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生涯学習通信

「風の便り」(第71号)

発行日:平成17年11月

発行者:「風の便り」編集委員会


1. 「開かれた学校」の基本条件 −「学校支援会議」の背景−

2. 第61回生涯学習フォーラムレポート

3. アウトソーシングの株を買おう!!

4. 「型」の指導の成果を問う(ご案内) −「豊津寺子屋」合併前最終発表会−

5. MESSAGE TO AND FROM

6. お知らせ&編集後記

第61回生涯学習フォーラムレポート(1)


第61回フォーラムは山口県生涯学習センターの赤田課長のご配慮で前回に続いて山口県から事例の発表をお招きした。発表者は宇部市東岐波(ひがしきわ)地区のまちづくりグループの代表;赤川和恵さんである。論文発表は「子育て支援の経済学」(三浦清一郎)である。
 

1  13年の持続力                                                       

  「夢おいびと」の実践は13年続いている。発表をお聞きして持続力の中心はメンバーの質にある。月並みな言い方だが、人を動かすのはやはり「人」である。「夢おいびと」の実践は「教育推進地区指定」を受けたことを契機に始まった。それゆえ、活動は教育を中心とするが、まちづくりの視点を絡めて多様な分野にまたがっている。実践のテーマは、歴史、文化、自然、冒険心や想像力を育てる体験活動、ふるさとづくりなどである。なぜなら、「夢おいびと」の活動理念は『地域(親)は子どもをどう育てるか、ではなく、子どもに対してどういう地域(親)であるか、である』からである。活動は原則として月1回である。領域は登山、祭り、自然体験、夜間歩行、伝統文化の創造などである。それぞれのプログラムにメンバーの智恵が結晶している。

2  学校との協働                                                     

  筆者の最大関心事は学校とのかかわりである。あらゆる教育事業は学校の現状を抜きにしては考えられない。にもかかわらずほとんどの社会教育事業も、まちづくり事業も、子どもを対象としながら学校とは無縁のところで実施されてきた。それを不思議としなかったところが教育行政の不思議である。自分の学校の子どもが様々に地域の事業に参加していても多くの学校は関心を持たない。知識もない。したがって、子どもの背中を押してやることも少ない。これが学校の不思議である。
  東岐波の場合はほとんどの事業に当該小中学校の全面的な協力と参加が得られている。それだけでも特筆に値する。学校も、教育行政も、夢おいびともそれぞれに子どものことを忘れていないからであろう。

3  20世紀のプログラムと訣別                                            

  20世紀の生涯学習は学校と無縁で、福祉や子育て支援と無縁で、主たる活動領域は、趣味と教養と実益と軽スポーツに代表されてきた。これらの成果は主として個人に還元され、間接的にしか地域全体の役には立たない。財政難が明らかになった今日、行政主導で、しかも無料のプログラムは即刻廃止すべきである。出発点は趣味と教養と実益と軽スポーツであってもいい。しかし、公金を投入した生涯学習事業の目的は社会貢献である。行政主導:税金丸抱えで行なう「成果個人還元型」のプログラムは受益者負担によって自立すべきである。
  未来の生涯学習施策は、自立を要求することが難しい子どもと熟年を主たる対象とすべきである。結果的に、それは育児や介護を通して女性を支援することに繋がるのである。
  「夢おいびと」の活動は「協働」の「芽」を豊富に有しているが、現実の協働は今後の課題である。沢山の「有志」の智恵と力を借りて、行政だけでは到底実行できないことを実行している。しかし、報告をお聞きした限りでは、すべての事業に行政は影が薄い。教育行政は、予算を付け、モデル地区を指定するだけでいいのか?どうして新しい協働の流れに乗らないのか?「夢おいびと」が投げかけた真の問題はそのことである。民間グループの活動成果をお聞きしながら、行政の無関心・不作為の課題が浮かび上がってくるのである。

 


第61回生涯学習フォーラムレポート(2)
子 育 て 支 援 の 経 済 学 −教育投資論再考−

  筆者は学生時代に初めて「教育投資論」の学説に接した。当時も今も、教育を「投資」と考える考え方には教育界から大きな抵抗があることは知っているが、その感情的な反応こそが教育をシステム論の観点から分析できない主要な原因のひとつである。特に、子育て支援は公金を投資する複合的な事業である。文部科学省の補助事業「子ども教室」推進事業も、福岡県のアンビシャス運動の事業も児童一人あたり、児童1時間当たりの活動に要する公金の額を計算してみれば、余りにもその投資効果に対する発想が貧しいことが明らかであろう。二つの補助金によって実施されている子育て支援事業の大部分は「教育投資論」の視点からみれば落第である。

  1  直接目標と間接目標 ****************************

  子育て支援の直接目標は子どもの「安全」と「生きる力」の向上である。しかし、間接的な隠れた目標は他にいくつもある。その第一が「支援」によって大いに救われ、また元気づけられる女性の社会参画条件の整備である。また、熟年層が指導を買って出てくれた場合には、活動によって彼ら自身の活力を回復・保持することができる。なぜなら、活動が人間の心身の機能を活性化し、活動の結果与えられる社会的承認が熟年の自尊感情をエネルギーに変えるからである。しかし、子育て支援を看板にしながら、合わせて熟年の生きる力も向上させるという間接的な目標の実現のためには、子育て支援と熟年層の活用プログラムを総合的に組み合わせなければならない。熟年の力を社会的に登用して初めて可能になる原理である。それゆえ、熟年の「生きる力の保持・存続」こそ子育て支援の「方法論」に関わる極めて重要な課題なのである。この時、「生きる力」の向上はひとり子どもの問題に留まらない。方法を工夫することによって、熟年の生きる力を保持し、女性の元気を合わせて保障できるとすれば、子育て支援プログラムは、もはや子どもの問題に留まるはずはないのである。子どもの元気が熟年の元気を引き出し、ひいては女性の元気につながって行けば、最終的に地域は活性化する。子育て支援行政は今や地域活性化のカギを握っているといっても過言ではないのである。
  かくして、子どもの「安全」と「生きる力」の向上を確かなものにする課題は、「居場所」の確保と「活動のメニュー」の創造である。もちろん、居場所を確保しても今の子どもに自分達で少年集団を作り上げる力はない。活動のメニューを提示したとしても、自分達の力で自らの活動を生み出して行くこともほとんど不可能である。すでに子どもを取り巻く社会生活の実情は親の子ども時代とは根本的に異なる。祖父母の時代とは隔絶している。当然、子どもも昔の子どもではない。
  従って、子どもの居場所を彼らの「生きる力」の向上につなげるカギは、どうやって日常活動の指導者を確保するかである。すでに地方行政に指導者を招聘する財政的余裕はない。熟年層の活用はご本人にとっても、その指導を受ける子どもにとってもやりよう次第で抜群の効果をもたらす。「少老共生」・「幼老共生」は少子高齢化時代の基本方策にすべきである。それゆえ、教育投資論の評価視点は多様である。子どもにとってどんな意味があるのか?女性にとってどんなふうに役立つのか?指導を買って出て下さった熟年層にとって何をもたらすのか?そしてこれら複合的課題を解決するために基準単価は幾らかかっているのか?財政当局と渡り合うためには教育行政も客観的指標をそろえて「理論武装」しなければ到底太刀打ちはできまい。
  政治が社会教育を馬鹿にしているのは、投資効果の検証と証明が不十分だからである。現状の子育て支援プログラムの多くはお金をどぶに捨てているようなものだといったら叱られるか!?


  2  複合的問題に対する多様な評価視点 *********************

  子育て支援をめぐる問題は複合的であり、その停滞の原因も多種多様である。最大の原因は、現行の行政制度の「縦割り」の壁であり、保育と教育をバラバラに行っていることである。学童期における保育と教育の分離は、結果的に、子育て支援のシステムもプログラムも、人、もの、金、時間等社会的資源の無駄と徒労を生み出し、地域の複合的課題に応えるシステムを作り得ていない。
  それゆえ、子育て支援の最適のシステムを構築するためには、保育と教育を結合することに留まらない。財政難を考慮し、高齢化も視野に入れ、社会に参画する女性の条件整備を果たし、学校のあり方を含め、従来の分業を見直し、行政の硬直的な縦割りを正さなければならない。


(1) 子どもの変容評価 ******************************

  以下は保護者用のアンケート調査に準備した子どもの変容調査の視点である。

  『寺子屋では異年齢の少年集団を考慮した様々な活動を準備いたしました。日々のご家族の生活の中で、寺子屋活動の教育効果がなんらかの形で見られたでしょうか?次にかかげるのは「寺子屋」が目標とした事項の一覧ですが、これらの中で特にお子さんの進歩が著しいと考えられるものがございましたら2つだけその記号を選び、合わせてどんなところからそう思われるのかその判断理由を教えていただければ幸いでございます。』

  「寺子屋」がめざしたもの

a  体力の向上    
b  友だち仲間や集団生活への適応  
c  物事への集中力・持続力の向上   
d  基本的な礼義・作法の習得  
e  言葉使いや表現力の向上  
f  家族や友だちに対するやさしい行為や思いやりの態度の実践
g  気に入らない状況や辛い条件にも耐えられるがまん強さ
h  義務や役割を果たす責任感
i   協力する態度
j   学力の向上
k  物事に対する意欲や積極性の向上
l  その他(            )

(2) 女性の日常にはどのように役立っているのか?*******************

  次の項目は母親に尋ねた寺子屋事業の生活支援効果である。果たして女性は就労支援効果を選ぶのか、それとも育児・教育支援効果を選ぶのか、それとも両方を同時に選ぶのか?

  『「寺子屋」事業は女性の日々の生活にどのように役立っているでしょうか?次の項目は「女性政策」の立ち場で「寺子屋」事業の役割を想定したものですが、あなたの家族に当てはまるものがありましたら2つだけ選んで、その記号を(  )の中にお書き下さい。また、感想や理由があればご自由にお書き下さい。』
a  女性の仕事・就労を援助する
b  育児・教育の応援を得て、家庭教育を補完する
c  家族、特に女性の自由時間を確保する
d  放課後や休暇中の子どもの安全を守る
e  子どもに集団生活の機会を提供する
f  家族と地域の人々とのコミュニケーションを深める
g  その他(                  )


(3) 高齢者はお元気になったか? *************************

  以下は熟年が中心である「豊津寺子屋」事業の「有志指導者」にお尋ねした質問項目である。子どもの指導・援助を通して明らかに多くの指導者がお元気になられているが、本人はその活力源をどのように捉えているのか?

  『「寺子屋」事業は先生の日々の生活にどのような意味をもっているでしょうか?次の項目は「有志指導者」のお立場で「寺子屋」事業の「意味と意義」を想定したものですが、あなたに当てはまるものがありましたら2つだけ選んで、その記号を(  )の中にお書き下さい。また、感想や理由があればご自由にお書き下さい。』

a  自分が必要とされ、やり甲斐・生き甲斐を見つけることができた。
b  育児・教育の応援をすることで多くの家族の役に立てていると思う。
c  多くの保護者、仲間との交流・コミュニケーションが向上した。
d  子どもの指導を通して自分自身の心身の活力・健康が向上した。
e  寺子屋の生活指導を通して地域の大切さが分った。
f  寺子屋指導は自分の家族内のコミュニケーションを深めた。
g  自分が役立ち、自分の能力を発揮するのは楽しい。
h  その他(                  )

(4) 行政評価?地域住民のどこが変わったのか? ******************

1  寺子屋は子どもの「居場所」になっているか?
2  子どもは学ぶべきものを学んでいるか?
3  高齢者はお元気になっているか?
4  女性の役に立ち得ているか?
5  学校はコミュニティの学校になり得ているか?
  註 (学校の活用によって「移動の不要」による「子どもの安全」を確保し、子どものために作られた施設を拠点として「活動の多様性」を保障し、合わせて「経費の節減」を図っています。)
6  「寺子屋」の事業形態は財政節減に寄与しているか?
7  「寺子屋」の事業形態は役場内の異分野間連携に寄与しているか?
8  「寺子屋」の事業形態は住民との「協働」になり得ているか?


  3  教育投資論再考ー節約の経済学 ***********************

  「豊津寺子屋」の原理は「保教育」である。「保教育」に使われる金は明らかに公金の投資である。投資である以上は、効果と節約がカギである。投資の意義を証明するためには、できる範囲で事業の効果と投資効率の計算結果が示されなければならない。換言すれば、教育投資論の視点から「子育て支援の経済学」が論じられなければならない。問われるべきは以下のような問題である。


(1)  子育て支援の基準単価はいくらか? **********************

  基準単価の計算式はどのような項目を含むべきか?各「子育て支援システムや実践」の基準単価の比較が可能になれば、事業の効率評価ができるようになる。最も単純な基準単価の算定式は以下の通りであろう。比較すべき要素は、「1日当たりの単価」、「児童一人当りの単価」、「時間あたりの単価」等である。

(a)  「児童ひとり当たりの単価」
  =「投入した公金」÷「延べ事業日数」

(b) 「児童一人あたりの単価」
=「投入した公金」÷(「延べ事業日数」×「参加児童数」)

(c) 参加児童一人あたりの「時間単価」
=「投入した公金」÷(「参加児童数」×延べ日数×活動総時間)
=「児童一人あたり、1時間に費やした公金経費」
 
子育て支援の事業ごとに上記の公式に当てはめて計算してみれば、税金の投資効率の差は歴然たるものであろう。 

(2)  学校施設共用による建設コスト/維持管理費のコストの節約 ************

  「豊津寺子屋」の拠点施設は学校である。豊津町の財政課長は最も敏感に「寺子屋」事業がもたらす財源の節減効果に反応している。豊津町ではすでに児童センターを休館にしている。そこで行なわれていた「学童保育」は「豊津寺子屋」に統合され、独立の施設として光熱水費を支出する必要は無くなった。学童保育の非常勤嘱託の職員経費も、寺子屋活動を支えるボランティアの「有志指導者」の費用弁償に変わった。児童センターの休館措置だけで何百万円かの予算が浮いている。子育て支援の拠点を学校以外のところにおいている自治体がどれほどのコストを掛けているかを計算しなければならない。子育て支援でも、学社が連携すれば様々な経費の節減が可能なのである。学校を拠点とすることによって、子どもの移動の心配がなければ「安全パトロール」などの回数も減る。恐らく、そこで個々人が消費する時間的コストやガソリン代などは計算されたこともない。
  更に、学校が本気で子育て支援にコミットする時代が来れば、現在、保護者が負担している「安全保険料」は「学校安全会」がカバーすることになる。「豊津寺子屋」の場合、学校の無関心は百数十名の保護者に毎年500円の保険料を負担させているのである。

(3)  女性の自由時間がつくり出す労働経費の算定 ******************

  子育ての意義、楽しみは経済学的な算定とは全く別の話であることは論を待たない。当然、教育投資論は人生の意味とは切り離して論じている。しかし、子育てもまた労働であり、負荷である事に変わりはない。
  ジョン・ベイジーの教育投資論によれば、働ける人が、働くことの条件が整っていないために得ることのなかった所得は「放棄所得」と呼ばれる。学童期の子どもに対して「豊津寺子屋」のような社会の「養育システム」が確立されていれば、女性は就労が可能であったはずである。就労女性が獲得する賃金の額も、働けば働けたはずの「放棄所得」の額の計算も成り立つ。
  特に、長期休暇中の「豊津寺子屋」は「一日百円」、朝の8:00?夕方の6:00である。社会が提供する養育機能は、1日10時間家族を子育ての労働義務から解放する。仮に、こうした「養育機能」が存在しなかった時、家族はどのくらいの不便に耐え、その結果どのくらいの支出を要求されることになるのか。たまたま宗像市の「一時保育」の経費が広報に掲載されたが、半日単位で幼児は1,500円?2,000円とあった。
  家族の自由時間も利便性もすべて自己負担で購った時のことを想定すれば、養育の社会化の経済性に想像力が働くであろう。現在、「豊津寺子屋」が保障している自由を確保するために子どもの「保教育」を外部に委託するとすれば、その時の家族負担の経費はいくらになるのか?
  子どもの発達は経済価値に換算は出来ないが、寺子屋の教育プログラムは塾や習い事に比較してその経済効果を計算することができる。比較できるとすれば、どのくらいの「学習料」に匹敵するのか?寺子屋の経済学の一端として計算が試みられて然るべきであろう。

(4)  熟年期の医療・介護費の削減による経費の節減 *****************

  健康の喜びや生き甲斐の充実感は数字に表すことは出来ない。しかし、一般高齢者の平均医療費と「寺子屋の有志指導者」の平均医療費を年齢層別に比較してみれば、医療・介護経費の削減率が計算可能になる。介護の必要経費については、指導者の年齢層ごとの体力や気力の測定と全国平均との比較が必要である。体力測定の結果が、全国平均と比べて優っていれば、明らかに介護の必要は先送りすることができる。百五十名になんなんとする有志指導者の内の10?20パーセントが介護の必要を先送りできたとして、節約できる介護費は一体いくらになるのか?このような計算を想定するだけで生涯学習と介護福祉の連携が不可欠であることは明らかであろう。

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