2007年問題−その4 「親孝行したくないのに親が生き」
−肉体の孤独、精神の孤独−
介護は子育てと同じく家族に属する基本的な「私事」でした。お宅のおばあちゃんのお世話はお宅でしてください、というのが原則でした。しかし、高齢化の進展と共に、老老介護の悲惨が続発し、子どもによる親の介護も様々な破局を迎えるようになりました。介護保険制度の導入は私事であった介護の社会化(外部化)を意味しています。人生50年の時代に比べて、人生80年の時代は熟年期の危機の要因がはるかに増大したのです。象徴的ですが、「長寿社会」という用語はほとんど姿を消し、「高齢社会」にとって代わられました。長生きが必ずしも寿ぐべき「目出たいことではない」と人々が実感したからでしょう。
世代論で言えば戦前、戦中の世代は戦後世代にくらべれば、比較にならぬほどタフです。我慢強く、粗衣粗食に耐えます。戦後の瓦礫の中から今日の日本社会を作り上げてきたことを想えば他のどの世代と比べても働き者であることは疑う余地がありません。問題は、そのタフで働き者の世代ですらも今や見るも無惨に衰えたということです。何よりの証拠は彼らが依存した医療保険は破綻に瀕し、介護保険はそこかしこで大赤字になっていることです。団塊の世代から始まって、今度は柔な世代の定年が始まります。「タフな」先輩世代ですら無惨に衰えたわけですから、戦後世代の定年が大混乱をもたらすことは推して知るべし、でしょう。原因は二つあります。二大要因は熟年期のダブルパンチと呼んでいいでしょう。
一つは人々が、定年後「労働」から「活動」への移行に失敗することです。労働の季節が終り、社会に貢献する関係を失えば、社会から「必要」とされなくなります。社会にとって己の存在が「無用」ではないかと想い始めた時、人が生きる意欲を失うのは当然のことです。それゆえ、定年後は社会に貢献する新しい活動を始めなければならないです。高齢者のボランティア活動が重要なのはそのためです。
もう一つの要因は熟年が「楽」をし過ぎたことです。老いは心身の機能の衰えを意味しますが、だからこそ程々の「負荷」を掛けて心身を鍛え続けなければならないのです。「楽」を続ければ心身の衰弱は加速します。しかし、日本の社会政策は福祉も教育も人生50年時代の発想そのままに、「楽な余生」をプログラム化しました。老人センターも高齢者学級も趣味と教養と軽スポーツと歌と踊りと風呂を準備したのです。年寄りがふやけて活力を失うことは火を見るより明らかだったのです。頭も、身体も、気も使い続けなければその機能を失います。それが生理学上の人間;感覚体の必然です。戦前・戦中のタフな世代ですら「楽」を続ければ熟年期の衰弱は必然です。結果的に熟年の肉体の孤独、精神の孤独はますます高じて行くのです。
● 1 ● 誰も代わりには生きられない
肉体の成長が完成した後、加齢と共に肉体が衰えるのは人間の必然です。生老病死は人間の基本的苦悩であり、熟年の危機の大部分も肉体の衰弱に始まります。しかも肉体に関わるすべての現象は、人間が存在する原理の上で、本人以外には図り知ることが出来ません。それが「存在の個体性」です。臓器移植が極限まで進んだ場合はともかく、今の段階では人生は「誰も代わりには生きられない」のです。それゆえ、「他人(ひと)の痛いのなら三年でも辛抱できる」というのは日本の諺の中でもっとも率直な名言です。「存在の個体性」は若く、活力に満ちた時代には忘れ果てていた人間の肉体の孤独を直撃します。衰弱の辛さは「誰にも代わってもらえない」という事実を明快に自覚させるからです。人間の五感も筋肉の衰えも、元気に過ごした若い時の記憶が鮮明であるほど、我々に肉体の孤独を突き付けます。熟年は老化という生物学上の必然的宿命にたったひとりで対応しなければならないのです。「個体性」の故に「共感者」に巡り会う事も容易ではありません。痛みも、機能不全も、物忘れも、言語障害もすべて個体に属する衰弱だからです。「一人」であることを肉体の衰弱によって思い知らされるのです。熟年期は衰弱する肉体に対する心身の抵抗のプロセスであると言って過言ではないのです。
● 2 ● 精神と肉体の乖離
幸か不幸か肉体の衰弱と精神の衰退は必ずしも連動していません。肉体の衰弱は熟年期の必然ですが、精神の衰退は決して必然ではありません。それは精神と肉体の「乖離」と呼んでいいでしょう。もちろん、肉体と精神が必ずしも連動していないことを幸とするか不幸とするかはひと様々の事情によるでしょう。肉体が衰えればふつう気力も落ちます。衰弱の過程にあって精神を溌溂と保つのは中々できないことです。それゆえ、熟年の意気軒昂は精神の孤独、精神の名誉の問題です。こわれやすい「ひ弱な存在」である人間としては見上げたものであり、多くの人々の尊敬をかちうるのはそのためでしょう。
アメリカでベスト・セラーとなった「モリ?先生との火曜日」(*1)に登場する社会学者モリ?・シュワルツは、「筋萎縮性側索硬化症」という難病と戦いながら、肉体がすべてのはたらきを停止する最後の瞬間まで精神を屹立させ、その優位を貫徹し、人々に惜しまれ、人々に感謝を忘れず、衰弱と死という「生物学的必然」に頑強に抵抗しました。愛弟子のミッチ・アルボムの対話や観察は涙なくしては読めない人間の精神の壮絶な戦いの感動的な記録です。我々も、かくありたい、という願いがベストセラーの背景を成しているのだと想います。
(*1) Teusdays with Morrie, Mitch Albom,
Doubleday,1997(邦訳はモリー先生との火曜日、別宮貞徳訳、NHK出版)
● 3 ● 精神の名誉と誇り
(1)予見の不幸
しかし、精神と肉体の関係がモリ?先生のように常に運がいいとはかぎりません。肉体の衰えに精神が連動するのはごく普通の現象だからです。からだが衰えてくると「気が弱くなる」のはある意味の人間の自然だからです。最近では加齢とともに精神的な視野が狭くなることが分かっています。過去にこだわり、状況の新しい展開を理解できなくなって行く「視野狭窄」の現象と呼ばれています。
人間の精神は未来を事前に「予見」する事ができます。衰弱の未来も予想することが出来ます。からだのあちこちが痛み、何をするにも昔のようには身体がいう事をきかないのは老衰の結果です。熟年期は筋肉も、肌も、髪の毛も、反応速度も、新陳代謝率も、総肺活量もすべてが衰えます。いわゆる「老衰」と「老醜」は肉体にも、精神にもともに起こり得ます。その見通しがはっきりしてくればはっきりしてくるほど気がめいるのは当然でしょう。そういう状況のなかで、明るく生きている熟年はまことに「良く戦う熟年」と呼ぶべきでしょう。矢野一郎氏はモリ?先生と似たような志を抱いています。矢野氏は(財)地域社会研究所の理事長を務めた人ですが、80歳を過ぎたときでも「少なくとも老いと病とに立ち向かって、残っているわが心身の能力を挙げてこれを迎え討つだけの根性をもって生を終りたい。何となればおれはまだ人間なのだから。」と書き綴っています(*2)。
天晴れの気迫ですが、これもすべて健全な精神の為せるわざであると言わなければなりません。「定年鬱病」や「生き甲斐喪失症候群」が増大する昨今では(*3)、「健全な精神」が「衰弱する肉体」を迎え討って戦うという矢野流の「逝き方」も極めて困難になっているのです。しかもこの事実を矢野氏自身が事前に知っている筈です。「視野狭窄」やボケを始めあらゆる生老病死・人生の悲哀を事前に察知できること事態が精神の孤独に繋がっているのです。
(2)「介護する不幸」、「介護される不幸」
さらに衰えて行く熟年にとって他者との関係は別の悲惨を予想させます。自分の衰弱が近い未来に介護を担当してくれる「他者」を巻き込むことを知っているからです。十中八九ほぼ間違いなく介護者には著しい心身の負担をかけることになる筈です。他者に迷惑と厄介をかける事は、時に(あるいは必然的に)己の誇りも自尊心も捨てることを意味しているのです。
多くの人は何でも自分で始末をつけるように育てられ、かつまたそうありたいと自らを律して生きています。そうした人々にとって、他者の情けにすがる以外に生きる事が出来ない状況に陥ることは、想像を越えた辛さでしょう。自律した日々、自立した人生を誇りに想う人ほど他者への依存は独立独歩の誇りを傷つけることになるからです。少しずつその実態を現わしはじめた「介護」の現実は至る所で、「介護する不幸」と「介護される不幸」を明らかにしています。精神が肉体から相対的に独立している時、機能不全に陥って行く肉体を目前にして、誇りある精神の孤独はますます際立って行くのです。
老いのもたらす衰弱は最も精力的に生きたひとりであるアメリカ大統領の精神ですら食いつぶしてしまいました。老いに例外はないのです。周りの人々も自分が愛した身内や友人の溌溂とした日々の記憶が鮮明であればある程、精神の働きを失った彼らを見るのは辛い事でしょう。人間に魂というものがあるとすれば、老いの果て、衰弱の進行の中でそれはどこへ行ってしまうのでしょうか。肉体の衰弱と精神の衰退、介護に当たる者は時に愛する者の二重の衰えに立ち会わなければなりません。欧米も日本も高齢社会における介護の実態が通常の人間に耐え得る程度のものであれば、「介護保険」の導入はなかった筈です。「介護保険」の導入こそが、老いの過酷な「負担」であり、衰弱の「悲惨」と「不幸」の象徴なのです。
人間の誇りも名誉も精神に帰属しています。己の誇りを守ろうとすれば、肉体の衰えとともに衰えていくであろう精神を予想することは耐え難いものになります。「精神の衰退した自分」は自分ではない、と多くの人々が考える筈です。自分をコントロールできない自分は自分であってはならないのです。そのように考える人にとって気力・体力ともに衰えて他者の「厄介」にならなければならない未来は耐えられないのです。
精神の誇りや孤独の問題は社会保障のシステムだけでは解決が出来ません。元気な人も、若い人も心身ともに通常どおりに機能している人々は、時に被介護者の精神の孤独にはまったく気がついていないのです。かつてどのような若い日々を送ってきたかは知る由もありませんが、孫のような若い福祉職員やボランティアにあやされて遊戯をさせられたり、子どものように扱われている高齢者の姿は見るだにやりきれない光景です。
(*2) 矢野一郎、高年齢を生きる、(財)地域社会研究所、1987、p.75
(*3) 高齢者の自立と生き甲斐、(財)長寿社会開発センター、1997、p.23
● 4 ● 人生の秘事ー尊厳死の淵源
名誉も誇りも、人間の精神を突き詰めて行くと「個」の存在に辿り着きます。人生は泣いても笑っても「個」に始まり、戦うも退くも「個」で終ります。須田、江藤の両氏はその問題を最も明確に自らの行為によって投げかけています。「衰弱と死」に向かって降下を続ける「老い」の対処方針は最終的に個々人が決すべき「人生の秘事」と呼ぶべきでしょう。
−須田栄と江藤淳−
(1)「二人で静かなところへ行こう」
「介護する不幸」、「介護される不幸」の問題を際立った形で提起したのは須田栄事件でした。須田氏はもと東京新聞の記者です。新聞コラム「千夜一夜」を担当し、日本記者クラブ賞を受賞した著名なジャーナリストです。彼は「脳軟化症」のためいわゆる老人ボケがひどくなった妻(当時77歳)の看病と家事を日々担っていました。しかし、自分自身の衰えも重なり、負担は限度を越えて荷重となりました。思いあまった須田は、「二人で静かなところへ行こう」と決して、最終的に妻を絞殺したのです。犯行後自分も自殺しようとしたのですが、果たす事ができず自首しました。裁判の結果は懲役3年執行猶予3年の判決になりました。
執行猶予が付いたのは「86歳の高齢なのに、妻の看病や家事など誠意を尽くしていた。執筆も出来なくなった絶望感や精神的、肉体的疲労は察せられる」という理由でした。社会の秩序を維持する法のシステムに則って審理が行われたわけですから、裁判の結果は承服せざるを得ません。しかし、須田氏が当面した絶望感や精神的、肉体的疲労を裁判官が「察せられる」か否かは別の問題です。果して、介護する不幸の極限に達した須田氏の心情を他者は理解することができるでしょうか?法も制度も人間の「存在の個体性」に対しては無力であり、「二人で静かなところへ行こう」という決断にまで追い詰められた男の内面を「察する」能力は他者にはないと思います。「分かってたまるか」と「存在の個体性」は主張しているのです。そこから先は「人生の秘事」だからです。
当時の報道もそれぞれの解釈を示しました。「ボケた妻を病院に入れなかったのは、見栄や外聞のためか、それとも明治生まれの独立心か・・・」とか「人生の達人も業に負けた」というものです。これらは何と勝手な言い草でしょうか。これらの馬鹿げたコメントが須田氏の目に触れなかったことを願うばかりです。コメントは社会制度との関連で須田氏の精神を敗北の観点から論じているのです。しかし、なんびとも彼に成り変わって彼の煩悶と無念を知る由はないでしょう。「二人で静かなところへ行こう」という妻への言葉にどのようなメッセージを読み取るかはそれぞれの人生の秘事に属します。一人一人の老いの覚悟に属しているのです。
(2)「形骸を断ずる」
江藤淳の自裁は強烈な自尊心と社会保障制度のあいだの選択であったと思います。選択といっても当然そこにはただならぬ葛藤や苦悩があったであろう事はこれまた他者の想像を越えています。
「脳硬塞の発作にあいし以来の江藤淳は、形骸に過ぎず、自ら処決して形骸を断ずる所以なり」と遺書にあったといいます。江藤淳の精神は「ひ弱な肉体」の未来を予見し、やがてその肉体の衰えに屈服せざるを得ない精神の未来を予見したのかもしれません。自らの心身の衰弱を他者の介護にゆだねる事を恥とする自尊心に賛同するか否かは別として、彼の予見はおそらく自らの名誉と恥に関わる予見であったに相違ありません。自殺に限らず、尊厳死や安楽死に関わる思想的淵源がここに存しているのです。理解も解釈も個々人がそれぞれの人生に即して行うしか方法がないのです。
モリ?・シュワルツ先生のように肉体の衰弱を人間の必然として受け入れ、感謝をもって他者の手にゆだねることができるか、それとも弱り果てた己の心身を「形骸」と認識してそれを他者の手にゆだねる事を「悲惨」とするかはひとそれぞれのプライバシーに属する事だからです。人類が生きはじめて以来、それぞれの土壇場における「生きるに値するか否か」の判断は本人に属しています。生死の決断は個人主義などという物の考え方があらわれる以前から常に人間の究極の選択でした。いわば人生の最後の「秘事」であると言っていいでしょう。従って江藤淳の行為を精神の敗北と取るか、あるいは精神の勝利と取るかもまたそれぞれの人生の秘事であるということになります。
● 5 ● 「海へ来て泳がぬ父となりにけり」
(1) 老いの意味
老いの意味を正確に理解しないと、老いの辛さが倍加します。老いに対する楽観論も、悲観論も当面する課題に対する対処の方法を誤ることになりかねません。まず、老いはなんびとも避けることのできぬ、「衰弱と死」に向かっての降下です。近未来の問題として「死亡率」は100%です。化粧しても、学習しても、生涯スポーツに励んでも老いの衰えはごまかしがききません。老いはまさしくひ弱な肉体が壊れはじめる時だからです。小見出しに引用した、「海へ来て泳がぬ父となりにけり」(小泉旅風)には静かな諦念か、あるいはまた、「衰え」を自覚した、おそらく父と子の万感の思いが隠っているのではないでしょうか。何よりも重要なことは、「老い」は「衰え」と同義であり、衰弱のソフトランディングこそが生涯学習や生涯スポーツの目標だということです。
総務庁の老人対策室が協力した「エイジレスライフのすすめ」という本を見ました(*4)。そこには老いてなお健気に頑張っている多くの人々が紹介されています。若い日につちかった知識と経験を活かして「社会貢献」をしている人、中高年から発心して「物事を達成した人」、高年期を新しい価値観で生き抜いている人、自助努力で優れた気力・体力を発揮している人などの事例が並んでいます。それぞれにみな見事な人々、見事な生き方というほかありません。「エイジレスライフ」ですから要は様々なスタイルの生涯現役のすすめです。しかし、突出した例を並べて一般人にも生涯現役は可能であるという論理は成立しません。その何よりの証拠はすでに医療も、介護も社会制度の仕組みは財政的に破綻の寸前なのです。生涯現役を全うできない大多数の人々が制度に依存し、社会に寄り掛かった生活をしているからでしょう。社会の「厄介」にならなければ、生きて行くことが難しい「厄介老人」の存在こそが生涯現役論の「空手形」を証明しているのです。
老いは誰のことも容赦しません。「生涯現役」を続けてきた人々すらも、現役のままで衰えて行くのです。肉体の孤独も、精神の孤独も「誰も止められない」という一点に発しています。おのれの「衰え」に向かい合わない限り「老い」の意味は理解できず、対処方法も実行できません。なによりも「衰え」の自覚が重要です。「衰えて、やがて滅する」。そこが覚悟の原点になるのです。
(2) 成長は持続しないー研究者のたわごと
「成熟は持続する」とする一部の心理学の主張があり、「70歳でも80歳でも成長し続ける」という人がいます。「本人が自らを老人と考えない限り、何歳であってもその人を老人とするのは必ずしも適当ではない。.....制度的な定義は便宜的な整理に過ぎない。」(*5)とする報告書もあります。いかにも「甘い」分析です。おそらくは「「老い」のなんたるかを感じ始めてもいない働き盛りの研究者のたわごとにすぎません。
スポーツでも、社会生活上の知識や技術でも、これまで鍛えてこなかったところを鍛える事は出来るでしょう。年をとっても様々な学習能力は維持することが出来ます。生涯学習が可能であるのはそのためです。それゆえ、一見生涯学習の成果が成長や「進歩的発達」に見えるかも知れません。しかし、老化を止めたり、逆転させたりすることは不可能です。老いも、死も生物の必然なのです。身体機能の衰退を停止することも、逆転することもあり得ないことです。発達心理学も児童と高齢者の場合で、視点が異なるのは当たり前のことです。一方は生体機能の進歩の過程であり、他方は退歩の過程だからです。発達とは「環境適応能力」の「変化」という意味です。人生のどの時点をとっても成長や成熟が持続するという意味ではありません。
それゆえ、「老人」を「熟年」と言い換えても、「実年」と言い換えても老いの意味は変わらないのです。高齢者に代わる新語を募集したとき、「充年」、「栄年」、「悠年」、「邁進年」、「佳境年」、「ルネッサンス・エイジ」などがありました。最近では"よりよい人生を創って行こう"という意味を込めて「創年」という言葉も生まれています。いずれの名称も「かく生きたい」、「そうありたい」という人々の願いを反映しているのです。しかし、人間の切ない願望にかかわりなく、高齢者の加齢は「環境適応能力」を確実に低下させていくことは疑いありません。不老長寿の秘薬を探し回った王侯貴族のあがきがそれを証明しているではないですか!また、「老害」や「老醜」の表現は老いの宿命を象徴しているではないですか!「エイジレスライフのすすめ」も、流行りの「ウェルエイジング」も「上手に年を取る」という意味ですが、年を取ることがそもそも基本的にマイナスであるが故に「上手に年を取る事」が強調されているのです。
「年を重ねただけでは人は老いない」、「理想を失う時初めて老いる」というのはサミュエル・ウルマンの有名な詩;「青春」の名文句です。然し、この詩は「精神」を歌っているのです。肉体は別なのです。「植物人間」になった時は、「理想を失う」どころか、いっさいの選択能力も意欲もなくなるのです。小泉旅風の「海へ来て泳がぬ父となりにけり」はこの遠い風景を予感しているのです。
(*4) エイジレスライフのすすめ、第一法規、平成6年
(*5) 人生80年の社会システムの構築に関する研究、総合研究開発機構、昭和60年。p. 123
● 6 ● 「親孝行したくないのに親は生き」
(1)熟年の不覚
人間の歴史の中で人々の拠り所はほとんど例外なく家族でした。家族は支え合って生き、家庭にやさしさは不可欠でした。家庭を形成したのはいたわりであり、助け合いでした。思いやりがあるからこそ家族は家族になったのです。寄り添って生きる事は人生の一大願望であったに相違ありません。
しかし、現代はそうした人類史の風景が変わり始めました。これからの老人の生活は家庭や家族のやさしさやいたわりからどんどん遠くなって行きます。この事に気づくことが遅すぎた日本の多くの熟年は、当然心の準備ができていません。「核家族化」の進行も、「熟年離婚」も、「親元にいない子ども達」も、一気に延長された「生涯時間」も、「家族文化の変容」も突然襲ってきた社会的災害のようなものかもしれません。慌てふためくのは自然でしょうが、これらの変化が自分達の選択の結果であることを思えば、慌てふためくのは熟年の不覚でもあります。
「不覚」は生活の万般にわたっています。家族の中で、老後の心身の自己管理に関する諸分野の準備ができていません。日常生活における家族の生涯学習や生涯スポーツがまだまだ低調なのはその証拠です。準備不足のツケは健康、地域生活の人間関係、社会的・経済的自立、「居甲斐」と「やり甲斐」等人間生活の全般に及んでいます。もちろん高齢化のスピードが速すぎたという事が、熟年が「不覚」をとった主要原因ですが、決してそれだけではありません。現在の熟年世代は、若かった時の己の「自由」とひきかえに老人と家族の絆を切り離したのです。それが「核家族」です。「核家族」の自由は親達が年老いた時に「孤立」や「孤独」に変わるのです。熟年の孤独は日本の家族文化が核家族元年に支払うべきことを社会契約した代償にほかならないのです。
(2)核家族の選択とコスト
日本の戦後社会は若い人々を中心とした核家族を選択しました。核家族の中で、多くの若者は祖父母の肉体の衰弱も死も身近に観察したことはありません。まして、人間は終始一人で生まれ、一人で死にます。他者を理解できない宿命的な「存在の個体性」を思えば、若者たちが老人の状況を共感的に理解して、やさしく接するなどという事ができるはずがないのです。若者にとっての人間の老衰は自分に無関係な外野の風景なのです。家族の風景が変わる中で、祖父母はもとより子どもと親との関係も希薄化しました。戦後教育は特別に親への礼節も孝養も教えませんでした。子ども達は親の財産の分与に興味はあっても、親の面倒は「負担」に感じざるを得ないのです。現在の熟年世代がこの核家族のはしりの世代であったことはいうまでもありません。
言葉を飾らずにいえば、核家族とは「老人を排除した家族」の意味です。核家族の選択にはいろいろな理由がありました。一番決定的な要因は若夫婦の「自由」の保障でした。この選択が間違っていたと言いたい訳では決してありません。人間の生き方の選択には人生のコストがつきものです。若夫婦の自由は老いた親の孤独という代償を必要としたのです。はたして熟年世代はこのコストを自分達も支払う日が来る事を自覚していたでしょうか。
熟年世代は核家族による自由の選択結果を身を持って子ども達に示したのです。従って次の子ども世代も同じように自分たちの「自由」を最優先する核家族を"相続"したことはいうまでもありません。
核家族にとって生き残る老人は自由の「負担」であり、時に「障碍」にすらなるのです。いささか残酷に過ぎる分析ですが、「親孝行したいときには親はなし」から「親孝行したくないのに親は生き」への転換は、高齢社会に核家族を選択した事の当然の帰結だったのです。社会が家族に代わって老親に対応する介護制度の導入に踏み切らざるを得なかった理由の一つがそこにあります。熟年は親孝行の価値がいまだ僅かながら残っている時代に、衰弱した身を他者の介護にゆだねざるを得ません。彼らの不覚はその心の準備ができていないという事です。肉体の孤独、精神の孤立が大問題になるのはそのためです。「孤独死」はその象徴です。
(3)覚悟の不在
「覚悟の不在」の覚悟とは老後の孤独の覚悟が十分に出来ていないということです。欧米の個人主義文化においては、高齢者が既に幾世代にもわたって老後の孤独に耐えてきた事実があります。従って高齢者を支援する社会の仕組みも高齢者自身の覚悟も歴史の試練に耐えて来ています。これに対して日本の高齢者は、核家族と高齢社会の急激な登場によって、それまで伝統的共同体や「家の文化」の中で保証されていた社会的・心理的な地位を突然放棄しなければならなくなったのです。
核家族社会では子どもが巣立った後の家族は必然的に老人家族となります。しかも、突然の「老人家族」は、子どもが成人した後の時間、定年後にのこされた膨大な生涯時間の過ごし方をほとんど全く練習していないのです。加えて、孤独の覚悟も不十分です。「悠々自適」といえば聞こえがいいですが、実際は「自由の刑」であることは明らかです。定年後の自由は、何所へ行ってもいい、何をやってもいい「時間」ですが、そこから満足を見出せるか、否かは本人次第です。通常、人は「自由の刑」に耐えられません。『毎日が日曜日』がどんなに辛いかは城山三郎が活写した通りです。高齢化によって生涯時間が増大し、熟年の多くが有り余る自由の前で立ち往生しているのです。それゆえ、団塊の世代の大量定年は疑いなく大問題を予想させるのです。
定年によって社会から必要とされなくなった後、人生の意味付けは自分で工夫しなければなりません。突然始めた読書、稽古ごと、趣味のつもりの活動、ボランティア、家庭内の会話等々の新鮮さも、その意味付けに失敗すれば、長くは続かずに消滅します。要するに日々の生活に身の置きどころがなくなるのです。「生き甲斐」を構成する「居甲斐」にも、「やり甲斐」にも他者との関わりによる緊張感が不可欠です。しかし、「社会の実戦」から引退した後にはこの緊張感が極めて不十分になるのです。
高齢者だけで始めた「ロウレイ」という会社があります。この会社には、覚悟の不在を自覚した社員による「5箇条の誓文」があり、社内に掲示しているそうです(*6)。老人の現実をありのままに反映していて思わず苦笑させられます。職業を通して社会に参画し続けている熟年ですらも自らの自戒にしているのです。定年者、引退者の覚悟の不在は推して知るべしでしょう。
誓文にいわく、
一. 同じ事を二度くり返しません
一. 健康談義をしません
一. 愚痴をこぼしません
一. 「老人のくせに」といいません
一. 「老人」の恋は卑しいとは思いません
(*6) 加藤仁、定年百景、文芸春秋、1993、p.140
● 7 ● 孤立の背景、孤独の要因
熟年の重荷は二つあります。心身の衰弱と社会的・心理的な孤立と孤独です。高齢者の孤立と孤独には複数の要因があるので以下に整理してみました。しかし、それぞれの要因の影響の度合いや順序に一定の関係や意味を見い出す事はできません。個々人の人生があまりにも違い過ぎるからです。また、これらの要因が高齢者の「孤立と孤独」だけを生み出したという事では決してありません。まさしく「禍福はあざなえる縄のごとし」であり、一つの変化がプラスもマイナスも、効果も副作用も同時に生み出している事はいうまでもありません。
(1)第一に「高齢化」
長生きするようになったからこそ、若さを保つ期間も長くなり、「生涯時間」の中の「自由時間」も増えました。その結果、「自由時間」の使い方を巡って「孤立や孤独の苦労」も増えたのです。高齢化こそ人間に自由を与え、同時に「自由の刑」(サルトル)に処せられる社会を生み出したのです。
(2)第二に「少子化」
少子化の進行は、明らかに家事や育児についての女性の過剰負担が続いていることが主要原因です。しかし、一方では、少子化は少ない子どもに十分な手間ひまをかけて育てたいという夢の実現でもあります。また、親の世代の行動の自由を倍増させたいという願望の結果でもあります。不覚なことに人口減少が始まって気付いた事ですが、親世代の加齢とともに社会の扶養負担が著しく増大し、他方、扶養能力は低下し続けます。必然的に、高齢者は物理的・心理的に、少ない子ども達の負担となり、社会の「負担」と成り果てます。当然、高齢者の社会的扶養負担を巡って世代間の対立も予想されます。
核家族を選択し、少子化を選択し、親の「負担」を負おうとしなかった者は、やがて自らが次の世代の「負担」となるのです。熟年世代はようやくその事に気付き始めました。自由を謳歌している独身世代は結婚も子どもも負担であるといいます。いまだ自分自身がひとびとの負担となる日の事を深刻に考えてはいないからでしょう。気侭な暮らしの代価は高く付きます。ローマ時代には子どもを産んでいない家族や女性には社会の処遇を変えるという制度があったということです。いずれ独身の彼らも、「キリギリスの冬」に当面し、心理的な孤独の風景をみることになるでしょう。社会に十分貢献することなく、老いによって社会の負担になる者はやがて疎まれざるを得ないからです。
(3)第三は家族の就職離散
産業構造の変化は日本社会の生きのこりを賭けた経済のダイナミズムの結果です。そのお陰で日本人は豊かになり、生活は便利になり、労働の厳しさからかなりの部分を解放されました。豊富な余暇時間も持てるようになりました。それゆえ時代の変化が多くの副作用を生み出したにもかかわらず、誰一人として本気で前の時代の耐乏生活に戻りたいと願う者はいません。ビジネスの国際化の時代に、親元就職がしたいと駄々をこねることはすでに通る話ではないのです。ようやく、大部分の親も子も納得したのです。かくして子どもが巣立った後の家族は老人家族となり、親は子どもと離れて現在の居住地を終の住処として死んで行くことになるのです。熟年世代は新しい「縁」を開拓して、未来の交流と社交を創造して行かなければならないのです。
(4)第四は自営業の減少とサラリーマンの増大
自営業は親元就職も可能であり、原則として職住分離も起こる率が少なくて済みます。ところがサラリーマンはその全く逆です。産業の成立基盤が都市型になればなるほど、従来の「地域の共益」という要因に規定された共同体的人間関係が希薄になるのは必然のことでした。職住分離はサラリーマンと地域社会を疎遠にしました。「地域の共益」を分かち合う必要は稀薄になりました。今、地域社会の相互扶助も連帯も「絶滅」の危機に瀕しています。地域集団も、地域の教育力も、共同体の助け合いもすでに希少生物のような存在になりました。
地縁の人間関係とほぼ絶縁して生きた定年後のサラリーマンのエピソードを読みました。思わず吹き出しましたが、さもありなんと思える話です。
定年後のサラリーマンが留守番をしていると玄関に人が来たそうです。「奥様は?」と、どことなく親しげな様子の女性でした。思わず「どなた様でしょうか」と尋ねたそうです。当の女性はぶ然として彼を見返したそうです。それもそのはず、後で分った事ですが、お隣の奥様だったのでした(*7)。
(5)第五に「公平の原則」と女性の社会進出
女性の社会進出はなによりも女性自身が望んだ事です。従来の男女関係は明らかに「公平の原則」に反しているのです。それゆえ、男女共同参画の理念は既に、法的、制度的に確立され、社会の共通目標となりました。女性の参画は社会のあらゆる分野で、自由平等の理念を格段に進展させました。しかし、結果として、女性の社会進出が家事の「外部化」を促進し、高齢者は自立を要請されるようになりました。従来、家族内の高齢者の世話は女性の役割でした。女性は忙しくなりました。多くの高齢者は家族の世話を受ける特別の対象ではなくなったのです。家族における高齢者の心理的、物理的孤独と孤立が増大した事は疑いありません。いやな表現ですが今後も高齢者の「粗大ごみ」化は進んで行くことでしょう。
(6)第六に「親孝行したくないのに親が生き」
個人の価値を押し進める事は個人の自助自立と表裏一体です。戦後日本の社会は戦前の家族制度の考え方を否定する過程で「親に孝」の価値も否定しました。みずからも、子ども達も、かつての「家制度」から自由にするための代償であったといっていいでしょう。親の意向に添わなくてはならないという価値の束縛から自由になって、子どもは自分の人生を主張して生きる事ができるようになりました。もちろん、今の熟年世代が若い日々に自分の人生の自由を切望したはしりの世代であることはいうまでもありません。
「親孝行」が制度的な価値で無くなったという事は、すでに親の世話は、子の心理的義務でも、子の喜びとするところでもなくなったということを意味しています。扶養意識の低下は扶養の義務すらも分担しない事に拡大したことは周知の事実です。子どもに財産を譲らない親が増えているのもうなずけるという事でしょうか。「まだ生きとるんかいな」、「もう大抵にしてや」とうそぶく子どもも出現しました。老親の孤立と孤独は、自らが否定した古い価値と子どもに与えた自由な人生がもたらした代価なのです。「親孝行したくないのに親は生き」の川柳はその象徴です。
(7)第七に自立する高齢者
「個」を主張すれば「自助、自立」の道を進まざるを得ません。もちろん、高齢者も例外ではありません。戦後の日本人は「自立」を大義名分とし、「選択する主体」になろうとしました。選択の自由は制度上、必然的に「結果責任」をともないました。「個」を主張すればする程、主張した事の自己責任が自分に跳ね返ってくるのです。「個」を優先すれば、「集団」や「全体」は後回しにせざるを得ません。「集団の価値」と「個人の価値」を並べた時、戦後の「われわれ」は原則的に「個」の側にたって「個人の価値」を選択してきたのです。家族でも、近隣でもその他の組織・集団のなかでも自己の都合による選択を優先させてきたのです。
従って、家族、近隣、およびその他の集団・組織における共同性や連帯が失われるのは当然の結果だったのです。
「選択的人間関係」によって生きてきた個人が、年老いて引退した時、家族も地域共同体も昔のそれではありません。自己の生き方に対する集団の干渉を嫌った以上、「個人」には「自助、自立」の道だけが残されているのです。人は帰るところを失ったのではなく、帰るところを一つずつ拒否してきたのです。それは本人の選択の結果でした。当然、自立の願望には孤立の覚悟が不可欠だったのです。
(*7) 大谷健、定年後の時間割、 主婦の友社、1998年、 p.140
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