2. 保護者調査 −「どんな子どもに育てたいか」 続き

3. 保護者調査 −「どんな子どもに育てたいか」 続き

4. 第31回生涯学習フォーラム報告 「小学生を対象とした英語教育」

5. MESSAGE TO AND FROM

6. お知らせ&編集後記

”お知らせ”

1  第32回生涯学習「移動」フォーラムin津和野

日時: 平成15年2月15日(第3土曜日)9:30〜16:00

    テーマ: コミュニティの学校

発表者:森本精造(福岡県穂波町教育委員会)

論文発表:三浦清一郎(「コミュニティ・スクールの可能性」)

申込み先:学社融合フォーラムIN綺羅星7実行委員会;島根県津和野町教育委員会気付

 

3  第33回生涯学習フォーラム

日時:3月15日(土)15時〜17時

フォーラム終了後夕食会

テーマ:「青少年のための青少年によるボランティア」

発表者:山口県長門市 西本達夫さん外

論文発表:論文発表はお休みです。代わりに出版編集計画「生涯学習立国の条件」を発表します。(三浦清一郎)

 

編集後記

正面の理、側面の情、背面の恐怖

   わが家に子犬が来た。ピンチャ−というドーベルマンの小型の犬である。ドイツの原産だというので、「皇帝」(カイザー)と名付けた。生まれて2か月であるが、とにかく激しく生きている。跳ぶのも、走るのも、攻撃も、退却も、すべて全速力である。全速力で遊んだあとは、草臥れ果てる。ごろんと横になると大きく溜め息をついて、あとはぼろ切れのように眠る。抱き上げても、足を引っ張って動かしても薄目を開けて幽かにこの世を見るだけである。完全に私たち人間を信頼している。我が身を投げ出して全力で生きる。子ども達もこんな風に生きさせたいものである。一生懸命生きている子犬は、久しく忘れていた幼子を思い出させる。歳をとった身には激しい生き方そのものが眩しい。まだ、トイレットトレーニングは完成していない。ときどき粗相もする。われわれは「皇帝」の乳母であり、執事であるが、「ご養育係り」でもある。少しづつわが子をしつけた時代が蘇って来る。

    庄内町生活体験学校の正平さんからのまた聞きであるが、様々な「改革事業」を手掛けた中坊公平さんは、業務の遂行理念を、「正面の理、側面の情、背面の恐怖」と総括している、という。「簡」にして「要」。三点ですべてを尽くしている。特に、「恐怖」を含めているところに共感している。日本の教育にも、改革事業にも、最後の視点が欠如していることが多い。何度改革をうたっても、改革は中途半端である。しつけが中途半端なのも、仕事の結末が甘いのも、改革がうたい文句に終わるのも評価結果を人事に反映する「背面の恐怖」が欠如しているためである。

   換言すれば、欠如しているのは、人事評価のシステムである。運動会の順位付けすらも差別であるなどという感性は「努力」も、「個性」も、「能力」すらも否定している。運動会の順位付けをなくしたところで、人生の失敗や、挫折や、屈辱を回避することは出来ない。進級や、卒業の点数を甘くしたところで、人生の点数は甘くはならない。幼少期の評価は、やり方を間違えると、時に、挫折にも、屈辱にも繋がることがあるので注意を要するが、評価の厳しさに耐えない限り、目標は達成できず、困難を乗り越える力はつかない。特に、幼少期の試練を通過しない限り、延々と繰り返される人生の困難を乗り越えることは出来ない。この世は思いどおりにならないことに満ちているのである。

   評価の結果を賞讃にも、叱責にも反映しなければ、「努力」も、「個性」も報われない。「正面の理」も、「背面の恐怖」もスローガン倒れになる。現代の日本は、幼児のしつけにも、学校の青少年育成にも中坊さんの言う原理を貫徹していない。少年の危機は、「理」と、「情」と、「恐怖」のさじ加減を間違ったところに起因しているのである。

   正月休みは小犬の「皇帝」のしつけに専念した。方法原理は、中坊さんの事業遂行理念を入れ替えて活用した。第一は「正面の情」である。ひたすら可愛がり、ひたすら抱いてやる。愛情が第一であることは言うまでもない。第二は「側面の恐怖」。禁止事項は体罰をもって徹底する。第三に「背面の理」。子犬の「理」とは褒美と叱責である。「背面の褒美」といってもいい。要は、ひたすら可愛がって、ダメなことは「ダメ」を徹底する。子犬に言葉だけでは通じない。愛情も、罰もひたすら行動と態度で示す。指示に従えば、頭を撫で、抱き上げて褒める。御褒美も与える。子犬ですらも御褒美の「理」を解する。幼児においておや、である。これだけであっという間に自分のトイレを覚える。テーブルに足をかけないことも学ぶ。人間の食べ物にも、鼻を突っ込まない。「待て!」もできるようになる。基本的生活習慣を身に付けるまでは、子犬の権利は認めない。いまだ「半人前」、「半犬前」であるからである。戦後教育学が唱える本末転倒の子育て民主主義を学んで、子どものしつけに手こづっている若い親達の気が知れない。「半人前」を「一人前」に遇してはならない。

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