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風の便り

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生涯学習通信

「風の便り」(第111号)

発行日:平成21年3月

発行者:「風の便り」編集委員会


1. 三つの「始末記」 

2. 教師の指導力、子どもの吸収力 -桂川東小学校始末記-

3. 住民による住民のためのハンドブック-みやこ町の検証実験-

4. さようなら「豊津寺子屋」 -研究の原点-

5. MESSAGE TO AND FROM

6. お知らせ&編集後記

さようなら「豊津寺子屋」 -研究の原点-

1  一石数調の事業

 「豊津寺子屋」はわが研究の原点でした。子どもの指導法についても、官民恊働についても、女性支援についても、コミュニティスクールについてもさまざまなことを考え、さまざまなことを解決して来ました。自治体の男女共同参画の担当部署が主催した最初の事業でもあったことでしょう。寺子屋開設以来5年、準備期間をいれて7年、顧問を続けて来ました。「保教育」の発想は、男女共同参画の切り札であり、学校外で、あるいは学校と連携して子どもを鍛える最善の発想です。財政負担も最少で済み、熟年の指導参加によって、彼らご自身のお元気も、世代間交流による地域の活力も向上させました。
しかし、合併後の行政は「豊津寺子屋」の総合的子育て支援の意味を理解しませんでした。保育に限定された貧弱な学童保育に大金を投じている地域の不幸を思うと誠に歯がゆいことですが、聖書の言うとおり、ものごとが成就するにはそれにふさわしい「時」があるのでしょう。合併後2年間待ちましたが、「豊津寺子屋」で実践したような住民による住民のための具体的な子育て支援実践は拡大しませんでした。もとより、「豊津寺子屋」が男女共同参画係の所管であれば、それを合併した二つの新しい町に拡大する事が使命になるのですが、現今の行政から男女共同参画が女性支援と子育て支援を同時に実施するという発想はでてきませんでした。子どもや女性のために行政の仕組みを総合的に考える発想は合併前の若い前町長が辛うじて理解した政策でした。合併後、「寺子屋」による子育て支援は「福祉」の管轄だとして事務局は「福祉課」に移りました。つぎは、誰かの異議申し立てがあったのでしょうか、学童保育と同じ機能(断じて同じ機能ではないのですが)だからという理由で住民課の所管に移り、最終的に、子どもを教えているのなら「教育委員会」」の所管だということで、事務局は「生涯学習課」になりました。結局、3年間に3度も事務局が変ったのです。確かに,「豊津寺子屋」は、「福祉」事業でもあり,「保育」事業でもあり,「教育事業」でもあり,「高齢者支援」事業でもある総合的な事業です。それ故,既存の縦割り行政の単独区分に当てはまる筈はないのです。しかし,敢えて新しい部署を考えるならば,「寺子屋」を発案した男女共同参画担当の部署が最もふさわしいのです。なぜなら、上記に述べた機能はすべて女性の社会参画を推進するための条件整備だからです。
 結局、「豊津寺子屋」は、新しく統合された犀川町にも、勝山町にも普及する見通しはないことが分かりました。開発に関わった顧問の任務は終わったと判断し、本年3月31日をもって辞任いたしました。

2 未来の寺子屋

 寺子屋の未来は男女共同参画の未来を暗示しています。少子化防止の失敗も暗示しています。「へなへなの半人前」は家族の「後顧の憂い」となり、少子化を助長するからです。現行の学童保育では「へなへなの半人前」を鍛えることは出来ません。保育には発達支援の展望も実践もないのです。
 家族に「後顧の憂い」があれば、女性ならずとも、家を空けられず、社会で活躍することなど出来る筈はありません。仕事をしていても子どものことが心配で気もそぞろになるからです。「へなへなの半人前」はまさしく現代の「後顧の憂い」です。子どもが日常の基本的生活習慣を確立出来ず、体力-学力―社会性に至るまで「一人前」の道筋に添ってちゃんと育っていないとき、女性の就労は挫折し、「母」は男女共同参画どころではないでしょう。
 上記の通り、女性の社会進出に立ちふさがった主たる障害は、「筋肉文化」が女性に課した家事と、育児と、介護の「性別役割分業」でした。これら3者に関わる時間的、物理的な制約こそ女性が社会に出ることを不可能にした重大な家族機能維持の責任だったからです。それ故、社会進出を志した女性も、それを応援しようとした男性も、次々と家庭の機能・家族の役割を「アウトソーシング(外部委託)」して来たのです。そして最後に残された外部委託の機能こそが「子育て」です。
しかし、果たして、子育てをアウトソーシングして、女性の社会参画の条件は整うのか、と言うと、答はNOです。アウトソーシングだけで子育ての教育問題は解決できないのです。保育や教育のアウトソーサーの質が貧しければ、依然として「後顧の憂い」は残るのです。
 真に大切なのは、子どもの居場所でもなく、子どもの安全の世話をすることだけでもなく、子どもの健全な発達と成長です。保育の待機児童がいなくなっても、学童保育の充実が図られても、「学校支援会議」ができたと言われても、不登校が蔓延り、非行が止まらず、いじめや引き蘢りが世間を騒がし、家庭内暴力や少年犯罪の話題が続く限り、常に、親の心配を掻き立てます。子どもが親を尊敬せず、自分のことが自分で出来ず、規範を守らず、体力、耐性ともに「へなへな」であれば、母の社会参画はもとより、次の子どもを産み育てることなど家族には思いもよらぬことでしょう。結果的に、「へなへなの半人前」は男女共同参画を妨げ、少子化を助長することになるのです。後顧の憂いをなくすためには、子どもの「生きる力」を向上させなければなりません。学校も、学童保育も、子ども会も、従来の教育・保育の機関は生きる力の向上に失敗しています。保育は教育と統合しなければなりません、保育の中身も、教育の方法も、再検討されなければなりません。「しつけを回復し、教えることを復権」して、幼少年教育の機能を建て直すことが急務になる所以です。寺子屋の素人集団が「型」の指導を導入したのはそのためです。教育の専門家でなくても「型」の指導は可能だからです。わが心配は「豊津寺子屋」が現代の子ども観に押し流されて鍛錬の基準を下げることです。しかし、こればかりは風土との戦いですから第3者の「守役」がいなくなれば勝ち目はないのかも知れません。顧問職はかつての「守役」に相当したのだということにあらためて気付かされています。
守役の願いは、「豊津寺子屋」の子ども達には、古人と同じく「世間の風」に当て、「辛さに耐えさせ」、「困難を与え」、「他人の飯」を与えて、応援に徹することです。子どもだましの発表会は禁物です。子どもを応援することと、子どもの機嫌をとることは別です。彼らの可能性を発掘し、彼らに自分を試す晴れの舞台を与えて下さい。長い間お世話になりました。ありがとうございました。
 


   

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