HOME

風の便り

フォーラム論文

編集長略歴

問い合わせ


生涯学習通信

「風の便り」(第72号)

発行日:平成17年12月

発行者:「風の便り」編集委員会


1. 2007年問題への挑戦

2. 「豊津寺子屋」に見る「子どもの居場所」の総合評価

3. 「人生の時差」−16年前の教育論

4. 第62回フォーラムレポート

5. MESSAGE TO AND FROM

6. お知らせ&編集後記

「豊津寺子屋」に見る「子どもの居場所」の総合評価

−行政の評価、保護者の願い、女性の視点、子どもの思い−

I  分析者の結論

  以下は2005年豊津寺子屋2学期を終了するにあたって行政・学校/保護者/子どもの3者による活動評価の分析である。分析者の結論は次の通りである。

1  行政及び学校幹部による評価は基本的に思弁的であり、現場の実態を踏まえてのものではない。それゆえ、評価の大部分は主観的な印象に基づく「世論調査」の域を出ず、政策提言と言う意味では全く正確さに欠けている。事実、担当課長および町長以外はほとんど全く現場の事情を知らない。それでも各人の経験の範囲内で、推察と想像によって回答書を提出した人々の意識は変わり始めていると理解すべきであろう。彼らの意識が変われば、行政のあり方が変わる。なぜなら、終始一貫本事業を黙殺し、関心を持たず、協力もしなかった幹部は今や少数派になった。彼らは役場内担当者の丁重な懇願にもかかわらず調査票の提出すらしていない。「寺子屋」はようやくロジャースのいわゆる「初期多数派」(全体の約34%)を獲得したに過ぎない。「抵抗勢力」はどこにでも存在するのである。

2  「豊津寺子屋」は複合課題に対する総合政策的処方である。目的は「子どもの居場所の確保」と「子どもの教育の補完」と「熟年の活力増進」と「女性の社会参画」と「コミュニティ・スクールの創造」と「財政難への対策」を含んでいる。それゆえ、役場内の連携、異分野間の共同が不可欠である。実行委員会との連携を含めて、最低限、首長の発想の中には「多部局協働」の政策意識はあったが、「縦割り」の壁を越えた実際上の協力はほとんど実現していない。総合政策の実行を阻む最大の壁は行政の「縦割り」であり、それを保守する役人の固い「なわばり意識」である。かつて時代をリードし、システムや事業の革新を先駆した役人が、今や、変化の早さについて行けない時代に突入しているのである。特に、「放課後児童健全育成事業」と学校との関係を見る時、昨今、国の論議の的になった「教育委員会の廃止」は実際に必要な時代になっているのである。

3  保護者は「正直」であり、「現実的」であり、時に「勝手」ですらある。夏休みに1日10時間、しかも100円で、「寺子屋」に子どもを放り投げて、自分達はやりたいことを自由にしているという批判がある。ものは言い様であるが、それで良いのである。子どもも育てたいし、男と同じように仕事もし、自由な活動もしたいのである。それが人間の常であり、消費者の選択である。保護者の「寺子屋」に対する評価はどの視点から見ても高い。社会が「養育」を引き受けるということは親がいなくても子が育つ仕組みだからである。結果的に、「寺子屋」は保護者の子育ての「手抜き」を助長している。男女共同参画の反対論者はその点を批判し、子育てとしつけは家庭の責任である、といい続けている。
  しかし、女性の就労と男性と対等の社会貢献を奨励するのであれば、家庭の最大の責務である子育てはその大部分を社会が引き受けなければならない。まして、女性にもっと子どもを生むことを要請し、「少子化」を止めなければならないと訴えるのであれば、「養育の社会化」政策は必然である。寺子屋に対する保護者、特に母親の圧倒的な支持は女性が「正直に」、「現実的に」、時には、「わがままな自由」を行使するために「養育の社会化」を支持しているということである。

4  多様な先生方の慈しみと指導の中で子どもは健やかに育っている

  多様な先生方の慈しみと指導の中で子どもは健やかに育っている。子どもは「寺子屋」を楽しみに待っている。子どもは沢山のことを体得し、これまで「できなかったこと」が「できるようになっている」。子どもは体得した事柄を保護者にとくとくと報告している。結果的に、親子の会話も相互理解も深まっている。指導の基本を間違えない限り、「寺子屋」を通して、子どもの体力も耐性も向上する。それがあらゆる「学び」の土台であり、基礎である。
  先生方と保護者の交流も少しずつ深化している。日本文化は礼儀正しい。保護者は必ず指導者に御礼と感謝を忘れない。そこから熟年指導者との交流の機会も、さらには熟年指導者の活力も生まれて行く。

* (註)  行政及び学校幹部による評価は大部分の回答者が「寺子屋」の現場すら見たこともないので省略する。


II  保護者による評価   「寺子屋」は役立っているか?

  2年目の実践に入って寺子屋は本格的に保護者の評価を問うた。以下はその要約と分析である。結論は「寺子屋」は何としても存続すべきである、というところに落ち着いた。それぞれの家族は様々な問題に当面している。それゆえ、様々な意識と視点で寺子屋を見ている。しかし、視点や意識の相違にかかわらず、寺子屋への評価は予想以上に高かった。子育て支援の「モデル」として、教育の視点からも、保育の視点からも、家族や地域の人間交流の視点からも、子どもの幸せや楽しみの視点からも、安全や就労支援の視点からも合格であった。

1  様々な子どもへの期待、それぞれの心配

  親の希望も、親の気掛かりも現象的にはさまざまである。しかし、基本となる「根っ子」は共通している。共通項は「体力」と「耐性」である。寺子屋の教育効果のアンケート調査にそれがはっきりと現れた。

  (1)  診断も処方も間違っていない

  現代の子どもは心身ともに「へなへな」である。子宝の風土の家庭は基本的に「過保護」であり、学校は「へなへな」の子どもに適切に対処できていない。「体力」と「耐性」を重視し、その上で社会生活の基本を「体得」させようとしている寺子屋の指導方針は間違っていない。カギは「行動耐性」と「欲求不満耐性」の二つである。

  (2)  保護者の評価は、圧倒的に「体力」、「がまん強さ」、「意欲・積極性」の向上に集中している。集団生活への適応も、表現力も、友だち付き合いも、思いやりもすべて体力、気力、がまん強さを土台にして成り立っているのだから当然であろう。

  (3)  調査結果の要約

 *『辛い条件に耐えてがまん強くなった』
 *『泣き虫癖』がでなくなった
 *『多様な視点で集団生活に慣れ始めている』
 *『思いやりとがまん』の両方を獲得
 *『体力』の向上
 *『病気をしなくなった』
 *『お友達が出来て、積極的になった』
 *『集中できるようになった』
 *『あきらめない意欲が出てきた』
 *『チャレンジ精神が身についた』
 *『表現力が上がっている』
 *『よく食べ、よく眠り、体力がつき、病院へ行かなくなった』
 *『最大の変化は集中力と意欲』
 *『食欲、半袖、風邪も引かない』
 *『上級生はリーダーになって自信がついた』

2  子ども達の楽しみは「機能快」と「交流」

 (1) 子どもの圧倒的な楽しみは『機能快』である

  保護者はほとんど異口同音に子どもが「できるようになったこと」を家庭で報告すると指摘している。『機能快』とはできる喜びである。「出来ないことが出来るようになる」、「少ししか出来なかったことが上手に出来るようになる」、「やったことのないことをしてみた」、「知らなかったことを親に話して聞かせることが出来るようになる」。これらはすべて子どもの機能快である。子どもは縄跳びが出来るようになり、俳句カルタを空で全部言えるようになり、英語も少しは言えるようになり、自分のハンケチを染め上げ、わら細工の飾りを褒められ、花を活け、学校の外の友だちが知らないことも知っているのは機能快である。これらは楽しいことであり、喜びであり、誇りであり、自信である。だから毎日親に話して聞かせるのである。結果的に家族の交流も、コミュニケーションも格段に深化している筈である。言葉も使えるようになって行くはずである。そして子どもの進化を保護者が認めて褒めてくれれば更に子どもの意欲と自信は深まる筈である。『機能快』こそが「体得」の最大の贈り物である。それらは言葉や理屈では達成できない。ひたすら身をもって体験し、自ら反復練習を繰り返さなければならない。『学校では習えないことを習っている』という保護者の感想は間違っていないのである。

 (2) 子どもの副次的な喜びは友だち付き合いの深化である

  寺子屋では、子ども達が「体得」の指導を通して「同じ釜の飯」を食っている。1年から6年までの異年齢集団の活動であるため、体得の足並みは揃わない。下級生は背伸びをしてがんばる。上級生は足踏みをして待っている場合も多い。その間、お互いがお互いを支えあっている。そこから友だちの付き合いが深まって行くのである。子ども達は保護者に「寺子屋」の友だちの事を沢山語っている。"近所"を越えて他の地区の子どもとも親しくなっている。年下の子どもの面倒もよく見るようになる。『外で出会っても○○チャンと呼び合ってうれしそうである』。とにかく「寺子屋」は「たのしい」のである。

 (3) 調査結果の要約

 *『「記憶力」のすばらしさはおどろきです』
 *『子どもは寺子屋で習ったことを実践しています』
 *『仲間はみんな良い関係のようですね。他の子ももっと寺子屋に参加すればいじめなんかなくなるのに・・・。』
 *『友だちと協力してやりとげている』
 *『異学年のお友達が出来た。外であった時に呼び合うので分ります』
 *『寺子屋に慣れて楽しいようです』
 *『低学年の子どもに手を貸している』
 *『年下の子どもともよく遊ぶようになった』
 *『お友達と外で遊ぶ』
 *『他人との関わり方をそれなりにこなしている』
 *『人を気づかうことができるようになった』
 *『友だちにやさしくできる』

3 家族は「安心」と「自由」を、女性は「就労の可能性」を獲得した

女性政策の視点から見た寺子屋の意義は、「育児支援機能」と「就労支援機能」に2分される。

 (1) 寺子屋がなければ、離職か、転職か、転居を選ばねばならない

  寺子屋は「養育の社会化」を目指している。学童期の育児と教育を社会が引き受けるという意味である。したがって、寺子屋の機能を「保教育」と呼んだ。保育も教育も同時に行なうという意味である。学童期の子どもを家に残して仕事には行けない。子育て支援が「教育」しか出来ないのでは親は家を空けることは出来ない。もちろん、子どもが健やかに成長を続けていなければ、保護者は何も手につかない。現代の保育には成長と発達の保障は出来ない。それゆえ、学童保育のように子どもを預かるだけでは親の安心は確立できない。子どもの安全と健全育成が同時に達成された時、はじめて女性の就労が可能になるのである。

 (2) 放課後も、休暇中も、元気に成長している子どもを見れば「安心」である

  教科教育は学校に任せるとして、社会生活の予行演習は今の家庭にも、学校にもほとんど出来ていない。子どもの心身が「へなへな」なのはそのためである。寺子屋は「保教育」の中身と方法を変革して、保護者の「安心」と「自由」を保障している。子どもは楽しく友だちと遊び、心身の力と気合いとがまん強さを鍛えている。意欲も、集中も、思いやりも、協力も出来るようになって行く。子育ての役割が女性に集中している現状は不幸であるが事実は事実である。それゆえ、寺子屋のプログラムは女性の働く時間に合わせている。そこから女性の就労が可能になるのである。

 (3) 調査結果の要約

 *『家族は寺子屋を通して様々な人々に出会っている』
 *『子どもは集団生活に適応している』
 *『元気で、やる気で丈夫になっている』
 *『家事の時間が十分にとれる』
 *『めだって子どもが成長している』
 *『ひとりで留守番はさせられない』
 *『通学路ですら危険な世の中になった』
 *『仕事を持っている女も安心できる』
 *『自分が不在の時でも子どもは学び、成長する』
 *『子どもだけを家にはおけない』
 *『集団の中で生きてゆけるようになった』
 *『多くの子どもの味方に囲まれて子どもは安全です』
 *『安心しているのは女性だけではないのです』
 *『寺子屋は子どもの安全、地域でも多くの先生を持つようになり安全性が一段と増した』
 *『助かっています。ないと困ります。』
 *『家族の付き合いも広がっています』
 *『子どもも安心、仕事安心』
 *『寺子屋がなかったら引っ越すところでした』
 *『土曜日は保育園の「学童」を利用しています』
 *『安心と安全、育児を助けてもらっています』
 *『きょうだいがない子どもには大事です』
 *『おかげで仕事が出来ます』
 *『寺子屋がなければ辞職か、転職です』
 *『寺子屋にいるというだけで安心』
 *『お迎えに行くまで待っていることが安全の保障です』

4  「有志指導者」への「感謝と共感と賞讃」

  保護者は「学校で教わらないことを教えてもらう」と書いている。「親が出来ないこと」も教えていただいている、と書いている。「指導の巾が広いこと」に感心している。有志指導者の一生懸命な指導に頭が下がると御礼と感謝の言葉が並んでいる。「叱るべき時は叱って」と価値の指導を願っている。何より子どもがなついて、喜んでいる。

5  様々な存続理由

  住民の声を政治は果たして何と聞くか?拠点施設の学校は何と聞くか?そして指導にあたった「有志指導者」は何と聞くであろうか?

 *『安全』と『人間としての経験』の視点から存続すべきである』
 *『体験の継続は現代の教育にはない』
 *『異年齢、異学年との交流はない』
 *『料金を上げても存続して』
 *『共働きと子どもの安全を考えて!』
 *『子どもはいろいろな経験が出来て幸せ』
 *『核家族化が進むなかで世代間の伝達は重要』
 *『なにより子どもが気に入っている』
 *『家族のコミュニケーションも、地域のコミュニケーションも、安全も、子どもの楽しみも切らないで!』
 *『寺子屋を通して子どもは地域につながっています』
 *『仕事のためにも、子どものためにも大事です』
 *『共働きの実態に対処し、子どもの安全、教育の向上のためにも是非!』
 *『他市町の人は「羨ましい」といっています』
 *『なくなったら大変困ります』
 *『横のつながりができる、安心して働ける』
 *『学童とは違い、子どもの体験の質が豊富です』
 *『なんども"たのしい"というのです』


III  子どもによる評価

「がんばったこと」もある、「できるようになったこと」もある、「友だちも増えた」、寺子屋は「楽しくて、うれしい」。


1  「頑張ったこと」は中々一つに絞れない

  子どもの意見、特に下級生が調査票に答えるのは主として「単語」のみである。叙述や説明はほとんどない。分析者が想像力を働かせねばならない。問1は「一番頑張ったこと」を「一つだけ」書いてみて、と頼んだ。

 (1) 頑張ったことは分散している

  俳句を頑張った人もいる。ロープワークを頑張った子どももいる。もちろん、今回導入した「英語」や「論語かるた」や「雨にも負けずの手話」を頑張った子どももいる。

 (2) 「頑張ったこと」は中々一つに絞れない

  「ひとつだけ」と書いてあっても沢山の頑張ったことが列挙してある。「ひとつだけ」の文意を見落とした場合もあるだろうが、正直、色々頑張ったので、中々一つに絞れないということもあるだろう。二つ以上書いた子どもが沢山いた。

2  驚くべき「吸収力」

  問2は新たに「できるようになったこと」を尋ねている。答の大部分は新規に導入したプログラムに集中している。もちろん、「できるようになったこと」は、問6で尋ねた「お父さん、お母さんに自慢できること」と重なっている。
  まさに驚くべきは、子どもの驚くべき「吸収力」である。子ども達が新たに「できるようになったこと」は回答数の順に並べると以下のようになる。
 
 (1)  「論語カルタ」
 (2)  「雨にも負けず」の英訳の暗唱
 (3)   同上     の手話
 (4)  お手玉作り、においぶくろ(ぬいもの)
 (5)  ロープワーク
 (6)  なわとび/大縄跳び
     (うしろとび、あやとびなど、また、回数も特記して進歩の度合いを誇っている)
 (7)  お手紙書き
 (8)  ドッジビー(ドッジボールとフリスビーを組み合わせたあそび)

  その他変わったところでは「モップ掛け」ができるようになったり、「友だちが沢山できた」というものもあった。

3  「楽しかったこと」は?

  問3は楽しかったことを尋ねた。沢山の答が並んだ。子どもの楽しみはプログラムが作る。寺子屋の「命」はプログラムである。教育力の具体的条件もプログラムである。

 (1) 「みんなでやったこと」、「みんなであそんだこと」・・「トランプ、かるた、むかしあそび」、「フットサル」、「ドッチビー」
 (2) 初めての体験・・「いもほり」、「料理」
 (3) 自分の作品が残ったこと・・「ぬいもの」、「紙てっぽう」
 (4) 「楽しかったこと」は「できるようになったこと」・・「なわとび」、「お手玉」、「おりがみ」

4  「むずかしかったこと」は新しい挑戦

  (1) 「難しかったこと」の代表は「英語」である
  難しかったことは圧倒的に「英語」であった。実行委員会が子ども達に課した新しい挑戦は英語である。子どもは音も、語も、意味も、実際に英語を話す人も知らない。難しいのは当然であろう。しかし、誉めてもらいたい一心で挑戦しているのであろう。

  (2) 「むずかしいこと」の2番目以下は各種プログラムに分散した。それぞれの苦手種目が選ばれたようである。たとえば、「なわとび」、「手話」、「におい袋」、「ロープワーク」等が続いている。当然、学年によって「たのしいこと」も「むずかしいこと」もちがってくる。

5  「ほめられたこと」も「しかられたこと」も覚えている

  問5は「ほめられたこと」と「しかられたこと」を尋ねている。子ども達はどちらもはっきりと覚えていてきちんと答えている。

  (1) 「嬉しかったこと」は「覚えている」

  子どもは正直である。褒められて嬉しかったことは覚えている。先生方にとってはご自分が指導した結果が子どもに現れれば当然嬉しいことであろう。それゆえ、「誉め易い」のも「できるようになったこと」である。かくして、子どもの上達が賞讃の対象になるのは当然の結果であった。しかも、寺子屋はプログラムが多様である。その分だけ、子ども達が「ほめられたこと」も千差万別である。
  先生方は毎日交替される。それゆえ、プログラムも「日替わり」である。それぞれの先生方は、期せずして、多様な視点、複眼の視点で子どもを見て下さる結果になっている。多くの指導者がそれぞれの領域ごとに、それぞれに頑張って上達した子どもを誉めて下さっている。「できるようになったこと」に焦点をあてれば、誰もがどこかで誉めてもらっているに違いない。「褒められたこと」の「千差万別」はそこから来ている。寺子屋の最大の強みは沢山の教師陣であり、様々な評価尺度が同時に存在していることである。もちろん、稀にではあるが、「責任の遂行」、「義務の履行」についてなど、子どもの責任感、協調性、積極性、心配りなど規範や道徳性の観点から注目して誉めていただいている場合もあり、子どもは胸を張って特記している。

  (2) 最大の「叱られ項目」は「私語」である

  一方、「叱られたこと」は主として「私語」であり、「さぼり」であり、「ルール違反」である。子どもの集中力、持続力はまだまだである。子どもは「叱られたこと」をしっかりと記憶している。子どもの記憶を通して、先生方のご指導は、寺子屋における規範の確立や基本的生活習慣のトレーニングとして確かに機能している。

6  家族に「自慢」できるものは「上達」の証拠である

  問6は「お父さん、お母さんに自慢できるものはなんですか?」と尋ねている。

 (1) 自慢できるものは上達の結果である。

  具体的には「雨にも負けずを早く暗唱できた」、「縄跳び」、「お手玉」、「ロープワーク」、「手話」、「読み聞かせ」、「論語カルタ」、「折り紙」等と続く。子どもの楽しみも、達成感も「機能快」の結果である。それゆえ、「できるようになったこと」と「楽しかったこと」と「自慢できること」は多くの項目において一致している。

 (2) 先生方の「観点」が子どもの誇りに直結している

  珍しかったのは「後かたづけをきちんとやった」、「静かに宿題をやった」などというのがあった。どこかで先生方に誉めていただいたに違いない。先生方の指導の「観点」が間違いなく子どもの誇りに直結しているのである。

7  先生方への「たより」は未だ書けない

  問の7は「先生方にお便りを書きましょう」である。当日、ついていた「寺子屋主事」あるいは先生のご指導があったのであろうか?文面の大部分は御礼の文言であった。もっと自由に書かせてみたいものだが子ども自身の頭の中に「御礼をいわなければ・・・」という枠があるのであろう。それはそれで礼儀正しいことであるが、「型通り」の「紋切り型」で面白くはない。

 (1) 御礼は「型」にはまって、紋切り型である

   主文は「いろいろおしえてくれてありがとう」であった。「教えてもらった」中身は沢山のプログラムに分かれる。調査票の記入の際に若干のオリエンテーションが行なわれるとこのような回答になるのであろう。

 (2) 寺子屋の先生が好きなのである

   寺子屋は楽しい、寺子屋の先生が「好き」だとあった。「褒められたこと」は忘れられない。先生方を励ますことも忘れてはいない。
   与えられた課題が「できるようになりました」と報告をしている便りもあった。
  
(3)  世代間交流の芽

  「身体に気をつけて!」、「病気しないで頑張って」と「指導者の年齢を自覚した」たよりがあった。先生のお名前を書いて御礼を言っているものもあった。勘のいい子どもは「世代間交流」の意味を分っている。

(註2)それぞれの評価票はすでに紙上で紹介しているので省略している
(註3)「有志指導者」の評価は2006年1月に「意見交換会」を兼ねてお伺いする予定である。
 

←前ページ    次ページ→

Copyright (c) 2002-, Seiichirou Miura ( kazenotayori@anotherway.jp )

本サイトへのリンクはご自由にどうぞ。論文等の転載についてはこちらからお問い合わせください。