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風の便り
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生涯学習通信
「風の便り」(第111号)
発行日:平成21年3月
発行者:「風の便り」編集委員会
1. 三つの「始末記」
2. 教師の指導力、子どもの吸収力 -桂川東小学校始末記-
3. 住民による住民のためのハンドブック-みやこ町の検証実験-
4. さようなら「豊津寺子屋」 -研究の原点-
5. MESSAGE TO AND FROM
6. お知らせ&編集後記
住民による住民のためのハンドブック-みやこ町の検証実験- 1 役所の役割、役人の使命 役場も、市役所も、文字通り、市民の役に立つところと読むべきです。そうなれば、役人とは市民の役に立つことを考え、実行する人ということになります。役所も役人もいささか「定義」がぼやけて来たことが現代の問題の核心です。行政改革が云われ、行政の文化化が云われ、行政の生涯学習化が指摘され、あちこちで役人の不祥事が噴出していることは役所も役人もその役割と使命を十分に自覚していないということになります。日本の役所は「経世済民(世の中をよく治めて人々を苦しみから救うこと)」を忘れてはいないでしょうか?オバマ大統領のグリーン・ニューディール政策を見ただけで、政治や役所にいる人々の発想が如何に重要であるかを痛感します。公益の思想も共益の視点も、私益に生きる市民の個人的欲求や要望の延長から出て来る発想ではないでしょう。私益を調整しても、私益を総合しても、共益にも、公益にもならないのです。 みやこ町が作成した住民による住民のためのハンドブックは住民の作業の結集ではありますが、背景には役場の事務局で準備と応援を担当した課長補佐の働きがあります。役場が支援しなければ、住民による住民のためのハンドブックはできなかったのです。誤解を恐れずに言えば、この国はいまだ市民が市民だけで動き出す条件は整っていないのです。換言すれば、この国はいまだ「お上」の風土が続いているのです。 行政が丸投げした公民館やコミニュティ・センターの運営が住民の短絡的な要求に振り回され、公共の福祉を忘れた「パンとサーカス」のプログラムになっていることは当然なのです。日々の生活に負われている市民がコミュニティの未来を考え、同僚住民の福祉や学習を長期的な展望で考え、行動することを期待することは、期待する方が無理というものです。それは役人の使命であり、役人の仕事なのです。役人だけがフルタイムで、給料をもらって市民のことを考える使命を与えられているのです。口当たりのいい「市民恊働」や「市民主導の民主的行政」という「うたい文句」に惑わされてはならないのです。 2「お上」の風土 日本では、市民主導という民主主義の建前だけを前面に出して、行政が手を引いたとき、あらゆる市民活動は停滞します。江戸時代以来何百年も続いた「お上」の風土は変わっていないからです。行政が貧しければ市民活動も貧しくなります。生涯学習も男女共同参画も同じです。 1年の協議をへてようやく住民自身の手による「みやこ町男女共同参画ハンドブック」ができ上がりました。ハンドブックの正式名称は「ここが知りたいみやこ町」としました。先達のモデルは甘木朝倉女性会議の「ハンドブック」でした。 これに先立つ2年前、旧犀川町、勝山町、豊津町の3町が合併して、新みやこ町は「男女共同参画まちづくり推進委員会」を組織し、住民のアンケート調査を実施し、専門業者の助けを借りて「みやこ町男女共同参画計画」を策定しました。いろいろな町がやっている事と同じく国の方針に対する「アリバイ」づくりです。酷な言い方になりますが、アンケート調査も、この種の計画策定も、その多くは税金の無駄使いです。多くの計画はこの種の「作文」を請け負う専門業者のひな形に添った「企画書作文」に終わり、本気で実行に移される事はまずありません。関係者のほとんどがそう思っていながら実行するところが一番の悲劇です。当然、みやこ町でも実行に移す準備は前提にはなりませんでした。それ故、結果的には、「作りっぱなし」の「たなざらし」になります。 また、計画書の作成にあたって、請け負い企業の担当者からの説明はありますが、執筆も調査も基本的に業者任せですから、行政職員の力も、住民委員さんの力もつく筈はないのです。男主導の役所のやる男女共同参画事業はどこの役場でも大体その程度の事だと言えばお叱りを受けるでしょうか?一度くらいは本気で叱られてみたいものです。 田舎の役所の男たちにとって男女共同参画が進もうと進むまいと興味はないのです。日本の風土は行政主導の政治を選択し続けて来ました。あらゆる分野で、国民は「お上」の風土を受け入れ,その指示に従うことに慣れています。男女共同参画も同じです。 それゆえ、政治家や行政担当者が不勉強であれば、生涯学習と同じく、男女共同参画もまた足踏みをすることになるのです。江戸時代から今日までほとんどすべての改革は上からの改革、「お上」の改革だったのです。日本国家の近代化もすぐれた維新の政治家と行政官の改革だったのです。戦後の復興計画も同じです。男女共同参画もまた同じ道をたどったとしてもふしぎではないのです。「お上」の改革には一定の順序があります。まず、人間の進化に敏感な政治家の思想が変わり、次に、国の組織のあり方や、国の組織の中の人間関係が変わり、次に広い地方組織のあり方が変わり、次に人々の生活圏に近い市役所や役場の組織や地方公務員のあり方が変わり、最後に、自治会など行政関連組織のあり方と人間関係が変わるのです。ふたたび酷な言い方になりますが、政治家を始め、行政のトップが無能の上に、意欲がなければ、市民が声を上げたくらいでは、地方の改革は動きません。 私的領域の変化は、当然、最後です。個人の思想や感性の変化・私生活の人間関係の変化は、行政改革のずっとあとになります。前にも別のところに書きましたが、多くの学校で過去何十年、PTAの会長さんは男だけなのです。区長さんも同じです。まつりの総代も、子ども神楽の参加者も、農業委員さんも男だけでした。男女共同参画を目指して懸命に活動している女性には大変失礼ながら、政治や行政を司る組織の中に男女共同参画の重要性を理解する男がいない限り、努力はほとんど報われないのです。民意が社会を変えて行くという「ボトムアップ」の理念は、欧米民主主義の基本ではあっても、「お上の風土」の基本ではないのです。 国の法律改正や組織的な運動を担った女性の改革エリートの努力は、男性の理解者が組織の中核にいたから実現したのです。地方の中核組織にはその種の男性理解者は稀少です。結果的に、国で実現した改革思想ですらほとんど実を結んではいないのです。男女共同参画の法律ですら、地方に来れば見るも無惨に無視されています。理由はたった一つです。男たちが仕切っている地方政治も地方行政も本気で男女共同参画に取組もうとはして来なかったからです。「お上」が動かなければ、市民もなかなか動かないのです。 しかし、市町村は国の決めた方針を完全に無視するわけにはいきません。しかも、国が決めた事には通常中央の「お上」からの奨励金=補助金が交付されます。そこで、地方の「お上」(地方権力)は、自らの懐の痛まない国の金を使って、国への「恭順」を示すのです。「恭順」事業は、基本的に「帳面消し」事業になりがちです。もちろん、帳面消し事業は明らかに税金の無駄使いですが、事業に必要な「金」は中央の補助金で賄い、町の懐はいたまなくて済んだというのが当事者の言い分でした。まさに当事者の頭の中には、「国の税金の無駄使い」と「町の税金の無駄使い」はあたかも「別のものだ」という発想があるのです。 これまで何度、店晒しになったこの種の調査・企画書を見て来た事でしょう! しかし、金を使いたい一心の行政組織には何を言っても通じませんでした。担当職員も筆者の言い分に同感であったとしても、上司の決定には逆らえません。結果的に、何百万かの金のかかるむなしい「計画策定」は実行されました。 3 住民による住民のためのハンドブック この度のハンドブックは3町が合併してみやこ町になって以来初めての住民自身による実践の試みです。住民活動の連続性を考慮すれば、今回のハンドブックもこれまで旧3町それぞれで男女共同参画を進めて来た住民の方々の努力の蓄積の恩恵を受けています。特に、旧豊津町での協議結果は、子育て支援策、女性支援策の具体例として全国的にも注目を浴びている「豊津寺子屋」の実践として定着しています。 一方、住民による女性情報の収集と整理は、「甘木朝倉女性会議」のみなさんの画期的な実践から10年が過ぎ、時代も大きく変わりました。みやこ町でも甘木朝倉に倣って、住民自らの手で新しい時代の「ハンドブック」の作成に挑戦する必要があると判断しました。作成にあたっては甘木朝倉のみなさんと同じように住民自らの手で作るということを原則にしようと約束しました。本事業は甘木朝倉がおやりになった先駆的事業のみやこ町における検証実験の意味を持っています。始めは、自分たちが住民として何を知りたいのか、女性を巡ってどんな問題があるのか、甘木朝倉のみなさんは何を問題にしたのか、等々のことを、KJ法を用いた作業会議を繰り返し、大きなシステム上の問題から個別の個人的な課題まで、必要となる調査項目一覧を作成しました。 問題は教育,福祉、防災、防犯、介護、医療にまで広がり、選別された膨大な課題数に一同圧倒されました。こんな途方もない作業は専門家のすることで、素人の自分たちに到底できることではないという議論がしばらく続きました。 住民委員にとって、図書館での調べものも、行政や各種団体の関係者への聞き取り調査、インターネットでの情報収集も初めての経験でした。まして、自分が調べたことを文書にまとめて、会議で報告することは委員の殆どが日常では経験したことのない「苦しい作業」になることは明らかでした。 会議は2ヶ月に3回、調査すべき項目は、KJ法から導き出された項目の中から、委員個人がそれぞれに自分の問題意識に照らして選び出し、次の会議までに文章化して報告することが義務づけました。筆者は、「甘木朝倉のみなさんはやり遂げられました」。「この会議は、社会人大学のゼミだとお考えください」。「みなさんの作業にはみやこ町の公金を投入しているのです」。「愚痴と口ばかりで何ができますか」と叱咤激励を続けました。 しかし、ものごとはやってみるものですね。会議で報告をし、他の委員さんの指摘や助言を受け、再度調査をし、情報や意見を追加して行くうちに、各委員さんが、「何が分からなかった」のか、「何が分かりたいのか」が段々分かってきたとおっしゃるようになりました。会議の席上で、報告も出来るようになり、議論も出来るようになり、委員さんは自分たち自身が少しずつ成長していることを実感されている事も明らかでした。自信がついている事も明らかでした。行政の単年度予算の時間的制約の中で作業をしましたので、まだまだ不十分なところも、もう少し、具体的に、やさしく書きたいと思うところも残りましたが、こうしてでき上がったものは委員会の力の結集です。担当職員は大いに奮闘し、町の執行部を説得して、印刷予算を獲得しました。 時代はますます男女共同参画を必要としています。このハンドブックがみやこ町の暮らしに具体的に役立ち、さまざまな分野で女性の向上を図り、女性の意見が取り入れられ、女性の社会参画を少しでも前に進める糧となり得れば、市民のことをフルタイムで考えている担当職員も報われるというものです。 「甘木朝倉女性会議」訪問 平成21年3月19日には、みやこ町の委員一同打ち揃って、甘木朝倉女性会議へのお礼参りの報告に出かけました。一人一人が執筆の思いと重点項目の発表をしました。甘木朝倉女性会議のみなさんからも一人一人のご意見と感想をいただきました。新年度に入って、印刷のための最終推敲にはいる予定です。「ここが知りたいみやこ町-男女共同参画ハンドブック」は立派にでき上がりました。6月頃には委員さん方の達成感とともに世に出る事でしょう。 報告会の最後に、甘木朝倉女性会議の太田政子初代代表から「みやこ版ハンドブック」に対する極めて重要な評価と提案がありました。80代に入ってなお矍鑠たる先輩の助言は以下の通りでした。 サミュエル・ウルマンの「青春」を思い出しました。 "青春とは人生のある期間を言うのではなく、心の様相を言うのだ。・・・・・ 人は信念とともに若く、疑惑とともに老ゆる 人は自信とともに若く、恐怖とともに老ゆる 希望ある限り若く、失望とともに老い朽ちる・・" 太田初代代表コメント; (1) ハンドブックのまえがきには苦労話を書いてはなりません。みやこ町が考えている男女共同参画についての「未来の方向・展望」を明確に示すべきです。 (2) 男女共同参画が主題である以上、子育てでもその他の領域においても、「男性の協力が必要」とか、「男性に共同を依頼する」というような書き方にすべきではありません。初めから男女「一緒に生き、一緒にする」と書くべきです。 (3) 思春期の青少年は特別の問題に当面しているので、この世代に集中した呼びかけは必要ないのでしょうか? (4) みやこの委員会はハンドブックの原稿ができ上がった段階でほっとしてはなりません。ハンドブックは「種子」に過ぎないのです。これからこそが「種子」を育てる水や肥料が必要になり、そのためにどんな実践をするかが問われているのです。 (5) 考え方も、生き方も、仕組みも簡単には変わりません。行政を絶えずチェックし、あらゆる機会をとらえて、まちの意志決定過程に女性が参加して行くことが重要です。 「面」を一本、「胴」を一本、「篭手」も一本取られた感じです。参りました。
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