HOME

風の便り

フォーラム論文

編集長略歴

問い合わせ


生涯学習通信

「風の便り」(第108号)

発行日:平成20年12月

発行者:「風の便り」編集委員会


1. 「実践」の3類型

2. 「実践」の3類型(続き)

3. MESSAGE TO AND FROM

4. MESSAGE TO AND FROM(続き)

5. MESSAGE TO AND FROM(続き)

6. お知らせ&編集後記

MESSAGE TO AND FROM (続き)

福岡県北九州市 小中倫子 様

世界ではまさに「金融資本主義」が限界まで追い詰められ、大恐慌時代の到来とも言える「時代の転換期」を迎えています。従来の常識が通用しない、先行きが読めない、このような転換期だからこそ、何ものにも振り回されず、地に足をつけ、しっかりと世の中を見据えた姿勢を保ちたい、その想いが募ります。人生の目標として、個人的には3S(信念・誠実・正義)をモットーに生きたいと思っています。今年、感銘を受けた本に、「気骨の判決-東條英機と闘った裁判官-」というものがあります。気骨を持って、3Sを貫こうとすれば、この世の中、疎外感、虚しさしか残らないのでしょうか?この裁判官吉田久さんのように「孤高」では、ちょっぴり可哀相、かな?余り吠えすぎると、オオカミさんになっちゃうよ。              

 ご推薦の書物は読んでいませんが、時流から孤立して、己の言動にこだわり続けるということはさぞつらいことでしょう。細々ながらも前向きに、臆病ながらも勇気を出して、余りみなさんを怒こらせないように、誰かが分かってくれることを信じて書き続けます。吠えすぎにならぬよう、「子育て支援の方法と少年教育の原点」以降は、「である」調を止めて、「ですます」調に変えました。お気づきだったでしょうか!?                      

福岡市 古市勝也 様

 今年は 「地域総ぐるみで地域づくりを・・・そして、忘れてならないのは、地域づくりは地域人材の育成が大事」をテーマに実証・実践したいです。
 今、市町村の社会教育・社会体育・社会福祉の行政担当者とお会いすると、「生涯学習行政」や「スポーツ行政」が一般行政化してきているのに戸惑いの声を聞くことが多いです。曰く「ボトムアップ、ボトムアップ!と言っていても,地域での学習・スポーツ活動は起こらない・活性化しない。」「地域活動の核になる人を育てる必要がある」と言うのである。三浦清一郎理論の「良い稲を育てるには、田んぼに、あぜを作り、水路を作り、水を引いて、除草して立派に育つ!」を今一度、確認し実践することが大事と思っています。
一般行政の担当者が「地域づくりは人づくり、人は育てる過程が必要である」ことに気付いた町は、地域が活性化しているようです。
今年は、一般行政と社会教育行政の連携による「地域人材育成」に期待・注目したいです。

 1月の岡山フォーラムの「学校改革と地域改革」、2月の山口フォーラムの「地域ぐるみの子育て支援策」の討議が楽しみです。改革にせよ、支援策にせよ具体性が命です。抽象論に明け暮れて来た教育界が仕組みとステージを作れるのか?公的社会教育の真価が問われていると思います。

山口県宇部市 上田展弘 様

 中学校のPTA会長を勤めるなかで感じることは「親も子どもも自分本位、他人の事などどうでもええ」という輩が、私の住む田舎にも増えてきました。憂うべきことです。
 昨今の学校内外での出来事をみていて、W.S.クラーク博士が述べられた、"Be Gentleman"(紳士たれ)のスピリットが子ども達のみならず大人達にも大切であると感じています。

 残念ながら「個を突出させた戦後教育」の結果が出て来ているということだと思います。全体主義に対する懺悔と反省は、「公共」を忘れさせました。個人的権利の主張は、戦後日本の一貫した流れになりました。しかし、個人は全体の中でしか個人に成れません。個と全体のバランスを配慮しなかったことは教育の最大の失敗でした。しかしながら、すでに自分本位の生き方を身に付けた「大人」を変えることは出来ないでしょう。変革には「自己否定」と「新しい学習」の2段階が必要になるからです。大事なことは、一刻も早く、文化的・教育的に白紙に近い幼少期の教育からやり直すしかないと考えております。子どもより先に社会は存在し、「しつけ」は「他者のためにある」ということを保護者も幼児の保・教育施設も忘れているのです。もちろん、ほとんどの学校も忘れているのです。

広島県府中町 中村由利江 様

 長い間「生涯学習実践研究交流会」の実行委員のお役目を担っていただき本当に有り難うございました。これからも「紙芝居のおっちゃん」の巡業が続きますよう祈っております。真夏の原爆公園での英語紙芝居「さだ子」は誰にも真似のできないことです。お便りにありましたように「健やかに」生きたいものですが、時代を覆っている安楽な余生論では「健やか」に生き抜く事は到底無理ですね。頭も、身体も、気も使わない人々が「使わないこと」のゆえに、衰えるのは目に見えています。年寄りには活躍のステージも活躍を勧めるメッセージも無いのです。よれよれになってから体操をしたり、認知症が出てから「能トレ」をしても、明らかに遅いのです。子どもの発達に負荷が必要なように、熟年の活力維持にもトレーニングの負荷は不可欠です。このことが国も、個人もお分かりではないのです。お互い生涯現役を目指して「前向きに」、世の中に遅れぬよう「学び続け」、「人々のお役に立とうとして」ボランティアに参加し、己の老いと「戦って」、周りの方々を「大事にして」2009年も生き抜きたいものです。

佐賀県佐賀市 関 弘紹 様

 古湯温泉での移動フォーラムお世話になりました。首長部局が生涯学習を取りたがる理由は二つありますよ。一つは、やる気のある善意の首長が、まちづくりの総合化を図りたい場合です。あらゆる人間の営みには学習の機能が不可欠ですから、高齢者福祉でも、子育て支援でも、国際化でも、環境保護でも、男女共同参画も、すべてをひっくるめたまちづくりでも、それに関わる人々の研修と教育の機能を自らの権限の下に置きたいということだと思います。首長さんにそう思わせてしまった社会教育の側の無力と無気力にこそ最大の原因があります。過日、古市教授が、従来の社会教育は「要求課題」には応えようとしたが、社会が当面する「必要課題」には十分に対応してこなかったと総括されました。公金を使って、個人の求める「パンとサーカス」の要求に明け暮れるようでは、公共の福祉を目的とする政治に見捨てられることもやむを得ないと思います。
 但し、残りの一つは、政治家の首長が「社会教育」は365日の選挙運動ならぬ選挙運動になり得ると気付いたということです。生涯学習の集いはそれがどんなものであれ、選挙権を有する人々の集まりです。直接の利害関係の衝突も限りなくゼロに近い分野です。顔や名前を売るのには絶好の機会です。かつての大分県の高齢者大学から現在の福岡県のアンビシャス広場まで事業の意味が分からない首長が事業を直轄したがる理由はそこにあります。政治家が独善に陥った時は、どの分野でも辛い時代が続きますが、多選を許さない民主主義の知恵でやがてどこかでバランスが取れて来ますよ。余りお嘆きになりませんように。

福岡県久留米市 矢野邦彦 様

 私は「過保護一世」です。自分の気に入らない事はすべて逃れることのできた時代に育ちました。しかし、振り返って、ありがたいことに、身近な周りがそうさせなかったのか、自分の意志だったのか、困難から逃れようとはしませんでした。今になって、体力の限界に挑戦する事、がまんする事、緊張する事、失敗や挫折を体験する事が、いかにのちの自分に生かされるかを実感しています。自信にもなっています。21年度国立夜須高原自然の家は、1 「体(耐)力」、2 「基本的生活習慣」、3 「社会性」を身につけさせる事を重点課題として取組みます。今年もよろしくお願いします。

 かつて国立阿蘇青年の家ができたとき、近くを通った観光バスのガイドさんが、"向こうに見えるのが軍隊式のトレーニングで有名な阿蘇青年の家でございます"と言ったという話を聞いたことがありました。子どもを「鍛えること」は、そのまま「軍隊式」に置き換えてしまうのが、当時の雰囲気であり、教育現場の思想でもありました。共同体や全体の福祉を考慮すべきだという発言は、「全体主義」だの「右翼」だのと言われた雰囲気もありました。私の福岡教育大学への奉職はそうした雰囲気の中での仕事でした。学生に対する「早朝読書会」、子ども達の「離れ島キャンプ」はそうした雰囲気への異議申し立ての企画でした。大学の学生会館は、当時の「革マル」と呼ばれた学生集団に占拠され、教授会には不法占拠に同情を示すメンバーもいて、大学は全く為す術もありませんでした。「世の中で認められない事は大学でも認めてはならない」と発言しただけで筆者は「反動」の代表であるかのように言われたものです。その頃から「子どもの主体性」論は全社会的に浸透したのです。自然の家の方針は、まさにご指摘の通りですが、「敵」は欧米の「児童中心主義」や「受容」の理論にかぶれた教育学者や指導主事です。今や多くの教員も、保護者もその傘下にあります。批判は「子どもの主体性を無視した"させられ体験"」という形で出てくる事でしょう。プログラムの実行には重々お気をつけ下さい。
 拙著「しつけの回復・教えることの復権」をお送りしていますが届いたでしょうか?

福岡県宗像市 賀久 はつ 様

 「親育てはPTAでは遅すぎる」。「出産から親を育てないと学校教育が危ない」。私にはそうした危機意識がありました。昭和53年から助産院を開設し、59年からは月1回の「ほっと・スポット」と名付けた「母子の集い」を開催して参りました。核家族化の進行とともに子育て文化が若い世代に伝わらないという実態があったからです。しかし、自分のやった事は、砂漠にじょうろで水を撒くような思いでした。気がついたらいつしか70歳を超えておりました。昨年から「風の便り」をお送りいただき、励まされて、新しく3か所に「ほっと・スポット」を増設することができました。残りの人生を多くの母子と家族の「守役」として過ごしたいと願っております。

 12月9日付けのメールは拝見しておりませんでした。今回、あなたの「志」、よくわかりました。それぞれの「戦場」で戦う戦友のような気がします。われわれ高齢者にとって、やがて地縁も、職縁も、時には血縁ですらも消滅するでしょう。その時己を支えるのは「志縁」だと考えています。地域ぐるみで子どもを育てることも大事です。隣近所が高齢者の老衰を見守り、孤独な死を防止することも大切ですが、志を同じくするものが地域の枠を越えて活動を支え合うことはさらに重要であると考えています。「風の便り」にいただいた最大の賛辞と受け止めております。有り難うございました。
 


 


 

←前ページ    次ページ→

Copyright (c) 2002-, Seiichirou Miura ( kazenotayori (@) anotherway.jp )

本サイトへのリンクはご自由にどうぞ。論文の転載等についてはメールにてお問い合わせください。