今日が誕生日でした。体組成計に乗ったら39歳に表示が変わってました。Facebookなどでたくさんのメッセージをいただき、ありがとうございました。
なんだか、自分が若い頃には、30代後半やそれより上の人たちに対して、無意識に精神的な距離を感じるものでした。自分がそう感じたことを振り返れば、若い子たちから自分がそういう風な距離感を持たれていても不思議はなくて、そういうものなのだろうと思います。まだわかりませんが、多分40代でも50代になっても同じようなものなのでしょう。自分の気は変わらなくても相対的に歳だけ取っていく感じ。それと僕の世代くらいまでな気もしますが、なぜか40歳前後になると、バカボンのパパを基準に歳の取り具合を感じる人も多いと思います。僕もあと2年でバカボンのパパに追いつくのか、と思うと何とも言えない気になる反面、歳を取ること自体は大して悪い気はしないです。毎年書いてる気がしますが、若い時分には人生生き辛く感じたものですが、そういうところは年々軽くなっていくのを感じます。若くて生きる毎日もいろいろと嫌なことや面倒くさいことが伴うものだし、若さを手放しで羨ましく思う気持ちはあまりありません。
あと、最近思うのですが、ゲームをしている自分の様子を振り返ると、自分の性格や生き方の傾向がよく見えてきます。積極的に勝ちに行かないし一番を取りにいかない。負けないゲームは組めても、いざ勝とうとしても勝つゲームが組み立てられない。利己的に勝ちに行っても勝てない一方で、余計な計算を捨てて目の前のことを必死でやると道が開けたりとか、自由度の高いゲームだと、変なスキル上げとか余計なクエストばかりやってレベルがなかなか上がらないとか。ゲームの仕方に自分の生き方が投影されているのだなと思います。なので、政治家が碁をやったり経営者がゴルフをしたりするのは、そのゲームの前後の飯の時間や交流も含めて、人を見るということでは理にかなっているのだなと思う次第です。今思えば、子どものゲームの仕方にもその子の気質が出ていたと思うので、子どもの様子を見れば、案外その子の将来を考える材料になるかもしれません。
仕事については、新年のおみくじに「一心に自分の仕事大事と励みなさい」と書いてあったので、それを実践しています。自分が大事だと思う仕事を、大事な仲間と一緒に仕事できる環境で仕事に没頭できるのはありがたいことです。これで怠けるのは罰当たりな気がしますので、力いっぱい仕事に励みたいと思います。40歳を迎えるまでもその次の10年も、存分に仕事できたらそれで十分に幸せだろうと思います。
というようなことを考えつつ、また一年後にはどういう心持で何を考えているのか楽しみにしつつ、この一年を過ごしたいと思います。