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生涯学習通信

「風の便り」(第36号)

発行日:平成14年12月

発行者:「風の便り」編集委員会


1. 「危機」を「危機」としない 2002年の総括

2.  「武器」としての概念

3. 365キロの日課  −生涯スポーツの効用−

4. 第30回生涯学習フォーラム報告

5. MESSAGE TO AND FROM

6. お知らせ&編集後記


「武器」としての概念

概念がなければ考えることができない

    社会を変革するためには、問題状況を分析する「診断の道具」を発明しなけ
ればならない。分析に使う道具は「概念」である。変革が戦いであるとすれば、それ
に用いる道具は武器である。「風の便り」や、「フォーラム論文」が追求しているの
も武器としての概念である。「新しい概念」は分析の視点を提示する。「生涯学習革
命」も、「筋肉文化」も、「共益社会」も、「土曜教育力」も、「人間の証」も、
「一律主義と気兼ね文化」も、「厄介老人」も、「子宝の風土」も、「原因除去と原
因抵抗」も、「新しい日本人」も、「生涯学習格差」も、「体得」概念の再点検も、
現状分析の正確さを期すための”武器”である。
   1960年代に、「生涯教育」・「生涯学習」という概念をポール・ラングラ
ンが提示していなければ、現代の学習社会をシステム化することは不可能であったろ
う。概念がなければ考えることが出来ない。社会を進化させる一因は、まさに「概念
の力」なのである。

武器としての「セクハラ」

   かつて、慣習であったことは、慣習であるが故に日常化している。日常化とは
「あたりまえ」という意味である。これら「あたりまえ」であったことを、「あたり
まえ」ではないと認識を変えるためには、常に新しい概念が必要である。「セクハラ」
という発想は、近年の代表例であろう。一昔前は、セクハラもどきの発言は、日常茶
飯事であった。多くの男達は何ということはないではないか、と(もしかすれば、今
日まで)考えていた。
   事実は、多くの女性がじっとがまんしていたのである。女性の我慢の上に「あ
たりまえ」が続いていたというのでは、男女の対等は実現しない。男女共同参画が難
しいのは、従来の「あたりまえ」を否定して、新しい概念を提案しているからである。
その突破口が「セクハラ」であり、「DV」である。「古い概念」に生きている人々は、
「新しい概念」を突き付けなければ変わらない。彼等は、他者(例えば女性)の不快
や不利益に気付かぬ振りを続けたり、他者への侮蔑に無自覚の場合が多いからである。
    「発ガン性」という概念も同じである。研究の成果は、喫煙と癌の関係を明
らかにした。そこから「禁煙」の発想が生まれて来る。当然、昔の自由な「一服」時
間は制約されざるを得ない。それが「嫌煙権」であり、「禁煙運動」である。新しい
概念が、行動を変え、慣習を変えて行くのである。
    生涯学習がしきたりや慣習と戦わざるを得ないのは、「新しい概念」を普及
し、「古い概念」を駆逐する必要があるからである。旅をしてみると、市町村の社会
教育委員や、行政担当者の不勉強が目だつ。生涯学習に参加しない生涯学習関係者で
は、新しい概念は推進できない。「新しい概念」を導入する目的は、最大多数の最大
幸福を追求するためである。換言すれば、一人でも多くの人間の不幸を減少させるこ
とである。恐らく、進歩とはそういうことなのであろう。


「構造改革」の阻害条件

   「構造改革」は現在を代表する概念である。古いシステムでは日本のあらゆる
生産性は改善されない。ここまでは小泉内閣のスローガンである。しかし、小泉内閣
に限らず、あらゆる領域で日本の構造改革は進んでいない。メディアも政治家も、上
手に保身して、日本人自身を悪くいう人はあまりいない。しかし、一番の原因は日本
人自身であることは明らかである。原因の最たるものは、旧システムに安住して、他
人にだけ「構造改革」が必要であると言っている日本人の優柔不断である。
   ある町の教育長と珈琲ブレイクのひととき、給食センターが話題になった。小
さな町であるにも関わらず、センターの人件費は5、000万円を越える。指摘され
るまで正確には知らなかったが、給食を出すのは1年のうち僅か180日に過ぎない。
フルタイムの職員が必要であるはずがない。これだけ外食産業が普及し、あらゆると
ころで無駄の見直しをしている時代に、教育行政はこの非効率極まりないシステムを
構造改革できないというのである。理由は組合の抵抗、住民の無知、行政の逃げ腰で
あろう。あらゆるシステムの改革を阻んでいるのは、自分達さえ良ければ、「ひとの
痛いのなら三年でも辛抱できる」という人間の本質である。

組織内民主主義の不可能

   自分が良ければ、青少年のことも、町のことも、日本のことも当面どうでもい
い。これが旧来の日本人の本音である。高速道路システムの改革騒ぎは、日本の組織
の「自己変革」の不可能を証明した。下からの改革とか、民主主義の原則に則った”
自己改革というたわごと”では、本人の所属する「構造」を変革することは不可能で
ある。給食センターに限ったことではない。学校も、教授会も、自らの構造を変革す
ることは出来ない。どんな名医にとっても、自分の手術は他者に依頼せざるを得ない。
もちろん、文科省も自らの構造は改革できない。これらはすべて国と、地方を問わず、
「外から」と「上から」の政治改革の課題である。そして、政治が本来の仕事をしな
いとすれば、政治家の改革は国民がやるしかない。改革不能の原因は、廻り廻って、
メディアの馴れ合いと不勉強、最終的に、国民の不勉強とご都合主義に帰着するので
ある。

「外と上」からの改革

   すべての構造改革は通常のプログラム改革とは異なる。構造改革とは、プログ
ラムを作り出す大本の仕組みの改革だからである。それゆえ、すべての構造改革は
「外から」の、改革であり、「上からの」改革である。構造改革に関する限り、組織
内民主主義は機能しない。「みんなの声」は一時、棚上げしなければならない。日産
を蘇らせたカルロス・ゴーン氏も、伊藤忠商事を復活させた丹波社長も、恐らくは韓
国経済を立ち直らせた金大中大統領も、「それぞれの部署の自己改革」を唱えるが、
改革の方針を提示し、「方針」の厳守を要求し、「改革しない」という選択肢だけは
認めなかったはずである。「下からの声」などを聞いていたら、システムを変えるこ
とはできない。それが上からの改革である。韓国の経済立て直しの構造改革は、初
めIMFという「外から」、次に大統領による「上から」の改革であった。小泉内閣の
歯がゆさは、口ばかりが達者で、この単純な原則が守れないことである。
   無駄を是正しようとすれば、給食センターの改革は組合の要求も、センター職
員の言い分も聞いてはならないのである。退職者の補充をがまんすれば、10年かか
らずに、外部委託の準備が整うであろう。この時、武器となる「概念」は、給食シス
テムの「構造改革」であり、「アウトソーシング」である。年間、5、000万円の
人件費を「アウトソ−シング」し、残った予算を、例えば「土曜スクール」や「高齢
者教育力」の向上に投入できれば、地域の少年プログラムは一気に多様化し、高齢者
教育力も飛躍的に向上するであろう。もちろん、今以上の給食サービスを提供するの
は前提の条件である。このように考えてみれば、地域の教育力向上を阻んでいるのは、
廻り廻って、給食センターでもあるのである。しかし、恐らく町の大部分の職員は戦
略的「アウトソ−シング」の概念を知らないのではなかろうか?有効な武器を持たず
して戦いには勝てない。フォーラムを続けるひとつの理由がここにある。

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