「面倒くささ」と仕事の価値

 「エンゼルバンク」の8巻が出てたので買って息抜きに読んだ。「エンゼルバンク」は、大学受験合格指南マンガ「ドラゴン桜」の外伝の転職指南マンガ。
 著者の三田紀房氏は本作のほかに就活指南マンガ「銀のアンカー」と起業指南マンガ「マネーの拳」の3作品を連載中で、どれもよくできた大人向け学習マンガとして読める。娯楽マンガとしての質を保ちながら学習要素をうまく配合していて、細かい知識を扱っていても説明臭くなっていない。学習マンガとして書かれたものはこの辺が弱く、ストーリーが説明のための添え物になっているものが多い。シリアスゲームのデザインの方向性がわからないという人は、よく書けた学習マンガを参考にすれば、学びと遊びのバランスをどこに置けばよいかが見えてくる(テレビや映画からもヒントは豊富に得られる)。ただし方向だけ見えても、技術的に追いついていかなければ実践ができないというのは、学習臭くて読みにくい学習マンガが多い中にごく一握りの優れた学習マンガが存在するという状況に現れている。
 シリアスゲームと学習マンガの話はまたの機会におくとして、本題は今回読んだ「エンゼルバンク」8巻に出てくる一節について。


 この巻の終わりの方で、転職代理人の主人公のところに相談に来たパッとしない転職志望者が、転職エントリーシートの入力項目が多くて面倒くさがっているのに対し、主人公が「面倒なことの先に財宝は眠っている。気の進まないことほど積極的にしたほうがいい」という教訓を述べる。
 三田紀房作品に共通する特徴として、こういうただ言われても説教臭い感じの大人社会の教訓を、マンガのストーリーでうまく文脈の中で表現して、共感が高まる形で読者に問いかけるので、読者の側も自身の文脈と結び付けやすい。
 この話を読んでいて、そもそも面倒くさいこと、って、専門職の仕事は面倒くさいことを代行する役割として成り立っているものが多いなと思った。誰でもできることは付加価値が低く、そうやすやすとできないことは専門職として価値が高い。弁護士も会計士もエンジニアも、専門知識や技術で仕事をする人はみんなそう。ファンドマネージャーは投資案件の面倒なことを引き受けて投資利益をあげて、コンサルタントは経営や業務の詳細な絵図を描くのが面倒な人の代わりにその仕事をやって、エージェントは相手探しや交渉ごとなどの面倒な諸業務をやってあげて対価をもらう。あるいはそのような高度専門職的なものでなくても、運転代行でも運送業でも何屋でも、普通の人がある局面で面倒くさい、自分でできないと思うことを請け負ってその対価を得る。
 面倒くささと仕事のもう一つ別の側面として、上記の作品中の話のように「人を試す面倒くささ」というものがある。面倒くさいハードルを用意することで、スクリーニングをかけるというもの。面倒だなと思うことをわざわざやる人に恩恵を与えます、というようなことは社会活動のいろんなところに埋め込まれている。資金調達のための事業計画書作成はそういう側面がある。説明できない、説明するのが面倒くさい、そういう人には資金は提供できません、という性質のものだろう。研究者でいえば、研究費の申請書は似たようなものか。申請書の作成は面倒くさい。面倒くさいからやりたくない人はたくさんいて、面倒だから引き受けてくれる人は重宝されるし、(ありがたい人ばかりではないにしても)面倒を引き受けてくれる人に仕事が集まってくる。
 そういう感じで、「面倒くささ」を一つの尺度に仕事を見直していけば、仕事の付加価値というものが少し違った切り口で見えてきてよい考えにつながることがあるかもしれない。エンゼルバンク、転職とは関係なしにためになってます。ありがとう。