しばらくネットから離れた生活をしていたことなどあって、実に今更なタイミングですが、とてもためになる機会だったので、8月5~7日に開催されたe-Learning World 2009 Expo & Conference の感想を。
今回はカンファレンスの方を中心に参加しました。初日午後は熊本大学鈴木先生と根本先生のセッション。前半は根本先生によるグリーンブック3(Instructional-Design Theories And Models: Building a Common Knowledge Base)の読みどころ解説。グリーンブックはインストラクショナルデザインの理論や設計アプローチを網羅的に論じた大著。前の2作は、その時点での最新の理論やトピックを取り上げた多様な論文に編者の解説で統一感を持たせているという作りでしたが、3冊目となる本作ではもう一段階踏み込んだ編集になっていて、ID分野をより統合的に論じて、共通言語を共有しようという意図で編集されています。個人的に、本書は手に入れてからなかなか読む時間が取れずにいたので、レビューするのによい機会でした。
全18章400ページ以上にわたる密度の濃い論文集で、抄読会のような形でじっくり一章ずつ読んでも一度ではなかなか消化するのは大変なので、90分のセッションで解説するのは至難の業。読んだ内容をよくわかってないとうまく説明できないし、どういう説明をするのかなと思っていたら、そこはさすがインディアナ大に留学して編者のライゲルースから直接教えを受けた根本先生、この本の持つ意味を踏まえながら、全体の構造をよく整理して解説してました。
後半は鈴木先生の「IDの美学的検討」をテーマとしたセッション。パリッシュの「IDの美学第一原理」の論文を題材に、これまでのIDへの批判や発展の経緯に触れながら、インストラクショナルデザインに美学的な要素を取り入れて考えた場合の枠組の解説がありました。学習者を学習の主人公として捉えて、学習者の経験を物語として見つめ直すことが重要な論点として挙げられてました。学びやすさやワクワクするような学習経験をどう提供するかという視点は、現在のeラーニング講座開発で抜け落ちているところがあって、鈴木先生のレイヤーモデルの話も合わせて、今後さらに議論を深めていく必要があるテーマだと思います。
質疑応答の時に質問したのですが、美学第一原理というのがIDの淡白さやデザイナーの評論家的姿勢が形成されてきたことへの批判を関心として出てきたという経緯がある一方で、提示されている分析視点や枠組だけが独り歩きすると、評論家的な姿勢を強めるものとなってしまって逆効果になるのではないかなという印象を持ちました。むしろIDが美的に優れた製品を生み出せない要因は、作り手が美的観点を意識してないからではなく、作り手が美的に優れたものをアウトプットするための基礎的なスキルを持っていないことの方が大きい気がしています。
映画でも絵画でも、芸術作品というのは理屈を知るだけでは美的に洗練されたものは出せないし、スポーツでも芸術的に美しいパフォーマンスが生み出せるのはその土台となる基礎スキルがあってのことです。そのため各分野のパフォーマーたちは日々スキルを磨いて繰り返し練習しています。プロとしての熟達までに10年1万時間、という話もあるように、どの分野でも才能ある人が地道に息の長い鍛錬を経て、ようやく美的に優れたものが生み出されるというのが実際のところでしょう。
なのでこの問題は美的観点を話題とすることと同時に、IDの専門家が熟達するまでのトレーニングパスが整備されていないことにも目を向ける必要があると思います。鈴木先生はまさにその問題を痛感しておられて熊大の大学院プログラムを整備しているところですから、わざわざ指摘せずとも進んでいる話ですが、ID専門家養成には、素振りやキャッチボールに当たるような基本動作の習得訓練のための個々のスキル訓練メニューをまだまだ充実させる必要があると思います。
今回の美学的検討の話は、この観点からの気づきも多いので、議論の切り口としてはもちろん大いにありです。その上で、美的に優れたアウトプットを出せる人材をどう生み出していくかという観点から、必要な算段を打っていくことが必要だという思いを新たにしました。
この二つのセッションの重要な点は、IDの知識基盤が時代に合わせて変化していることを国内で議論する俎上に載せた、ということでしょう。以前から、IDに対してID嫌いの研究者の間で根強く存在する「教え込み批判」というのがあります。教え込みを是とする学習観で教育する側が教えたい知識を教え込むための理論やテクニックに偏重している、それにIDの開発過程が冗長で実用的でない、というような批判がかなり前から行われてきました。eラーニングが教育業界で注目された10年くらい前にはこういう批判が結構強かったように思います(最近では批判そのものをあまり耳にしなくなりましたが、これは逆にID自体のプレゼンスの問題がちょっと気になるところではありますが)。
しかし、グリーンブックの変遷だけを見ても、IDの理論やバックにある思想や学習への視点は常に変化していて、ID批判やこれまでの実践上の課題に対応しながら発展していることがわかるし、美学的観点からの見直しという考え方も、IDの自己革新を模索する一つの事例だと言えると思います。
長くなってきたので、二日目の話は次回へ。