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風の便り

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生涯学習通信

「風の便り」(第36号)

発行日:平成14年12月

発行者:「風の便り」編集委員会


1. 「危機」を「危機」としない 2002年の総括

2. 「武器」としての概念

3. 365キロの日課  −生涯スポーツの効用−

4. 第30回生涯学習フォーラム報告

5. MESSAGE TO AND FROM

6. お知らせ&編集後記

365キロの日課
−生涯スポーツの効用−

高齢者の生きる力

   青少年にとって「生きる力」が重要であるならば、高齢者にとっても「生きる
力」は不可欠である。生きるにあたって必要な基本条件が年齢によって異なる筈はな
い。「生きる力」は人間に共通の必要条件である。
   青少年育成が論じている「生きる力」は「人生の実力」の意味である。「一人
前」こそが青少年育成の目標だからである。「一人前」になるためには、異なった能
力の組み合わせが必要である。即ち、「生きる力」は複合的概念である。「生きる力」
と言うだけでは「何」を「どう」育成すればいいのかが分からない。それゆえ、従来
の「実力」に置き換えてそれぞれの要素に分解しなければならない。実力の構成要素
は、体力、耐性、徳性、学力、感受性である。当然、実力の構成条件に老若の違いは
ない。ただ、子どもは「生きる力」をこれから形成して行く立場にあり、高齢者の方
は主として、その減退を食い止めようとする立場にある。

子ども達との約束

   水泳は中年期からの我が生涯スポーツ・カリキュラムの中核である。特に、子
ども達が家を出たあと、いつの頃からか、一年365キロを泳ぐことを自らに課す事
を約束した。彼等が完全に自立する前に「厄介老人」になるわけには行かない。「厄
介老人」への転落防止策は、頭と身体に適切な「負荷」をかけて、絶えず使い続ける
ことである。わが現役の友人の皆さんも「忙しい」は、生涯学習をさぼる理由にはな
らない。加齢の宿命は「衰弱」と「死」である。途中プロセスで家族や世間に厄介を
かけるのは最小限にしたい。それが年寄りの美学であるべきであろう。以後、カレン
ダーに、毎日の泳いだ距離を記録するようになった。今年も400キロを記録する。


生涯学習における「努力」の概念

    少年の場合と高齢者の場合では「生きる力」の養成・維持に関して基本的な
錯角がある。それは「生きる力」に対する「努力」の認識である。少年の場合、「生
きる力」を育むために、相当の努力と精進がいることは誰も疑わない。これに対して
高齢者の場合は、すでにこれまで「生きて来た実績」がある。「実績」があるゆえに
その維持に楽観的になりがちである。確かに、壮年期は獲得した体力も、耐性も急降
下することはない。しかし、高齢期は事情が異なる。高齢期の「生きる力」の維持に
は、少年の場合に優るとも劣らぬ努力・精進が必要である。しかし、壮年期の経験が
あるので、計画的、自覚的努力の必要を認識している人は必ずしも多くない。子ども
には「勉強しろ」というが、大人には言わないのはそのためである。
   少年の「生きる力」はゼロから出発する。それは子どもの成長とともに蓄積が
明らかになる。それゆえ、「生きる力」が期待通りに向上しているか、否かについて
は、家族も、社会も、したがって本人も自覚的にならざるを得ない。それがなければ、
学校も卒業できず、就職も覚束ない。要するに、この世で喰って行くことが出来ない。
少年の「生きる力」は関係者の未来に決定的な影響を及ぼすのである。これに対して、
高齢者の「生きる力」はゼロからの出発ではない。「現状の実績」からの出発である。
それゆえ、高齢者の「生きる力」のレベルの評価と自覚は必ずしも明確ではない。努
力の意味が自覚されにくい理由である。

「衰弱」と「死」への急降下

    「老い」とは、衰弱と死への降下である、と断じたのはフランスの哲学者ボー
バワールである。高齢者の「生きる力」の「実績」は時に無意識に、時に無自覚的に
下降する。労働からも、活動からも遠ざかった定年後には、急降下する。子どもたち
の「生きる力」の獲得と異なり、高齢者の「生きる力」の喪失は、その場面も、原因
も、具体的な進行プロセスが必ずしも明らかではない。しかし、高齢社会の到来によっ
て、「生きる力」の喪失がもたらす悲惨が明確になった。ぼけ、寝たきり、閉じこも
りがそれである。これらの悲惨は高齢社会が現実のものとなるまで、社会も、本人も
自覚が薄かったのである。閉じこもりが発生し、ボケが進行し、寝たきり老人の悲惨
が発生し、これらに対する医療費の増大や介護の必要が発生した時、初めて社会は、
高齢者の「生きる力」の重要性に気付いたのである。加齢は戦いなのである。この戦
いに破れた時、ひとは「厄介老人」に転落する。図書館の棚に並んだ高齢社会の書物
のほとんどはその対策を論じている。


高齢者の義務教育!?

   第30回の「土曜教育力」のフォーラムでも、個別の能力を育てようとするプ
ログラムの総体が教育力であると論じた。「生きる力」が低下しているのはこれらの
プログラムが存在しないからである。あるいは、存在したとしても、機能していない
のである。
   高齢者の場合も同じである。高齢者の「生きる力」は高齢者が関わる生涯学習・
生涯活動プログラムの質量の総体に関わる。にもかかわらず高齢者の生きる力を保持
することを正面から掲げたプログラムは稀である。まさしく、「高齢者教育力」の不
在である。1年365キロのプール日課は我が日常の健康に限らず、あらゆる活動エ
ネルギーを支えていることは疑いない。人間が生き物である以上、生き物の基本は体
力だからである。高齢者の介護や医療費を減らそうとすれば、義務教育の発想を導入
して、生涯スポーツを義務化するしかない。生涯学習が今のような低迷を続ければ、
いずれ地域の財政が破綻するであろう。哀しいことだが、生涯スポーツを実践しない
高齢者には年金を減額するというような時代が来るであろう。

 

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