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生涯学習通信

「風の便り」(第108号)

発行日:平成20年12月

発行者:「風の便り」編集委員会


1. 「実践」の3類型

2. 「実践」の3類型(続き)

3. MESSAGE TO AND FROM

4. MESSAGE TO AND FROM(続き)

5. MESSAGE TO AND FROM(続き)

6. お知らせ&編集後記

「実践」の3類型

1 「やっていること」と「やるべきことをやっていること」と「結果が出るようにやっていること」

 第87回生涯学習フォーラムin佐賀は、二つのシンポジュームの討議が隔靴掻痒の上に、3種類の実践の区別ができていないので身体にさわるほどにストレスがたまりました。学校教育も社会教育も理論の貧困が実践の貧困を生み出していることが明らかでした。
 3種類の「実践」とは、「やっていること」と「やるべきことをやっていること」と「結果が出るようにやっていること」です。当然、3つとも実践であることに疑いはありませんが、中身は「天と地」ほどにちがいます。多くのまじめな関係者ですらも3類型の違いが身に滲みて分かっていなかったところに混乱の原因がありました。
 筆者は佐賀市勧興公民館の実践を高く評価しています。インタビューダイアローグに勧興公民館を登壇させた実行委員会のみなさんも当然高く評価していた筈です。
 筆者が勧興公民館の実践を評価する理由は、やるべき事をやって、「結果」を出しているからです。実践の成果が明らかで、現代の地域社会から欠落しているものを補完し、子どもが変容し、多くの住民が力を出し合い、実現すべき事が実現でき、大人も子どもも「できないこと」が「出来るようになっている」からです。
 例えば、「不登校児」を定期的に事業に参加させ、適応指導学級生に「ものづくり」と「物売り」の役割を担わせています。彼らは「現場」に参画し、着実に社会に復帰しています。ストリートミュ?ジシャンは照れながらも、公民館の前庭で演奏を披露していました。彼らもまた、自分たちの表現のステージが公民館にあると感じたが故でしょう。オヤジたちもカレーづくりに挑戦し、近所の人々が「まつり」の日には殺到します。支えているのは職員だけはなく、近隣の有志です。それも公民館が発掘した地域の人財です。不登校児から大学生まで、年寄りの音楽グループから障害者まで世代間交流も、近隣恊働も目の前にあります。
 筆者が勧興公民館の実践を褒め過ぎたせいでしょう。他の公民館も同じようにいろいろやっているのだ、という同意を求める声が会場から出ました。発言者を始め、多くの実践者は、「私たちも一生懸命やっているのだ」という自負がおありになったことでしょう。しかし、実践には3段階の類型があるのです。換言すれば、「やっていること」のレベルと中身が違うのです。

2  正確な診断、正確な処方

 実践のレベルと中身の違いを自覚しなければ、従来のさまざまな社会教育の研修会・研究会と同じです。「あれもやっている」、「これもやっている」、「内でもやっている」「みんながんばってやっている」で終わりです。
 現実を点検してみて下さい。
どこの学校が不登校児を学校に集めて、彼らが参加できる催しものができるでしょうか?彼らは、学校が嫌いで、先生を信頼していないから登校できないのです。ましてや雰囲気の違う公民館に自ら進んで行ける筈は無いのです。趣味とお稽古事に明け暮れ、子どもや一般人の要求に応えることが社会教育だと考えている公民館に、不登校児を招待して、彼らのステージを作るという発想は生まれないのです。さらに、不登校児のステージをつくり、彼らに「やってみよう」と思わせる応援と実践はなおさら難しいのです。
 出来上がった企画を見、まつりの実態を見れば、「なんだこんなことか」と思うかも知れませんが、真似が出来るものだったらやってみて下さい。
企画の背景には、地域が当面し、子どもが直面している必要課題の正確な診断があるのです。「やているだけ」の社会教育(学校教育も同じです)実践は、課題の診断が不正確な上に、人々の個別要求に応えることが、社会教育の課題であると勘違いしている傾向があります。趣味とお稽古事に明け暮れる社会教育の最大の問題点です。
 一生懸命やっていても「やっている」だけの実践と、「結果を出している実践」とを同等に比較する事などできないのです。現行の教育界は、「結果を出して評価する事の重要性の自覚が薄いのです。それは社会教育のアカウンタビリティが低いということです。
 近年関わって来た学校教育も事情は同じです。一生懸命やっておられる先生方も、学校も沢山存在します。しかし、子どもが当面する教育課題の答えは出ていないのです。
 教育現場には、3類型の実践に加えて「新しいことは何もしない」という不作為があって、実態は4種類に分かれます。
 もとより「不作為」は、関係職員の使命感と熱意の欠如の結果です。3段階の実践にも、使命感や熱意が大いに関係していることは言うまでもありませんが、役割を分担する職員はおよそ5種類に分かれます。
第1類型は何もしない奴、何もしたくない奴、「給料分」も働かない奴、がんばる人間を中傷する奴です。
第2の類型は言われたことだけする人。自分からは何もしない人です。
第3の類型はふつうの人。波のある人。事と次第で張り切り、事と次第で逃げ腰で、事と次第で協力的で、事と次第でむくれる人です。
第4の類型は何ごとにも、前向きに、熱心に取組む人、誰の仕事にも協力的な人です。
第5の類型は仕事に使命感があり、工夫や研究に熱心な人で、人に助けを求め、求められればよろこんで人を助ける人々です。


 


 

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