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風の便り
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生涯学習通信
「風の便り」(第104号)
発行日:平成20年8月
発行者:「風の便り」編集委員会
1. 朗唱の教育機能と練習の構造
2. 朗唱の教育機能と練習の構造 (続き)
3. 市民参加型事業の組み立て・メンバーの組織化 -日本文化の制約条件-
4. 市民参加型事業の組み立て・メンバーの組織化 -日本文化の制約条件-(続き)
6. お知らせ&編集後記
3 「生きる力」の基礎を培う―体力と耐性 朗唱指導法の最大の特徴は「他律」であると指摘しましたが、その基本は姿勢です。姿勢を維持するためには、姿勢を維持する体力と維持しようとする意志の二つが同時に必要です。それが「行動耐性」と呼ばれます。また、他者を意識して正確に同調するためには、心身の緊張を持続し、教材に集中することが不可欠です。朗唱の基本は脇目も振らず教材と発声に留意することです。この緊張に耐える能力こそが「がまん」の力です。それがすなわち「欲求不満耐性」です。あらゆる論文で主張して来た通り、生きる力の基礎を為すものこそ「体力」と「耐性」なのです。 朗唱は「体力」と「耐性」という「生きる力」の基礎を培うことによって、「子ども」を「児童」に変えて行くことが出来るのです。さらに重要なのは発声法です。朗唱において明瞭かつ音戸朗々と誦するためには腹式呼吸による発声法の習得が不可欠です。詩吟や読経など伝統的に腹式呼吸による発声法が人間の呼吸器系内蔵を鍛えることは広く知られているところでしょう。 4 学ぶ構えの形成 朗唱は「他律」と「同調」によって、集団への適応と個人の自律的訓練が同時に進行します。換言すれば、個人演技と集団演技が同時進行で教育の対象になるということです。朗唱が求めているのは、開始と終了の一致、リズムと音声の統一、内容に連動した情感の盛り上げなど他者との同調です。個人技を集団演技に高めて行くという点で、水泳のシンクロナイジングによく似ています。 学校教育がクラス単位の授業を行い、集団指導の中で個々の児童を指導するシステムを取っている以上、個人と集団を同時に教育することは極めて重要なことです。朗唱は学校教育的システムにおける「学ぶ構え」を形成することが出来るのです。学校教育における「学ぶ構え」は個々の児童が勝手に振る舞うことなく、全体を優先し、クラスに同調することだからです。 5 朗唱の機能快 朗唱の特性は、練習の過程でも刻々と自らの技能や力量が向上して行くのを体感できるところです。教師の説明を通して優れた教材の内容が徐々に子どもに滲みて行きます。子どもを圧倒する教材の威力が発揮されます。教材の選択が重要なのはそのためです。教科書に載っていたからというような理由だけで選んではなりません。教材は聞いて下さる方々と共有できる素材・内容でなければなりません。古典が最もふさわしいのはそのためです。教科書は子どもの理解力を想定して中身を編集していますが、朗唱の教材には理解力の配慮はほとんど必要がありません。それゆえ、朗唱は、体力差/能力差を飛び越えて異年齢集団の学習に応用出来るのです。 幼少年期における驚異的な吸収力、教材の記憶力と暗唱力が能力差、体力差をカバーします。 練習を通して、格調の高い教材を子どもの記憶力が克服して行くのと並行して表現の形式と方法が進化して行きます。合唱の時の和音がハーモニーを奏で始めるように、集団の発声とリズムが一致して行きます。子どもは自分の練習の成果と集団演技の向上を体感するようになります。それこそが子どもの喜び:機能快です。 6 発表会の必然性 舞台のない演劇練習がなく、音楽会のない音楽練習が考えられないように、発表会のない朗唱の練習もありません。現状において、学校の最大の弱点は外部に開かれた発表会の開催を億劫がることです。発表会は、子どもが機能快と達成感を実感する舞台です。 教材は日本語の頂点にあたるものを選びます。だからこそ教材の持つ圧倒的な威力が観客をうちます。卓越した教材と真っ向から組み合って、長時間の集中と持続に耐える体力と耐性は誰の目にも明らかになります。 格調の高い日本語表現への憧れ、どこかで聞いたことのある名句、名言、それらを一糸乱れず言い回す子どもの習熟は、保護者や先生方の惜しみない拍手を誘発します。朗唱は、内容、形式、表現力、集中と持続、一糸乱れぬ姿勢と演技など多様な要因によって保護者・教員・関係者の評価と感動を創出するのです。結果的に、子どもは賞賛の波に投げ込まれます。その拍手と賞賛が子どもの誇りと自尊感情を保証するのです。朗唱を取り入れた学校は、学年発表会、保護者発表会、研究発表会、時には学校外の施設などに出前をする発表会など様々に知恵を絞って子どもの晴れ舞台を準備する義務があるのです。その舞台こそが子どもの自信と誇りを育て、チーム意識を向上させ、集団の連帯と団結を育むのです。 7 朗唱の教育科学 戦後教育の中で、長い間朗唱は極めて不当な評価を浴びて来ました。朗唱の教育機能の本質が「他律」であるということから、第1の批判は子どもの主体性を無視する"つめこみ"であるということでした。同じ理由から、第2の批判は、子どもへの強制を含んだ"させられ"体験であるということです。第3は、教材を古典に求めることが多いため、子どもの理解力を越え、子どもの興味関心を無視しているというものでした。第4は、教材批判、内容批判です。しかし、これらの批判の根拠こそが、朗唱教育論の最も強みとするところです。他律がなければ、朗唱はもとより幼少期のほとんどの教育は不可能です。他律こそが子どもの欲求の自己抑制力を形成する基本です。他律こそが欲求のままに言動する子どもの「快楽原則」に「たが」をはめ、社会への適応を要求する「現実原則」の基本です。フロイド心理学のいう「超自我」を育て、社会規範を内面化させる原動力なのです。 また、現実世界は、子どもの理解力を越えている内容に満ちています。それゆえ、子どもは、常に自分の理解力を越えた事象を学習し続けているのです。子どもの理解力の範囲のことだけを教えなければならない、という教育論は教育論が創り出した"迷信"の一種と言わなければなりません。子どもの驚異的な記憶能力を考慮した時、その「適時性」を生かして"詰め込んでやる"ことが最も効果的な指導法の一つであることは当然なのです。さらに、朗唱教材が子どもの理解力や興味関心の外にあったとしても、その驚異的な記憶力は難なく学習を可能にしてしまうのです。難しいから学習できない、ということにはならないのです。「分かってから憶えるのか」それとも「憶えてからわからせるのか」?教育に限らず、山へ登る登山道は多様であっていいのです。憶えてしまってからその意味を知る事は実に簡単なのです。 現在の学校教育は、時に、子どもの学習能力を限定し、潜在的記憶力も潜在的理解力も十分に生かし切ってはいないのです。子どもの理解が届き、その興味関心を引くような教材ばかりであれば、他律による暗唱を強制する必要はありません。現時点で「わかること」だけを指導していたら、人生に幾ら時間があっても足りる筈はないのです。 朗唱を除いて、教育と学習を並行させ、集団行動も教え、行動耐性や欲求不満耐性を同時進行的に鍛える方法が他にあるでしょうか?教材の選択次第で子どもは日本語の文型に習熟し、歴史に精選された教材の中身を理解し、古典のモデル表現を同時進行的に習得することができるのです。 しかも、すでに川島隆太氏の研究が明らかにした通り、音読や朗唱は子どもの脳の前頭前野を最も活性化する方法なのです(*)。川島氏が指摘するとおり、あらゆる学習の"準備運動と"して幅広い応用が可能になるのです。 (*) 前頭前野を鍛える音読パワーと計算パワー、川島隆太、脳を育て、夢をかなえる、くもん出版、2003年 p.98- 8 方法論としての「師弟同行」 子ども一人一人には様々な経験の違い、学力の違い、適応力の違い、体力の違いなどがあります。朗唱が特性とする集団練習や集団発表はそうした個人差を一気に均してしまうのです。だから異年齢の集団にも応用が可能なのです。集団が一糸乱れず朗誦しなければならない、という教育上の条件は練習の過程で「集団圧力」を発生します。「みんなそうする」から「私もそうする」というのが「集団圧力」です。集団圧力が要求するのは「同調行動」です。結果的に、朗唱指導は集団が掲げた目標に向かって個人を引っ張り上げて行くのです。 それゆえ、教師が優れたモデルを提示すれば、集団の中で同一視の効果・横並びの効果が発揮されます。朗唱は"まるごと"教育です。通常の授業で行われるような、発問や整理や批判など、教師による外からの指導や指摘だけではモデルを提示したことにはなりません。すでに歳を取って、記憶力が減退している教師には辛いことですが、子どもと一緒に教材を暗唱することは朗唱指導の重要なポイントです。教師が教材を消化して、先頭に立てば、優れたモデルに「同調」しようとする子ども集団の雰囲気が一気に熱を帯び、上述の集団圧力が発揮されます。その機能は異年齢集団に朗唱の課題を課した時に最も明らかになります。上級生が下級生を引っぱり、下級生は上級生について行こうと自ら大いに背伸びをするからです。驚くべきことに、朗唱における子どもの記憶力の優劣に年齢差はほとんど関わりがないのです。朗唱指導における師弟同行の効果は、必ず集団の連帯や団結を促して、他の分野に"転移"します。教師が自らモデルを示す「師弟同行」による指導に成功すれば、学校活動全体における教師への服従と信頼の度は一気に向上するのです。子どもが指導者に心服し、教師に服従することを学べば、他の領域におけるあらゆる指導も一気に向上し、教室運営も学校運営もあらゆる点で楽になるのです。
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