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風の便り

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生涯学習通信

「風の便り」(第66号)

発行日:平成17年6月

発行者:「風の便り」編集委員会


1. 「参画」・「発言」・「相乗効果」・「創造」の実感 −KJ法の威力−

2. 公設民営理念の登場と運営方法の革新

3. 異年齢の集団あそび

4. 第57回生涯学習フォーラム報告

5. MESSAGE TO AND FROM

6. お知らせ&編集後記

お知らせ 第58回生涯学習フォーラム

   フォーラム実行委員会では第25回中国・四国・九州地区生涯学習実践研究交流会を期して記念出版を行うため編集の準備を開始しています。そのため当分の間、各地の事例発表のお招きはお休みとし、代わりに、過去の「交流会」の発表の中から注目すべき事例を選び、その意義と内容・方法を実行委員の持ち回りによりそれぞれが小論文の形にまとめて発表する形式を取ります。

◆ 日時: 平成17年7月16日(土)15時-17時
     のち「センターレストラン『そよかぜ』にて夕食会」
◆ 場所: 福岡県立社会教育総合センター
◆ テーマ及び事例取りまとめ者:
       1 大島まな (仮) 「子どもヘルパー事業の意味と意義」(九州女子短期大学)
       2 永渕美法 (仮) 「きよらの里づくり」(九州女子短期大学)
       3 三浦清一郎 (仮) 「新しい日本人」と「協働」の概念 −生涯学習まちづくりの混沌−

フォーラム終了後センターレストランにて「夕食会」を企画しています。ふるってご参加下さい。
準備の関係上、事前参加申込みをお願い致します。(担当:恵良)092ー947ー3511まで。


編集後記  商業主義は教育の敵か?

  原則として人々がお金を払うものには価値がある。価値があるから「支持」が集まるのである。商品やサービスの品質を磨いて、人々の評価と支持を得ようとするのが「商業主義」である。教育界はややもすると「経済」や「効率」や「貨幣価値」を軽視するが、結果的に、今、日本の教育に一番欠けているものが、「商業主義」の発想である。公的な社会教育にも、学校にも、「経済」や「効率」や「貨幣価値」に対する認識が欠落している。過去の生涯学習フォーラムにおいて、筆者はすでに公立学校の「英語教育」を"巨大な浪費と巨大な徒労"と評したが、市中では駅前留学のNOVAや英会話のジオスなどが繁栄を誇っている。多くの「補習教育」:「塾」も、少子化の中ですら衰えを知らない。理由は単純である。英会話学校も、塾もその価値に人々の「支持」が集まり、その効果に人々が金を払っているからである。それならなぜNOVAやジオスやベルリッツのやり方を学校教育に取り入れないのか?なぜ、塾の指導姿勢を学校に取り入れないないのか?なぜこれらの英語学校の先生を公立学校に導入しないのか?一つの壁は「教員免許状」であろう。国際化の時代に、英語も話せない子ども達は不幸である。少し智恵を働かせれば、「代用教員」という概念を活用した時代があった。その制度を復活させて、外国人の「代用教員」を採用すればいいだけの話であろう。教員免許状を持っていない指導者が指導する時は、かならず教員免状のある「教員」が付いていなければ、指導はさせない、などというばかげた規制は撤廃すべきである。この制度に固執する限り教員給料も2重に払い続けなければならない。給料の2重払いなど私立学校にやれるはずはないのである。指導者の適否は経験と識見に基づいて校長が判断すればすむことである。そうした時のための校長ではないのか!?

  同様のことは例えば「水泳」でも可能である。スイミング・スクールが花盛りの現在、すべての学校にろくに使いもしない防火用水代わりのプールを建設する必要はない。大部分の教員は適切な水泳指導はできない。女性教員の多くは子どもとプールに入ることすら嫌がる。友人の教育長はプールの建設を止めて、スイミング・スクールと学校水泳指導の契約をした。教育効果の点からも、建設経費/維持費の節約という経済性の点からも、地域スポーツ産業への貢献の点からも卓見である。

  こんどは「食育」がブームである。そのブームに便乗して、公立学校に食育担当の教諭まで配置するという話が持ち上がっている。無駄なことである。食育が必要なら学校給食を速やかに「商業主義」の専門企業に委託すべきである。その委託契約の中に「食育」指導を義務付ければいいのである。すでに病院の給食や企業の食堂運営を担当している専門の業者が沢山生まれている。彼らは厳しい顧客の評価に耐えて、金を稼いでいるのである。当然、終身の身分保障を受けた学校の教諭が受ける評価とは段違いに厳しい評価に耐えた栄養士や調理人が付いている。なぜこれらの人々を「食育」に活用しないのか?「商業主義」をばかにしてはいけない!ビジネスも、文化も、人々がお金を払ったものだけが歴史のふるいの評価に耐えて生き残って行くのである。あらゆる芸術の古典は大衆に支持され、大衆がお金を払ったものが生き残ったのである。歌舞伎だって、オペラだってそうである。文学も、映画も、落語も、講談も同じである。「大衆小説」と当時の識者がばかにした山本周五郎も、藤沢周平も、今は堂々たる文学である。商業主義の選別に耐えて、人々が金を払って彼らの作品を読み続けた結果である。前号65号に加藤寛さんの「私の履歴書」から引いて、「官の肥大化」は国民の福祉を向上させ得ないという論旨を紹介したが、学校教育も同じである。これ以上教育公務員を増やしてはならない。現行の教員制度にも「任期制」と「契約制」を導入すべきである。それこそが教育に創造的な「商業主義」を取り入れる最短の方法である。

  「少人数学級」の実現のために新たな教員が必要であるなら、教員免許状に関係なく、市中の評価を受けた優れた「代用教員」を「契約」によって採用すべきである。筆者は教員養成大学に勤務したが、実践と切り離された空理空論の場所からすぐれた教員は生まれることはない。

  日本経済から官主導の部分を排除して、真の市場経済に転換させることが国民福祉増大への道だと加藤さんが確信したように、「官」は教育でも行き詰まっている。逆説に聞こえるかも知れないが、筆者は日本の教育から官主導の教育をできるだけ少なくし、「商業主義」として栄えている市中の教育活動の内容と方法を学校教育に取り入れて行くことが子どもの教育向上の道であると確信するようになった。大学から農業まで「官」に守られた職業では人々は努力を惜しみ、あらゆる堕落が始まる。雇用や経営を保障されたものは、決して向上も、進化も果たし得ないのである。


『編集事務局連絡先』  
(代表) 三浦清一郎 E-mail:  kazenotayori@anotherway.jp

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