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風の便り

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生涯学習通信

「風の便り」(第108号)

発行日:平成20年12月

発行者:「風の便り」編集委員会


1. 「実践」の3類型

2. 「実践」の3類型(続き)

3. MESSAGE TO AND FROM

4. MESSAGE TO AND FROM(続き)

5. MESSAGE TO AND FROM(続き)

6. お知らせ&編集後記

MESSAGE TO AND FROM (続き)

福岡市 西島彦一郎 様

 社会教育の勉強会における現代メディア論の展開は北九州の仲道さんから毎回報告をいただいております。西部 邁さんが指摘するとおり、民主主義社会では、主権在民の建前から、市民の意志が第1ですね。市民の意志が政治を決定し、その市民の意志はメディアが代表するという現代の構図は、メディアをまさしく司法、立法、行政の3権の上を行く第1の権力に押し上げました。メディア関係者は、ある種、現代の特権階級と化し、スターになりました。ちやほやされるようになった分、目配りや勉強が足りなくなったですね。特に、テレビメディアの番組たるや、国の根幹にかかわる事態に対し、勉強不足で、時に「あほ」の限りですね!!我が分野に関しても、少子化が大変だと謳い、年寄りの医療費が限界だと煽り、基本的人権が大切だとわめきながら、子育て支援策も、女性に対するDVへの対処も、高齢者政策も創造的な提案は皆無に等しいですよ。過疎問題への提言などもほとんどありません。日本国民を「パンとサーカス」に追い込む音頭をとっているメディアの責任は重いですね。

東京都 江島通子 様

メッセージ送りつづけるのって精神力いりますよねぇ〜!
一人相撲してる?って、時々思いますか?
私の場合は、相手の声が聞こえるから、心トキメキながら仕事ができています。
自分が考えた初回の漢方処方が一定期間を経てどのような効果をもたらすのかを確認するのです。変化はあったのか、それともなかったのかを確認しながら、次の処方を考えていくのです。
そこで提案!
昔からラジオなどでリスナーが積極的に番組に参加するために使われている手法ですが、読者が抱える問題を取り上げ、やり取りを掲載しては如何ですか?
もちろん、あなたが選んだ事例についてですが・・・。
読者からの事例を選別するのも大変。そのやり取りも大変でしょう。でも大変なことにチャレンジするのも力になりますよ!
思いつきで書き並べていますが、参考にならないときは即時に破棄してくださいね!

 私がカウンセラーだったらためらわずにご助言の通りにするでしょうね。しかし、自分はカウンセラー失格です。人の相談に乗っても、大方は,相手を傷つけるか、大げんかになるのではないかと心配です。いつかも書きましたが、カウンセリングのプロセスにおける「受容」の重要性は納得しながらも、「ああ、そうなの」、「わかるわ」、「大変だったわね」、「つらかったでしょうね」、「それであなたはどうしたいのですか?」、「ああそうなの」、「わかるわ」と「待ちの姿勢」で、繰り返すような辛抱強さがないのです。きっと「いつまでぐずぐず言ってんだ」、「誰の人生にだって3つや4つ思い通りにならないことはあるもんだ」、「自分で決められないのなら、人に決めてもらってやってみな」、「但し、その人のせいになんかするんでないぞ!」、「さっさと試してみな!」、「能書きはやってから言え」ぐらいのことは言うでしょう。
とてもとても、怖じ気づいて「読者参画番組」にチャレンジどころではありません。でも、ご提案ありがたく、多謝!


福岡県立花町 中 村 富 治 様

107号で日本人の気弱な無軌道が続いていることを書いてありましたが、私も全く今の日本人は「規範意識を失ってしまっているように思えてなりません。
 先生の論文を読みながら、いつだったか、福島県に旅したとき、「ならぬものはならぬものです」と大きく書いた青少年健全育成の啓発看板を見たことを思い出しました。江戸時代会津の侍の子供たちは地域ごとに10人くらいのグループで少年団を作っていました。これを「什」と呼んでいたそうです。この「什」にはしっかりしたきまりがありました。そのきまりの中身は「什」ごとに多少違っていましたが、最後には必ず「ならぬものはならぬものです」が入っていたそうです。人間として「していいこと」と「してはいけないこと」この判断ができなくなっている人がなんと多いことか、大人も、子供も、企業の経営者も、政治家も、もう一度、人間としての決まりを守る規範意識をしっかりと植え付ける教育がぜひ必要ではないかと思いました。

 戦後教育は社会貢献の使命感と理想を教えて来ませんでした。しつけにおいても、教育においても、個が突出して「他者のために生きる事」はほとんど教えていませんね。社会教育も個人の要求課題の対応に負われて、地域課題も、共同体の課題も忘れています。国家の課題などを論じるものなら「反動」呼ばわりを受ける時代が長く続きました。「個人の欲求に応える事」が「善」であるという前提で教育が行われれば、個の福祉(自分の幸福)と全体の福祉(みんなの幸福)のバランスは崩れますよね。「規範の喪失」に限らず、「我が子主義」も、「モンスターペアレント」も、「安楽の余生」に明け暮れる高齢者も、戦後教育の「個の突出」の付けではないでしょうか?「個の時代」からあたかも見捨てられた感のある「地域婦人会」が果敢に「必要課題」に挑戦しているのは偉いですね。彼女たちが組織運営の方法を抜本改善して生き残り、新しい生涯学習と社会貢献のモデルを提示して欲しいと切に願っています。


東京都 近藤真紀 様

 先日、大島まな先生が当センターへおいでになり、八木山小学校の取組についてお聞きしたところでした。
 客観的に見た課題はあったようですが、本年度も素晴らしい発表そしてパワーアップした内容もあったということ、とてもうれしく思うと同時にもう少し関わりたかったという気持ちもわいてまいりました。
(中略)
 前回、先生にご相談申し上げた新たな「公共」の形成についての調査研究についてですが、先生がおっしゃられたように「失われた公」を取り戻す、「社会の一員」としての意識を培うというこれまでも社会教育がめざし、行ってきたこととかわらないという思いが強くなってきました。では、なにが「新しい」のかということがまだまだ課題となってはいますが・・・

 八木山の子どもの素晴らしさは「教師の力」が発揮された結果だと思います。昨年の取り組み以来、教育という舞台の主役は子どもから教師に移行したのだと思います。教師の中に「こういう子どもを育てたい」という明確な子ども像が確立し、方法論が確立し、自分たちがその子ども像の実現の責任を負っているということを共通理解した結果だと思います。校長先生が職員の先頭に立ったことは発表会を拝見してよく分かりました。昨年の練習中に見られた「子どもにできるのはここまで」と、先生方が子どもの能力を見切ることをお止めになったことも、子どもの表現力の進化に大いに貢献したと思います。圧巻は「八木山エアロビックス」でした。去年に続いて指導した木下愛子さんは、かつての全日本で競った選手として、自分が踊ってみせる演技を下級生にも手加減しなかったと思います。「八木山エアロビ」の迫力」はそこから発しています。「教科教育」のような積み上げ型の指導領域以外、世の中の諸々のことは年齢による「手加減」は無用」だということを学校が理解した結果ではなかったでしょうか!
あなたが背負った「新しい公共」の宿題は「他者のための配慮と貢献」を原点とするものだと思います。現象的には、温暖化、情報化、少子高齢化などの新しい課題の出現によって「配慮と貢献」の中身が新たに追加されたということだと思います。佐賀県庁の関さんや生涯学習センター:「アバンセ」のみなさんが応援して下さった「第87回生涯学習移動フォーラムin佐賀」は、個人的要求の充足という戦後教育が唱え続けた「私主義-個人主義」の原則に振り回されて、教育論議が迷走しました。社会教育もあらためて「新しい公共」の自覚的検討が必要だということだと思います。人々の要求を充足し、子どもの望みに応えれば世の中は良くなるなどということは幻想に過ぎません。日本人の基本教養の中から使命感と目的意識が欠落したのは、歴史が培った「他者や共同体への貢献」の教訓を教えてこなかったところにあると考えています。
 


   

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