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風の便り

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生涯学習通信

「風の便り」(第69号)

発行日:平成17年9月

発行者:「風の便り」編集委員会


1. 子育て支援の論理と方法 −「豊津寺子屋」モデルの意味と意義−

2. 子育て支援の論理と方法 −「豊津寺子屋」モデルの意味と意義−(続き)

3. 紅白まんじゅうが届いた!!

4. 戦後教育の核心を問う

5. MESSAGE TO AND FROM

6. お知らせ&編集後記

 紅白まんじゅうが届いた!! 

夢中で出版原稿の推敲に向かっていたら、チャイムがなって隣組長さんがお出でになり、紅白まんじゅうと清酒の1合瓶が届いた。思えば「敬老の日」であった。平成17年度中に65才になる方には漏れなくお配りしています、という口上であった。
   隣組長の御努力には敬意を表するが、紅白まんじゅうも清酒も有り難迷惑以外の何ものでもない。どこからこうした物品の金が出ているかは知らないが、まことにアホな金の使い方である。紅白まんじゅうがうまくないだけではない。65才になるからといって目出たくもなんともない。定年後の生涯時間はすでに20年を越えているのである。男性にとっても平均寿命はまだ10年以上もあとのことである。女性の場合であれば、20年もあとのことである。定年のシステムや法制度上の高齢者の定義は65才でもちろん問題はないが、その段階で長寿を祝う紅白まんじゅうを配るというのはなんとも時代錯誤であろう。少なくとも筆者にとって、紅白まんじゅうは不要であり、人生50年時代の遺物である。自治会には申訳ないが、幹部の頭も時代遅れである。70才は古稀と呼ばれる。70才まで生きることがそもそも「まれ」なことだったからである。65才から配りはじめる紅白まんじゅうは「古稀の時代」の遺物である。医療費や介護費はもとより、日本社会のあらゆるシステムが高齢化によって危機に瀕している現在、紅白まんじゅうの金は老いてなお社会への貢献を続けようとしている方々のボランティア基金にでも投入すべきである。介護や医療への支出は不可欠であるが、それは「褒美」ではない。必要なのは、高齢者の健康と社会貢献への評価である。それは努力の顕彰と結果への「褒美」でなければならない。現行の高齢者の福祉と教育のプログラムには人間の活力への想像力が不足している。
 

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