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風の便り

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生涯学習通信

「風の便り」(第73号)

発行日:平成18年1月

発行者:「風の便り」編集委員会


1. 「生きる力」の構成要因と順序性

2. 安全のための「学校宣言」

3. 「生きていれば良いこともある」か!?

4. 第63回フォーラムレポート、「豊津寺子屋」有志指導者健康調査

5. MESSAGE TO AND FROM

6. お知らせ&編集後記

安全のための「学校宣言」
◆ 1 ◆  子どもを知らない大人に安全は守れない

  広島で一人、栃木で一人子どもが犯罪に巻き込まれて命を落とした。登下校の際の子どもの状況を考えれば、すべての危険を予防することは不可能に近い。犯人が確信犯であれば、パトロールをしようと子どもに防犯ベルを持たせようと、多少の自衛策、防御策で防ぐことは難しい。ましていくつかの市町村が始めたような「子どもの安全を守る大会」で子どもを守ることはできない。筆者がお招きを受けた町では教育長さんが意気高らかに「地域の子どもは地域が守る」と宣言される。しかし、そんな事はできるはずがないと筆者は水をかけるような講演をせざるを得ない。
  まず子どもは地域の大人を知らない。地域の大人も身の回りの子ども達を知らない。知らないもの同志がお互いを信頼したり、守ったりすることはできない。当然であろう。保護者も、学校も子どもに知らない大人に近づくな、と教えている。子どもは知りもしない大人を信用するはずはない。パトロール隊の「腕章」や「ユニフォーム」を犯人が手に入れたらどうしよう、という声も聞こえてくる。町内会やPTAなどに無差別に配っているのであれば、当然の心配であろう。現在の環境では、善意の大人も自分が知らない子どもを守ることなどできるはずはない。この種の大会はできもしないことを論じている架空の大会といわざるを得ない。
  そこで「豊津寺子屋」の方法原理である。子どもを親が迎えに来るまで学校から移動させず、加えて学校に子どもの味方を常時複数在中させるのである。この間子どもは様々な活動に参加する。「保教育」の概念とコミュニティ・スクール構想がカギになるのはそのためである。拠点は学校であり、指導者は地域の熟年を中心としたボランティアの指導者である。指導法は「保教育」の概念を採用し、保育も教育も同時に遂行する。保教育の時間スケジュールは働いている女性のスケジュールに合わせることを基本とする。しかし、豊津方式に学校は協力も参加もしていない。教育委員会は議会にありきたりの「集団登下校」をさせているという答弁をしたそうであるから、それで子どもの安全は守れるという認識であろう。教育委員会は学校以上に「寺子屋」に非協力的であるから両親が働いている子どもの安全は「寺子屋」だけで守らなければならない。
  しかし、「子宝の風土」では、保護者も、住民も「寺子屋実行委員会」よりは圧倒的に「学校」を信頼している。もちろん学校が信頼に値するか、否かは全く別の話であるが、誰もが学校を信頼したい!!のである。筆者が「学校神話」と呼んでいる伝統的な「守役」への信頼である。この点に注目して「学校による安全宣言」を行ったのが福岡県穂波町の森本教育長と校長先生方である。以下はその骨子である。

◆ 2 ◆  福岡県穂波町の『学校の安全宣言』

(1) 放課後と土曜日午後6時まで希望する子どもは学校が預かる事を宣言する。宣言者は各学校の校長先生である。
(2) 預かるに際して子どもは穂波町教育委員会が実施する「子どもマナビ塾」に参加することが条件である。実質的な「預り手」は「マナビ塾」である。
(3) 受講料は1日100円。
(4) 預かる子どもは1年生から6年生まで希望者全員。
(5) 午後6時までに親が迎えに来ることが条件。
(6) 希望者は希望の曜日を「曜日選択制」に則って手続きをし、早退・遅刻などは事前の報告を義務付けている。
(7) 学童保育とは"棲み分け"の論理で、学童保育に参加していない子どもだけに対象を絞っている。行政の「縦割り」は穂波町の教育思想をもってしても頑固で、迷妄である。

◆ 3 ◆  「学校宣言」の意味

(1) 放課後の子どもの活動は「マナビ塾」で行われる。それゆえ、現実に子どもの安全を守っているのは「子どもマナビ塾」である。校舎の施錠以外、基本的に学校は「安全宣言」に名義を貸しただけである。しかし、子宝の風土においては保護者の信頼は「守役」たるべき学校にあり、先生方にある。「子どもマナビ塾」の信頼を勝ち得るより、保護者・住民の学校への信頼を増す方が教育全体にプラスに影響することは疑いない。制度の主役、信頼の対象はあくまでも学校である事を穂波町は知っているのである。

(2) 学校は「名」を取り、「マナビ塾」は「実」を取った。今回の宣言によって子どもを預かる「マナビ塾」は在籍者数を増大させ、その存在の意義と影響力を増大させたのである。一方の学校は名義を貸しただけで基本的には何もしなくていいのである。一見労せずして「名」だけを取ったように見えるが決してそうではない。学校は「名」と同時に「責任」を負わざるを得なくなったのである。学校時間外の子どもについては学校の預かり知るところではないと言い続けてきた学校にとってはコペルニクス的転回である。コミュニティ・スクールに向けての数歩の前進である。「宣言」を出してしまった以上、「マナビ塾」と「学校」とは協力せざるを得ない。「マナビ塾」がコケレバ学校もコケル事になるからである。保護者は「安全宣言」の裏までは読まない。保護者はこの「宣言」によって初めて子どもの放課後の安全を「学校」に託したのである。学校は初めてコミュニティの問題と家庭の問題に踏み込んで直接コミットしたのである。企画した教育委員会も偉いが、附随して起るであろう問題を承知の上で承諾した学校も偉い。「安全宣言」事業の意義を理解した福岡県筑豊教育事務所も直ちに動いた。結果的に学校が噛んだ「マナビ塾」は「学校安全会」という文科省の外郭団体の保険の適用を受けることができるようになった。参加児童の保護者にとっては年間総額何十万円かの節約であり、文部行政下の安心の制度保障を勝ち得たことになる。学校と組むことのできない「豊津寺子屋」にはそうした「手品」は使えないのである。

(3) 「豊津寺子屋」も穂波の「マナビ塾」とほぼ同様の条件下にある。筆者は直ちに穂波の森本教育長の許可をいただいて「宣言文」を豊津の町長さんに送付した。あらゆる意味で子どもの安全は学校が守るのが最善である。学校が地域に対する献身の姿勢を取れば、家庭も、地域も学校に最大限の協力を惜しまないであろう。それが「子宝の風土」である。その際、従来の学童保育を統合して「保教育」に昇華させることができれば、男女共同参画も少子化対策も一気に前進する。豊津ではそれが実現しているが、「学校の安全宣言」はいまだ遠い。地域は子育て支援と熟年支援と男女共同参画の複合問題に当面している。「コミュニティ・スクール」の実現と「保教育」の実施はこれらを同時に解決する必須の条件である。果して他の市町村は「学校宣言」の意義が分って、穂波の後に続けるか!?
 

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