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生涯学習通信

「風の便り」(第103号)

発行日:平成20年7月

発行者:「風の便り」編集委員会


1. 「学校を」支援するのか。「学校が」支援するのか?

2. 「学校を」支援するのか。「学校が」支援するのか?(続き)

3. 総論:「学校を」支援するのか。「学校が」支援するのか?

4. 祭りの仕掛け―人集めの原理 -第84回生涯学習フォーラムin行橋-

5. MESSAGE TO AND FROM

6. お知らせ&編集後記

祭りの仕掛け―人集めの原理 -第84回生涯学習フォーラムin行橋-

 「風の便り」91号で「祭りの思想を発明する」という小論を書きました。この度、機会があって友人たちと佐賀市の勧興公民館の「まちの駅」2周年記念を訪問しました。訪問の余熱を駆って第84回フォーラムで改めて論じることにしたのです。会場は行橋市の西谷公民館をお借りしました。本来は、彫刻家雨宮一正氏の「美育の家」のオープニングに重ねたいと考えましたが、諸般の事情が重なって実現しませんでした。急遽会場が変更になったにもかかわらず、たくさんの参加を頂きありがとうございました。道や案内が分かりにくく難儀をされた参加者の皆さんに深くお詫び申し上げます。
 フォーラムの構成は第1部インタビュー・ダイアローグ、第2部は論文の発表です。登壇者は佐賀市勧興公民館長秋山千潮さん、福岡県飯恷s教育長森本精造さん、九州女子短期大学准教授大島まなさん、コーディネーターは三浦が務めました。皆さんのご意見と筆者の感想を複合して要約すれば公民館の「祭りのしかけ」-「人集めの原理」は次のようになります。

1  「パンとサーカス」があれば人は集まる

  「パンとサーカス」はローマ帝国ですらも滅ぼしました。うまい食い物と楽しいことに人間は目がないということです。生涯学習はグルメの催しにもパチンコ屋さんにも叶わないということです。言い換えれば、楽しいこととおいしい食べ物を準備できれば、公民館に限らず、人は集まるということです。しかし、「パンとサーカス」を続ければ国も滅ぶということですから、公民館も当然滅ぶでしょう。政治家が公民館に象徴される生涯学習を見捨てて、予算を削減し、公的な社会教育施設を民間に丸投げして、管理を委託したのは、公民館が「たのしいこと」に傾いたからです。決して間違ってはいないのです。公民館は電気や水道と異なり、日々のライフラインに関係がありません。なくなったところで日々の生活は続き、誰も困らないでしょう。「パンとサーカス」は自分でやるべきことで、税金でやるべきことではないからです。


2   メディアの時代「メディアの注目するもの」は「価値」である

 現代の社会病理の多くはメディアに起因しています。どんなにくだらないことでもメディアの注目するもの」は「価値」だからです。「価値」はメディアの「価値付与の機能」と呼ばれる仕掛けが生み出します。「同時にたくさんの人がみているということ」はたくさんの人の「承認」を意味するからです。だから他者の承認を求める人間は、みんなテレビに出たいのです。
 メディアの中身は、大宅壮一氏が予言したとおり「一億総白痴化」に向かって進んでいるのです。人間が「パンとサーカス」が好きだとなれば、金儲けのメディアも視聴率をかせぐために当然「パンとサーカス」に集中します。
生涯学習も、公民館事業もマスコミの話題になりさえすれば、結果的に、「価値を生み出したこと」になります。実につまらない夏休みの「子どもプログラム」がテレビの話題になって登場しますが、それを見た人々はあの程度のプログラムでいいのだというように納得してしまうのです。「価値」がなくても、テレビにさえ登場すれば「価値」が「付与」され、世論の評価するところとして「モデル」になって行くのです。勉強不足のメディアがどれくらい罪作りであるか、ご想像いただける事でしょう。
 司法、立法、行政が国家の3権であると学校で習いましたが、西部 遭氏が指摘するとおり今やメディアは世論の方向を決定する第一の権力となったのです。取材を担当する一記者や一ディレクターの視点が世論の視点とさえなる時代が来たのです。メディアが愚かであれば、世論も愚かなところに落ち着かざるを得ない、ということです。「風の便り」がささやかな「価値」の視点を提供することは巨大メディアに対する一寸の虫の抵抗なのです。子どもの問題が解決できないのも、男女共同参画が進まないのも直接的には関係の学者や官僚の認識が貧しいと言うことですが、そこに気がつかないメディアが貧しいということでもあるのです。


3   「集める」ことの意味

(1)  賑わいはよろこび
(2)  賑わいは経済の活性化
(3)  「集めること」は「居場所」の提供
(4)  「集めること」は、時に、「出会いと交流」の演出
(5) 「プログラム」次第で「交流」は「表現」、「学び」、「自己実現」に進化
(6) 「集まること」・「参加すること」が「社会的トレーニング」
(7)  公民館連絡協議会が提案した通り、公民館の機能は「「集まる」、「学ぶ」、「結ぶ」だということは正しいのです。問題はその具体化が難しいということです。


4  「集める仕掛け」
(1) 「パン」の要因 
得すること、食べたり、飲んだりする楽しみがあることが大事です。

(2) 「サーカス」の要因 
面白そうなことが期待できるということが人を引きつけます。

(3) 「居場所」の要因 
自分を受け入れてもらえるという帰属の欲求に応える「もてなし」や「あたたかさ」を準備することが重要です。「来てくれて嬉しい」、「待っていました」という気持ちを確実に伝えなければ失敗です。

(4) 望まれる「交流」の要因 
仲間や友だちができそうだという雰囲気や舞台を作らなければなりません。「つなぎ役」の能力と愛嬌が大事です。

(5) 「出番」や「表現」や「学び」の要因 
参加者に「出番」があること、ステージを準備することが不可欠です。役割や責任や受け持ちを「お願いする」と言ってもいいでしょう。社会的行動の多くは「表現」であり、「学習」であり「交流」でもあります。

(6) お誘いや「招待状」の要因-
人は他者から頭を下げて頼まれることが好きです。催し物に呼んでいただくことは「エゴ:自尊感情」をくすぐります。責任者がじかにお誘いに上がること、招待状をお送りすることは礼儀に叶っているだけではありません。心理的に渇いた、満たされない人間のエゴに食べ物を用意するようなものなのです。招待状は「多方面」に出すのです。「出番」や「表現」や「学び」を多方面の人々に準備するということです。

(7) 「人が人を呼ぶ」;人の要因 
人は基本的に「人見知り」です。社会的な場面に踏み出すのは、億劫で、少しの勇気が必要なのです。「つれ」がいればその思いが楽になります。「お友達と一緒に来て!」というお誘いは、相手の人見知りを刺激しない上に、主催者の感謝の気持ちが伝わって効果的です。「招待状」が2枚入っているのはそのためでしょう。


前回91号の分析に加えて、佐賀市勧興公民館は上記の全てに細心の気を使っていることが分かりました。館長のリーダーシップに付いては次号掲載予定の小論文「市民参加型事業の組み立て・メンバーの組織化-日本文化の制約条件-」をご参照ください。


   

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