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生涯学習通信

「風の便り」(第76号)

発行日:平成18年4月

発行者:「風の便り」編集委員会


1. 首長部局の生涯学習

2. 2007年問題−その4 「親孝行したくないのに親が生き」

3. A小学校への提案− その2「なる」から「する」へ−「学力保障」の基本視点−

4. 第66回生涯学習フォーラムレポート

5. MESSAGE TO AND FROM

6. お知らせ&編集後記

首長部局の生涯学習

  Y市の市長さんからお招きがあって、生涯学習関連機能を首長部局へ移すことの是非を論じる機会をいただいた。「技術革新」→「社会構造の変化」→「生活条件の変化の連鎖」→「適応」と「選択」の不可欠→生涯学習の必然という論理の行き着くところ、まちづくり施策の全体を統合する首長部局への移行は当然である、と申し上げた。問題はどんな目的で、何をするために首長部局へ移すのか;目的と施策の戦略を明らかにすべきであると追加して申し上げた。以下は理屈っぽいがその背景の分析である。「風の便り」の読者には首長さんも、議員さんもいらっしゃる。感想をお聞きしたいものである。

*1*  生涯学習事業の"無境界化"

  社会構造の変化も、したがって、社会的条件の変化もあらゆる分野に跨がらざるを得ない。「第3の波」として押し寄せる現代の技術革新の連鎖は生活の隅々まで時代を変えてしまう。「適応」と「選択」は時代が要求する必修の生涯学習の宿題である。学ばないものは適応に失敗し、選択に失敗する危険が大きい。二つの失敗は個人の不幸に繋がるだけではなく、社会の発展を阻害し、社会の負担を増大させる。具体的には、利便性の進展が遅れ、経済が停滞し、国際競争力が低下し、介護や医療等の福祉の負担が増大し、子育て不安も解消できない。
  もちろん、技術革新がもたらす副作用が人間を不幸にする原因を発生させることはある。しかし、それらはあくまでも「副作用」であって、技術の進歩は副作用を補って余りある恩恵を人々にもたらす。それゆえ、副作用が問題になっても、世の中を元に戻して不便な生活に戻ろうという人はいない。技術革新は人々の願望の実現であり、技術の進歩に基づく社会的条件の変化もまた人々の願いや希望の結果だからである。かくしてある分野の変化は関連する次の分野の変化に連動し、次々と変化の連鎖反応を呼び起こす。当然、変化は「適応」と「選択」の代名詞である。社会構造も、それを支える条件も技術革新の方向に即して変わらなければならない。変化は全方位的であり、その結果「適応」も、「選択」も全方位的にならざるを得ない。生涯学習があらゆる分野に跨がり、従来の教育の分業や役割分担を消してしまうのは必然的結果なのである。それが生涯学習の無境界化である。職業訓練はもとより、農業分野の農業技術教育も、保険衛生分野の健康教育も、消費者行政の消費者教育もすべて「適応」と「選択」の論理に従って生涯学習を実践しなければ時代から取り残されるのである。従来の学校も、教育行政もこれまでの分業と役割にこだわり、社会構造全体の変動を見ていない。学校や教育行政が生涯学習の無境界化について自覚が薄いのはそのためであり、教育が人々や他の産業分野の「適応」と「選択」のための学習に貢献できていないのもそのためである。

*2*  遅れっぱなしの学校、時代の見えない教育行政

  学校は人間教育の「不易」の論理の陰に隠れて変化への対応を怠ってきた。生涯学習の理念に最も遅れているのが学校である。宅配便も、情報革命も、もちろん生涯学習もそのスローガンは「いつでも、何所でも、誰でも、何からでも」である。しかし、学校は小学校から大学に至るまで、常に外部評価を拒絶し、社会構造の変化を無視し、何十年も前に自らが発明した学校の制約条件を取り除こうとはしない。それは「特定の時期・時間帯に、特定の場所で、特定の児童生徒学生だけを対象として、特定の教科だけを、特定の教員だけが指導する」というシステムである。これを厳守すれば、サマースクールも、イブニングスクールも、出前授業も、地域との連携も、他分野との協力も、時には家庭・保護者との連携すらも実行はできない。
  あらゆる分野で変化に対する「適応」と「選択」の学習が要請される生涯学習時代に教育行政を一般行政から"隔離"することは間違いである。したがって、もっとも生涯学習時代に遅れている学校の出身者を教育長にすることも間違いである。もちろん、教育行政が社会全体の生涯学習の基盤整備を担当する仕組みも間違いである。教育関係者は指導技術やカリキュラム編成の専門家ではあっても、社会システムや事業企画の専門家ではない。

*3*  当面の移行目的は何か?

  機構改革にはその具体的な目的が重要である。移行のための移行、改革のための改革では意味がない。何の為に移行し、どんな施策を実施したいのか、機構改革に具体的目標がなければ、時間とエネルギーと職員の給料が無駄になる。筆者の発想は生涯学習施設の多目的活用、福祉と教育の統合;学校と女性政策と子育て支援の総合化などである。例えば「幼保一元化」は端的な一例である。学童保育に教育プログラムを加える「保教育」の実施も可能になる。高齢者の介護と高齢者の教育と高齢者の社会参加の結合も可能となる。列挙してみればすべては少子高齢化が生み出した問題であることに気付く。したがって緊急の移行目的は「教育・生涯学習」と「福祉」の結合である。実現すれば公民館はデイケアセンターを兼ねることができる。図書館も情報メディアセンターとして、IT講習の拠点となり、幼老共生の読み聞かせや昔遊びの「場」として再編成することができる。図書資料の番人しかできない「司書」の役割も「児童奉仕」を中核とする図書館奉仕の概念を拡大すれば、住民サービスを多様化することができる。
  放課後や休暇中の学校を生涯学習施設と位置付けることができれば、おのずから学校は子育て支援の拠点となりうる。学校は公共施設である。子どものために設計・建設された施設である。学校教育の目的だけにしか「使えない」ということこそが非常識なのである。学校施設の開放を実現するだけで旧穂波町も旧豊津町もどれほど無駄な時間を空費し、空回りするエネルギーを浪費したことか!学校施設を生涯学習に編入するだけでどれくらいコミュニティの活動可能性が向上することか。また、今後の国家補助予算は福祉に降りてくる。少子高齢化の課題への対処はもはや"待ったなし"だからである。福祉部門が考えている「痴呆予防教室」や「転倒予防教室」の類いの介護予防の発想では到底医療費の増加も、介護費の膨脹も止めることはできない。予防方策は生涯学習・スポーツの徹底した普及・組織化と熟年の社会参画機会の拡充しかない。それゆえ「教育」と「福祉」を組み合わせた「教福融合」が不可欠である。「豊津寺子屋」はその実行モデルの一つである。

*4*  法律上の点検

  生涯学習の振興を教育行政の管轄下で行わなければならないという法律上の定めはない。問題は現行の社会教育法や図書館法、博物館法等によって設置された施設が法の制約を受けることである。したがって、これらの施設は名称を変更し、管理規程を見直して、現行法の制約を解除しなければ多目的には活用できない。

(1) 生涯学習振興法(平成2年)の限界と可能性

  上記は通称である。文部省と通産省の共同立法である。当然、当時の労働省や厚生省の生涯学習関連事業には効力が及ばない。しかし、第2条は生涯学習の施策は通常の教育概念を越えて、職業能力の開発や社会福祉施策と連動させて効果的に行えと記している。したがって、生涯学習の振興機能を首長部局へ移行することに何ら問題はない。

(2) 社会教育法の陳腐化

  社会教育法の規程によれば社会教育は明らかに教育委員会の管轄下に置かれている(第5条)。社会教育法による定義は、「社会で行われる教育活動」?「学校の教育課程として行われる教育活動」=社会教育である(第2条)。したがって、最大の課題は「社会で行われる教育活動」とはなにか、である。「生涯教育?生涯学習」の概念が導入されて以来、教育?学習概念は職業訓練、健康教育、消費者教育、生涯スポーツなどに拡張され、学校教育も社会教育も新概念の下に吸収されることになった。
  社会教育は生涯学習推進の部分機能として吸収されたのである。現行の行政分業を前提とすれば、教育行政だけでは保育や職業訓練や健康教育を含む生涯学習の振興・推進は十分に実行できない。社会教育法の定める社会教育は職業訓練や健康教育を担当する行政の分業実態に対応できていないからである。社会教育と生涯学習を2本立てで論じたり、2本立てで実施する矛盾は、生涯学習の理念に実態を合わせず、時代遅れの社会教育法に実態を合わせようとしたことから発生したのである。生涯教育・生涯学習概念の登場によって、社会教育法は既に風化し、陳腐化しているのである。教育委員会制度を残すのであれば、学校教育を例外として教育委員会に残し、その他の生涯学習関連事業を首長部局に移せば、矛盾の大半を整理することができるのである。
  社会教育課で社会教育概念よりも領域の広い生涯学習の振興機能を十分に果すことはできない。社会教育課の名称を「生涯学習課」に「改編」しても、教育行政に置く限り、結果は同じである。
  また、教育行政の下に社会教育課と生涯学習振興課を二重に置くことは、更に矛盾である。教育行政に設置された生涯学習の振興部門が首長部局の生涯学習を振興できる筈はないからである。生涯学習関連事業を複合的に実施する為には、まちづくりを統括する首長部局の管理下においた方が遥かに合理的である。社会教育法の下で設置された社会教育施設は、教育に限定された名称を変更し、複合的な機能を明示できる名称に変更してその管理規程を変更すれば当然多目的に活用することができるようになる。

(3) 社会教育施設などの名称変更

  公民館も図書館も社会教育法の「精神に基づき」(社会教育法20条、図書館法第1条)という制約を受けている。それゆえ、現行名称のままでは現行法の制約を受け、社会が必要としても、教育以外の目的には使用できない。生涯学習の振興機能を首長部局に移すことには施設機能の拡充を想定している。したがって、従来の社会教育施設の名称を変更し、目的を含む管理規則を再度見直すことが必要である。例えば、公民館は"地域活動センター"を意味する名称に、図書館は"情報メディアセンター"を意味する名称に変更すれば社会教育法の制約を離れることができる。現行法の制約を離れるということは、社会教育法が各施設に「例示している事業」以外の事業を実施できるようにすることである。生涯学習の振興機能を首長部局に移し、社会教育施設を教育行政から分離すれば、行政の分業が壁になっている複合的な事業も首長や政治の判断によって実施が可能になる。生涯学習分野の縦割り分業の壁が突破できれば、やがて学校も学校施設の活用を時間帯別に使用目的を変更できるコミュニティ・スクールに変わって行くであろう。
  また、社会教育の専門指導を担当してきた社会教育主事は担当分野の範囲を拡大して、島根県が実施したように「地域教育コーディネーター」や「生涯学習推進主事」を使えば良い。
 

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