日テレの「太田光の私が総理大臣になったら・・・秘書田中。」で、太田総理のマニフェスト「ガソリン税を撤廃します」をテーマに、道路特定財源問題を議論していた。
TVタックルのたけしと同様、爆笑問題が言っているから聞く耳を持つ、そのテーマについて考えてみようという気になる視聴者は結構いるのかもしれない。同じテーマをサンデープロジェクトでやっていても見ないけど、この番組ならみるという人もいるだろう。他のメディアでは届かない人たちでもこの番組だから届く、という効果が大きければ、この番組の持つ、情報提供メディアとしての機能や、その社会問題について考えるきっかけを与えるアウトリーチプログラムとしての役割は大きいということになる。今のテレビ番組はつまらないつまらないと批判されるが、よく見ていくといい番組もあるし、テレビのメディアとしての力はバカにしたものではない。
この「太田総理」のあと、テレ朝の「ニュースステーション」を見ていたら、同じく道路特定財源の無駄遣いの問題が取り上げられていて、マッサージチェアやカラオケセットのほかに、「みちぶしん」という道路開発をテーマにしたミュージカルのスポンサー予算も道路特定財源から出ていたと報じられていた。
「みちぶしん」という作品がどういう経緯で作られたのかは知らないが、スポンサーシップのなかで考えた場合、テレビ番組であれ舞台パフォーマンスであれ、スポンサー側が考え方や趣旨に賛同できるものに資金を提供するのが当然であり、何の関連もない分野に中立的な立場で協力するというのはチャリティー以外では成立しない。
通常の方法で道路開発の意義を説明したのでは届かない層に向けて、形を変えて情報や学習機会を提供するという考え方は、アウトリーチの取り組みの一つである。道路特定財源から出したことの是非や、ミュージカルというアプローチが適切だったかは別として、公的な機関がミュージカルのスポンサーになること自体を否定したのでは、アウトリーチプログラム自体が立ち行かなくなってしまう。
このような形でマスメディアの批判のやり玉にあがってしまうと、今後の同じ様な取り組みがやりにくくなるし、こういう理屈で難癖が付けられるということになると、間接的には産学官連携の取り組みにも被害が及ぶ。度が過ぎたことになると、テレビ局も公的なスポンサーが取りにくくなって結果として困るだろう。マッサージチェアを買うのとミュージカルに金を出すのとは性質がまるで異なり、批判の方向も異なることを考える必要がある。
そもそも、このような無駄遣いが起きているのは、官庁の単年度主義の予算運用のルールに問題があるのであって、そこを批判せずに現象面だけ取り上げても意味がない。各部門でとった予算が年度末に余って、その使い道としてとりあえず適当なものに使うというようなことは、国交省でなくても自治体でも国の予算をもらった研究機関でもどこでも起こっている。
たとえば、年間数千万のプロジェクトを複数年で予算をとったとしても、年間の予算は単年度で使い切らなければいけないし、さらにたちの悪いことに、初年度は後半から予算執行になることもあるし、補正予算で年明けに予算が下りたりした場合には、年明けからしか予算が使えなくなったりすることもある。そうなると、実質数か月で年間予算を消化しなければならない。予算は持ち越せないため、すべて使い切ろうとして必要もない設備や資料をぜいたくに買って帳尻を合わせることになる。大規模プロジェクトほどその金額が大きくなっていき、非効率な予算消化があちこちで行われる。無駄なことこの上ない。
しかし、誰も無駄遣いしたくてそんな無駄遣いをしているのではなく、ひとえに運用ルールに問題があるからそうなっているだけだ。取れた予算を節約して大事に使える方向にルールを変えないと、他でも同じような問題がまた起きる。道路特定財源の無駄遣いという個別の現象としてとらえるのでなく、行政面の非効率な制度の問題としてとらえないと、今度はほかの省庁で問題が起きて、また締め上げるルールを制定して、という繰り返しになるだけだ。そうしていくうちに、動きがとりづらいだけの社会になって、誰も幸せにはならない。