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風の便り

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生涯学習通信

「風の便り」(第63号)

発行日:平成17年3月

発行者:「風の便り」編集委員会


1. 『むなかた市民学習ネットワーク』の20年

2. 中・四国・九州地区生涯学習実践研究交流会第24回大会のご案内

3. 「アホな総合的学習」と「アホでない総合的な学び」

4. 第55回生涯学習フォーラム報告

5. MESSAGE TO AND FROM

6. お知らせ&編集後記

第55回生涯学習フォーラム報告


  第25回大会記念の出版を前提とした事例の再整理と背景の分析作業を続けている。4回のフォーラムを経て、4本の論文と9つの事例の整理を終了した。このペースで作業が進めば、年内に作業を終え、来年の5月には参加者に新しい本をお届けすることができる。
  第55回のフォーラムでは宮崎県綾町の自治公民館システムの徹底活用によるまちづくりの事例を分析した。発表は、平成13年度第20回記念大会の「自治公民館拠点主義のまちづくり事業における「生涯学習推進員」の機能と役割」を基本とし、合わせて第10回大会『照葉樹林のまち綾町の自治公民館活動」も参考にした。事例の整理は福岡県立社会教育総合センターの重松孝士さんが担当した。また、論文発表は、前回の「セカンドスクールin英彦山」を含めて、国土庁の「セカンドスクール」構想を取り入れた「二つのセカンドスクール」(三浦清一郎)である。事例のポイント、論文の骨子、議論の方向は以下の通りである。


1  「区長制度」の革新は可能か?


○ 自治公民館制度は多くの地域で導入されているが、現行の「区長制度」のもとでは、どうしても行政の下請け機関としての性格から抜けきる事は出来ない。そうした状況を宮崎県綾町では行政との協働による新たな住民自治システムによって変革しようとした。

○ 特に、地域住民の主体的なまちづくりや身近なところでの生涯学習の推進が求められる中にあって、綾町ではその推進拠点として自治公民館を位置づけ町行政がこれを積極的に支援している。

○ また、最近では行政改革、地方分権、市町村合併などを背景に地域の共同体や自治をどう形成し、維持するかが課題となっている。そうした中、地域住民の自治組織づくり等がひろがっている。その意味からすると、各地域にある自治公民館公民館制度は改めて見直されてよい選択肢の一つである。

○ 具体的な方法として、区長制を廃止(区長と公民館長を兼任していた)し、自治公民館を拠点としたまちづくり事業を推進するシステムに変えた(自治組織の統合)。

○ 町当局はその振興費を予算化し、支援に努めた(町行政と自治公民館との協働)。


2  生涯学習は住民自治を促進できるか?


○ 中でも、生涯学習の推進を自治公民館活動に位置づけ、生涯学習推進員を各館に配置するとともに自治公民館学習講座を開設した。(自治公民館活動と生涯学習を統合)

○ こうした取り組みが町民に「綾町には行政と住民が協働する自治公民館制度がある」と言わせるまでになっている。(地域住民の主体性の育成)
 綾町の事例はまちづくりの方向に巨大な問題を投げかけている。果たして同じような方法が人口移動の多い都市部でも機能するのか?従来の共同体と生涯学習を組み合わせただけで本当に住民自治は生まれるのか?異なった発想をもつ個人はその中で自由に生きる事はできるのか?なぜ綾町方式が効果を上げているにもかかわらず全国に広がらないのか?次回の論文に新しい視点をいただいたと考えている。


3  二つのセカンドスクール構想

(1)  教育プログラムの抜本改革と過疎対策の統合


   「セカンドスクール」は「セカンドハウス(別荘)」をもじった和製英語である。国土庁の発想は、教育課題への対応と過疎対策をドッキングしようとしていた。自然接触体験を欠損し、異年齢集団体験の機会を失った子ども達には「日常の学校」を離れた新しい教育活動の舞台が必要であった。そうした「必要」に対処するための、当時の文部省の発想は、「青年の家」であり、「少年自然の家」であった。しかし、そのどちらにも「過疎対策」の視点はまったく欠如していた。当然と言えば当然であるが、文部省は教育のことしか考えていない。それゆえ、地域活性化や国土の均衡発展は文部省の管轄外であった。地域の均衡的発展や過疎対策は国土庁の課題であった。もちろん、この当時、現在の「生活科」や「総合的学習」の発想は提起されていず、歴史的に積み上げられて来た「合科教育」の視点は忘れられたままであった。文部省は、地域の発展と教育問題を重ね合わせた総合的視点は有していなかったのである。


(2)  「交流人口」の拡大


   「セカンドスクール」構想の最大特徴は教育施策による「過疎対策」の視点である。セカンドスクールの物理的目的は、都市の学校の交流拠点を田舎の学校機能に隣接して創設することである。
   構想では、都市から日帰りで保護者が行き来することのできる交通可能距離圏内の地方の学校と協力して宿泊・教育活動の施設を整備するというものであった。結果的に、セカンドスクールを訪れる子ども達は、過疎地域にとっては「交流人口」の確保を意味している。保護者が日帰りで現地を訪問できるという条件を加味したのは、小学校児童の発達段階や親の心情を考慮したものであったことはいうまでもない。副次的ながら、過疎地にとっては、保護者の訪問も「交流人口」の拡大を意味した。
   セカンドスクールのプログラムに子どもがうまく適合できれば、結果的に、短・中期の山村留学の規模の拡大を意味する。交流人口の拡大は、都市と地方の交流を促すだけではなく、過疎の町村に経済効果を生み出す。わずかであっても宿舎や賄いの世話に関して雇用の機会も増大するであろう。義務教育レベルで予算化され、すべての市町村で「セカンドスクール」構想が動き出せば、都市と地方の交流は子どもを核として間違いなく活性化したであろう。その他考えうる限りの文化的交流、自然環境の保全、「合科教育」など、教育の新しい試みもセカンドスクールの自然発生的な副産物となるはずであった。


(3)  体験教育/交流教育を過疎対策に組み込めるか?

 

   文科省には過疎対策の問題意識はない。行政機能の分業、施策の役割分担上それはやむを得ないことである。個別の省庁に政治家が果たすべき総合化の機能を期待することは無い物ねだりである。したがって、文科省が打ち出す教育政策に過疎対策の視点が入る道理はない。第1のセカンドスクール構想が教育政策の支持を得られなかったのはそのためである。現状から推察するに今後の政策転換も予想できない。この国では中央の政策支持を得られない事業は拡大しない。国の政策とならない限り、県も市町村自治体も冷淡になる。補助金行政が関係者の首を締め上げているからである。地方分権が実質的に具体化するにはまだ数十年の歳月を要するであろう。その間も、過疎は着々と進行する。第1の「セカンドスクール」構想が取り上げられれば教育と過疎対策が結合するが、それは政治家の仕事である。そこまで過疎を心配して勉強する「文教族」の政治家がいるか否か、最終的にはこの国の政治家の資質に帰結する。

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