教師の指導力、子どもの吸収力 -桂川東小学校始末記-
桂川東小学校の卒業式に出ました。式典の子ども達も先生方もお見事の一語につきました。教師の指導力と子どもの吸収力が出会った「教育の幸福」を垣間みた時間でした。
1 「型通り」vs.「型を決める」
「型を決める」
私たちが贈り物に心を込めるように、子ども達は式典の形に心を込めていることが伝わってくる卒業式でした。換言すれば、「型が決まっていた」ということです。昨年秋の50周年記念式典の時以上に、子ども自身が式典の意味を身体で理解していたと感じました。今回は校長先生も声を嗄らして叱咤する必要はなかったとおっしゃっていました。教員集団が指導のすべてを引き受けて下さったそうです。
「型を決める」ことと「型をなぞる」ことの間には巨大な心身のエネルギーの違いがあります。「型をなぞる」ことや「型通り」に行なうためにさしたるエネルギーはいりませんが、「型を決める」ためには鍛錬された心身のエネルギーの発揮と抑制が不可欠です。そのエネルギーを生み出す根源が体力と耐性です。この数ヶ月で子ども達は心身共に鍛えられました。
心と気合いが入っていなければ「型」は決まりません。気合いもエネルギーも空回りすれば、「型」も空回りします。それゆえ、「形に心を込める」とは「心身のエネルギー」を「型」の中に程よく抑制しながら注入することを意味します。子ども達の立ち居・振る舞いは折り目正しく、気合いが籠っていて、起立の姿勢にも、歩く姿勢にも、お辞儀の仕方にも、それぞれが意図した尊敬や意欲や感謝の気持がにじみ出ていました。要するに「型」が決っていたのです。卒業証書を小脇に抱えて、一人一人が凛々しく直立し、保護者や来賓に丁重に一礼したとき、答礼した沢山のみなさんが目頭を拭っていました。わが友人や仲間にお見せしたかった光景でした。
感動の根源は「鍛錬」
感動の根源は「鍛錬」です。恐らくは先生方の指導のもと、何度も、何度も練習と反復を重ねた筈です。「型の決まった」立ち姿も、お辞儀の仕方も美しく、子どもの気合いが満ち、エネルギーが満ち、思いが伝わって来るものがありました。体操競技でもダンス競技でも鍛錬を経た形の美しさを競うのは、「型」の中にもられた心身のエネルギーがわれわれの心を打つのです。桂川東小の先生方はそれを子どもを通して実現し、子どももまた先生方のご指導を見事に吸収して己の旅立ちの意志を表現したのです。
2 式典の意味
集団への帰属
式典は集団行動を通して個人と全体を統合します。個人と全体を統合出来ない式典は式典の名に値しません。近年の多くの成人式がその一例です。個人は式典の集団行動を通して己の帰属すべき全体集団と合一し、己の帰属を確認するのです。それゆえ、式典の集団行動は、参加者に、この集団に"帰属していてよかった"という実感を持てるようなものでなければなりません。
学校の卒業式は旅立ちの儀式です。この日を最後に小学生は小学生でなくなります。季節は不帰で、2度と戻ることはありません。幼い心にも、あるいは、幼いが故にこそ、遥かな旅の行く手に心が震えたことでしょう。この日だけは子どもでも季節が帰らないことを自覚します。式典に臨む時、個々人の受けたトレーニングが厳しければ厳しいだけ舞台に立ったときの緊張は万感の思いに変わる筈です。卒業式は子ども達が主役だからです。
集団との合一
かくして式典は常に「だれのために」、「何をどのように表現するか」が問われます。一人一人に分断してしまえば、取るに足りない個人を式典は意味ある集団の一員にまとめあげます。われわれ参会者も司会の指示で全員が直立し、国歌を斉唱し、礼を交わして卒業式の雰囲気をつくりました。卒業生は自分達が主役であることを確認し、桂川東小学校の一員であるこ
とを誇りとし、母校を忘れないと宣言しました。子ども達は自らを母校に投影し、自分と全体を一致させ、集団と合一して自分の存在を再確認したのです。式典は個人を全体に帰属させるのです。式典指導を通して、現代の教師がそのことを理解しただけでも、校長先生の功績は大きいものでした。桂川東小の50周年式典にも、卒業式にも集団指導、式典指導の大きな意味があったのです。WBCの世界選手権で、野球の選手達が勝って泣き、負けて泣くのも、日本チームの一員として自分のアイデンティティの源泉である祖国の名誉を背負っているからです。卒業生の最敬礼を受けた保護者が泣いたのも、町長さん以下の来賓が泣いたのも、自分たちがこの子らを育て、ふるさとがこの立派な子ども達を育てという感慨をお持ちになったからでしょう。
式典を通して子ども達も、その他の出席者も帰属すべき全体集団を再発見したのです。特に、来賓の方々は、子ども達が、桂川東小学校に帰属したに留まらず、桂川町に帰属したことをお感じになったに違いありません。鳴り止まない満場の拍手に送られて子ども達が退場した時、先生方の式典指導は見事に成功したのです。式典を通して子ども達があらためて桂川東小に帰属したように、先生方もまた自分たちがこの子ども達を育てた桂川東小の教師であることを一番誇りに思ったのではないでしょうか?
3 幼少年期の集団指導
「型」が子どもを育てる
桂川東小の卒業式は教師が「型」を作り、子どもが「型」の指導を吸収しました。教師が設定した「型」が子どもの日常を変革し、子どもの表現力を作っていったのです。50周年記念式典も、卒業式も「型」が子どもを育てたのです。指導の中身は「朗唱」であり、「太鼓」であり、集団の「同調」です。子どもに「型」が滲みて行くのを見て、先生方も指導の意味を理解されたのではないかと思います。幼少期の指導とは「心のこもった型」を作ることです。型をなぞり、型に従い、型の体験を経て、その意味を体得し、やがて身体に滲みて、集団行動は「反射」にまで高まります。
町長さんの祝辞には、この子ども達が披瀝したふるさとへの思いがふるさとを支えるとありました。
50周年のときに選んだ朗唱課題:「ふるさとの山に向かいて言うことなし ふるさとの山はありがたきかな」という啄木の歌はいたくみなさんを打ったようです。
子どもたちのりりしさ、さわやかさに感化されて町長さんも祝辞の原稿を伏せ、思い通りの教育者のスピーチをなさいました。久しぶりに卒業式があるべき卒業式になり、式典は子どもへのはなむけとなり、子どもの言辞が保護者にも、来賓にも、ふるさとにもはなむけとなりました。
感化の教育論
全体を振り返れば、まだまだ学校は子ども一人一人に囚われています。戦後教育学の言う「個性」とか「創造性」に対する幻想があるのでしょう。個性も創造性も幼少期に問うべき優先課題ではありません。個性や創造性は、生活習慣や集団行動の基礎・基本が確立してからの課題です。まず、我が型を踏め、然る後に、我が型をいでよ、と唱えた世阿弥の名言は今でもなんら古くありません。幼少年期の個人は、もっともっと集団の中において育てるべきです。集団を育てるとは、「集団を鍛えること」です。集団を鍛えるとは、集団行動を通して個人を鍛えることです。個々人の姿勢も行進も沈黙も緊張も、朗唱も、斉唱も、誓いの言葉の宣言も、集団行動への適応と同調の基本を鍛える中で育つのです。集団の同調と協調を通して、初めて苦労を共にできる仲間が育つのです。学校が個人を離れて集団に着目すれば、恐らくは近年の惨めないじめ現象も少なくなって行く筈です。現代の学校に大事なことは、集団の意欲が個人に伝染し、卒業生の気合いが在校生に滲みて行くというところです。それが「感化」の教育論です。
「教えること」の復権
今回の卒業式では久しぶりに「仰げば尊し」を聞きました。「仰げば尊し」も、「わが師の恩」も、現代の子どもには馴染みの薄い表現だったことでしょう。近年、「師を仰ぐ」とも、「わが師」とも言わなくなりました。「教えの庭」とも聞かなくなりました。アホな教育論者が「学習支援」などという理屈を振り回す時代です。桂川東小の先生方は全力で教えました。決して「支援」したのではありません。幼少期の教育は「なる」ではなく、「する」なのです。教育における「する」とは「教え・育てる」という他動詞です。
卒業式典の成功は、先生方の全力の指導を子どもが全力で受け入れ吸収した結果なのです。それゆえ、願わくば、「仰げば尊し」は卒業生を先生方に対面させて歌わせたかったですね。
また、歌の2番は省略されましたが、これも卒業生と在校生が向かいあって、卒業生在校生共に歌って欲しかったですね。「互いにむつみし日ごろの恩」は仲間への感謝と訣別の思いを象徴しています。これも恐らくはあとに続く「身を立て、名を挙げ、やよ励めよ」の歌詞が「立身出世主義」だと批判する人が居るので、先生方の気に入らなかったのかも知れません。しかし、個性の称揚も、創造性の発揮も「身を立て、名を挙げ、やよ励めよ」となんら矛盾はしません。金子みすゞの「みんな違ってみんないい」も、「世界にひとつしかない花」でも、「ナンバーワンより、オンリーワン」でも、スローガンは「身を立て、名を挙げ、やよ励めよ」です。努力せず、挑戦せず、切磋琢磨しない教育の中から個性も創造性も生まれる筈はないのです。あるがままの自分でいいという教育論は、教育の名に値せず、指導の自殺としか言いようがないのです。
「教育的時差」
式典の最後に、未来に向かった桂川東小の誓いの言葉を聞きました。
『私たちは、家族が何をしてくれるではなく、自分が家族のために何ができるかを考えます。
私たちは、わがふるさとが何をしてくれるかではなく、自分がふるさとのために何が出来るかを考えます。
私たちは、世の中が何をしてくれるではなく、自分が世の中のために何が出来るかを考えます。
This is the challenging spirit of Keisen East.』
「仰げば尊し」にしても、未来に向かった桂川東小の誓いの言葉にしても,最後の英語の一行にしても未熟な子どもにはまだ実感として意味の分からないところが沢山ある筈です。先生への感謝も、家族への感謝も、ふるさとへの愛も、苦労の足りない子どもに言葉の重さが分かる筈はないのです。
しかし、わからない言葉を学ぶのは幼少期の教育の宿命です。初めから分かる筈はないのです。幼少期の集団指導は、言葉のすべてが分からなくてもいいのです。また、中身を信じていなくてもいいのです。大事なことをすべて諳んじ、気合いを入れて朗誦し、先生方の「合格」のサインが出るまで繰り返す中で、言葉が子どもに滲みて行くのです。子どもの柔軟な吸収力が「大事な言葉」を吸収出来る時に吸収しておけば、やがて「教育的時差」の歳月を経て、言葉が子どもに甦ってくるのです。先人が、子どもの理解を遥かに超えた歴史の遺産を教え続けたのは、「時差」を経て、やがて子どもに滲みて行くことを知っていたからです。このことは外国語でも変わりません。来年度から小学校にも英語が導入されるので、上記の誓いの言葉には英訳も付けていたのですが、先生方は最後の一行だけを宣言文に盛り込みました。子どもは、当然、軽々とこなしました。子どもの吸収力を思えば、全部を軽々とマスターしたことでしょう。千載一遇の機会を何とももったいないことをしたものです。
季節は不帰です。歳月は戻りません。後に未来はなく、子どもは前を向いて行かなければなりません。それ故にこそ、式典で発する言葉は肝心なことに集中させなければなりません。卒業生も在校生も、個人の冗長な思い出や体験の披露は不要なのです。「こんなことあんなことあったでしょう!!」というような感想は幼稚園や保育所の卒園式に任せればいいのです。ここにも子ども個人に囚われた現代の学校の幻想を垣間みました。
それにも関わらず学校は集団の式典を見事に律しました。参会者からは、"いい卒業式だった"というささやきがそこここで聞こえました。先生方の勝ち、指導力の成果は明らかでした。
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