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生涯学習通信
「風の便り」(第103号)
発行日:平成20年7月
発行者:「風の便り」編集委員会
1. 「学校を」支援するのか。「学校が」支援するのか?
2. 「学校を」支援するのか。「学校が」支援するのか?(続き)
3. 総論:「学校を」支援するのか。「学校が」支援するのか?
4. 祭りの仕掛け―人集めの原理 -第84回生涯学習フォーラムin行橋-
5. MESSAGE TO AND FROM
6. お知らせ&編集後記
総論:「学校が」支援するのか?それとも「学校を」支援するのか? 社会学や心理学のいう「社会化」の概念を、言葉を飾らずに、その実質だけを定義すれば、「霊長類ヒト科の動物」を「人間にして行く過程」であるということができます。それゆえ、筆者は、日本文化の伝統にならって、教育者(学校)の任務を、再度、子どもの成長を総合的に見守る「守役」と位置づけ直すべきであると主張して来ました。「子宝の風土」の子どもは「大事な宝」ですが、いまだ「一人前」ではありません。(古人は「半人前」と呼びました。)それゆえ、子どもの「主体性」や「自主性」を前提として教育はできないということです。「主体性」も「自主性」も,状況の理解力、なすべきことの判断力,なすべきことをなすべき時に実行する能力、なすべきことをなそうとする意志力の4つがなければ発現しません。幼少年期に判断力や意志力が自然発生的に形成されると仮定することがそもそも戦後の「子ども観」の甘さなのです。 したがって、幼少年期は、教育者主導によって、共同生活の規範と方法を厳しく「しつけ」、反復してきちんと「教える」べきであると申し上げて来ました。戦後教育が掲げた「児童中心主義」を戒め、子どもの「欲求」を「主体性」と等値したり、「学習支援」などと曖昧な言い方をしてはならないとも申し上げてきました。子どもは、「やったことのないことはできない」、「教わったことのないことは分からない」、「練習しなければ上手にはならない」が原則だからです。幼少年期の教育原則は、「できるようになる」ではなくて、「できるようにする」ことです。近年、集中的に力を注いだ小学校の顧問職の仕事の中で、子どもを鍛え、子どもを変容させたプログラムは、学校と家庭、学校と地域の連携を進める上で、大いに効果がありました。3年間正式に顧問を務めた長崎県壱岐市の霞翠小学校から始め、現在、4つ目の小学校の顧問を務めています。先生方との恊働も連帯も、教育行政との相互理解もすこしずつ実感しています。子どもの体力、耐性、学力共に期待以上の変容を見ることができました。問題の核心は学校が子どもを変えることです。子どもを変える出発点は、子どもの体力・耐性を鍛え、意欲と気合いを育て、集団の連帯を育てることです。指導の原則は「励まし」と「他律」です。「お前なら出来る」と絶えず励まし、「頑張ってやれ」と教師が一緒にやることです。それが「師弟同行」です。「出来るようにすること」が幼少年教育の本質です。この時、教育関係者が発する「させられ体験」などという批判に惑わされないことが大切です。幼少期のあらゆる共同生活の指導と技術は「させる」ことによって身に付くのです。その時、教師集団こそが「出来ないこと」を「出きるようにする主体」です。「学校」が子どもを変えれば、子ども集団が動くようになり、先生方は楽になります。子ども自身が、自分のことは自分で出来るようになれば、「学校」が家庭や地域の感謝と評価を得ることは疑いがありません。結果的に、学校は家庭をも、地域の子ども応援集団をも支援することになるのです。今こそ学校の「守役」機能が重要で、「家庭」や「地域」に「子やらい」や「ひとなし」の伝統(註)を分かっていただくことが大切です。 「早寝、早起き、朝ご飯」というスローガンにまで落ち込んだ家庭教育の現状の立て直しも、定年後の熟年者に生涯学習や地域貢献の活躍のステージを用意するという点でも、学校が「核」になり得ることを痛感しています。学校が、戦後教育の「子ども観」を転換し、いまだ「一人前」にほど遠い幼少年の「鍛練者」として、子どもを鍛え上げ、その日常を変容させることができれば、保護者は協力し、地域も応援に立ち上がります。学社連携のイニシャティブは学校が取るのです。学校が動いて、子どもの基本トレーニングに成功すれば、結果的に、学校に対する信頼が増し、「地域ぐるみで学校運営を支援する体制」ができて来ます。まずは学校管理職の頭の中を切り変え、教職員が「教える主体-鍛える主体」にならなければならない、ということです。 注記: 社会学や民俗学の分野で、「子やらい」も、「ひとなし」も「守役」と同一の原理で、敢えていえば、現代の通学合宿に通じています。「子どもを親元から離し、しかるべき第3者のもとで自立のトレーニングを行う」ことです。「やらう」はもともと背中を押してやる事、「ひとなし」は文字通り人と為す事を意味しています。親元から離れた子どもは「子ども宿」などで共同生活を送るのが常でした。学校は現代の「子ども宿」です。
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