日本のシリアスゲーム研究、今後の課題

 先日、東京大学で日韓国際シンポジウム「オンラインゲームの教育利用~なぜオンラインゲームは教育に役立つのか?」が開催されたので参加してきた。会場の福武ラーニングシアターは満席。この会場のある福武ホールには完成してから初めて訪問したが、とてもかっこよい施設だった。
 会の詳しい模様はメディア関係者がしっかり参加していて、しっかり取材してよい記事を書いてくださっているので、そちらを参照していただくことにして(記事リンクまとめ)、少し日も経ってしまったこともあるのでここでは個人的な所感を。


 シンポジウム最後のオープンディスカッションの冒頭で、今回のイベントのまとめ役である東京大学の馬場教授が「今日は大変意義深い日だ」とコメントしていたように、この日のイベントは、日本のシリアスゲーム普及を一歩前進させる大きな意義を持つものとなり、シンポジウムの内容も日本のシリアスゲームの現状と課題を示すものとなった。
 馬場教授のゲーム研究グループがシリアスゲームに関心を持ち、このテーマで研究会を催したのはちょうど4年前の2004年12月のこと。当時は、最初のシリアスゲームサミットがGDCで開催されたのが2004年のことで、シリアスゲームが現在のように普及するようになる以前のことだった。
 その後、「ゲーム脳」論議の悪影響などで否定的な見方の強かった日本のゲーム研究のイメージを改善する役割を担ってきた馬場教授は、2006年に自らが委員長となって取りまとめた、経済産業省の「ゲーム産業戦略研究会」で、ゲーム産業と他産業をつなぐコンセプトとしてのシリアスゲームの重要性に言及したり、2007年に東京大学で開催されたDiGRAカンファレンスでも海外の最新のシリアスゲーム研究に日本の研究者が触れる機会を提供したりするなど、シリアスゲームをゲーム研究発展のための一つの軸として捉え、積極的に普及に努めてきた。
 米国とはシリアスゲームを取り巻く背景も研究環境も異なる日本で、同様の普及の動きを期待することはできない。米国で活動の支えとなっている非営利財団のスポンサーシップも、資金をうまく活かして発展させる人材も十分にはいない。今回のシンポジウムは、そのような現状を理解する馬場教授が、打てる手が限られた状況の中で、この研究分野の発展を継続するための次の一手となるような知恵が絞られた企画だったことが伺える。
 馬場グループの研究プロジェクトは、日本でもおそらく初めての大規模予算がついたオンラインゲーム研究プロジェクトで、予算がついたことで周囲の期待も高まるものだが、国の研究予算というのは一般の人が考えるよりもずっと使いにくい。大規模といっても専門スタッフを十分増員するには足りない。使い道も限られ、複数年継続的に研究が行える環境が得られただけでもありがたいという、かなり厳しい状況で優れた成果を出すこと目指さざるを得ない。
 そんな中で、シンポジウムのようなイベントの企画は工夫の余地のあるところ。今回のシンポジウムで示された研究成果はいずれも「オンラインゲームは教育のための有効なツールとして利用し得る」可能性を示すものであり、欧米の先行研究と比較して、新たな視点を提示する要素は特になかったと言ってよい。むしろ、今回は新たな視点というよりは、むしろ日韓の研究が欧米のこの分野の研究に後れを取っていないこと、日韓ともに官や産との連携が進みつつあることを示すことにその趣旨があったと見る方が適切である。
 馬場教授が今後の研究方針として打ち出している「オンラインゲームがなぜ有効なのか、どのような条件で有効性が増すのかをより詳しく研究して、教育方法として整備していく」という点は、すでに米国の研究者たちはこの段階に進んでいる。そしてこの段階は、単に可能性があることを示す研究よりも煩雑で実践に役立つ結果を出すのは容易ではない。そのため米国でもここ2年ほどは一時の盛り上がりに比べて落ち着いている感もあるが、それはすでにオンラインゲームの研究をした、というだけでは目新しくなくなったせいであって、米国さらには欧州各国で進んでいる研究の成果は着々と出てきている。
 そのような状況で、このシンポジウムでは日本の研究の代表例として、馬場教授、坂元教授のそれぞれのこれまでの研究成果と、韓国で行われてきた研究が対比されるように提示された。このような構成になっていたおかげで、今後の研究を進めていく上での、日本側に一つ大きな抜けがあることが浮き彫りになった。韓国側からは教育工学者のソ教授が学習理論や教育方法の専門知識を持って研究を進めているのに対し、日本側はその部分が抜けていることだ。これは単にこの場にいないという話ではなくて、研究分野全体の問題を浮き彫りにしている。
 日本の教育学者の多くは、むしろゲームを敵視しているか、あるいは新しいメディアには無関心な層なのが現状。従来から独自に関心を持って長年研究を進めている秋田大学の研究グループのような例は一部あるものの、この分野の関心は教育学領域では周辺的な位置づけで扱われがちなため、なかなか注目を集めにくいという状況にある。
 新しい教育技術に関心のある人の集まる教育工学者はどうかというと、残念ながら日本はこの分野の人材層が薄く、現代的な教育問題が満載の社会状況下では、ゲーム研究をメインフィールドとして活動する研究者は出にくい状況にある。かたや韓国には、米国で教育工学の学位をとった研究者が毎年何十人という単位で帰国して、韓国の教育機関で活動している。国内にも教育工学専攻の高等教育過程が女子大も含め複数存在する。
 なのに日本は、という常套句を今更使う気はないが、この手の研究をする時に必要な専門知識を持った人材がいないという日本の窮状も、このシンポジウムが示していることを見落とすべきではない。ソ教授が解説しているように、教育工学分野ではすでにこの性質の問題は長年扱っており、昔から新しいメディアが登場するたびに「○○は教育効果があるか?」というような比較実験が行われてきて、そういう問いのたて方自体が誤っている面もあるという知見もすでに持っている。
 それに「なぜオンラインゲームが教育に有効なのか」ということへの答えもある程度のところは答えが出ていて、答えの出ていないところを掘り下げていくのが現在の研究関心となっている。それらを踏まえずに既にある「車輪の再発明」を行うようでは、リソースの限られた日本のオンラインゲーム研究にはその後停滞が待っているだろうし、逆に何か新しい知見を出せれば、それが即座に日本の独自性を示すことにつながる。
 このような難しい状況にある日本のオンラインゲーム研究、ひいてはシリアスゲーム研究の先頭に立つ立場となっている馬場教授の研究グループは、次のこのような場で期待される成果を出していくことができるかが勝負になってくるし、実際ここから先が難しい。残りのプロジェクトの期間が正念場ともいえる状況にある。同様の研究プロジェクトが複数あればよいのだが、実際にはほとんどないのが現状で、皮肉なことにそれが日本のシリアスゲーム研究の厳しい事情をそのまま示しているとも言える。