不幸の伝播(1)銀行の風景

 毎回、日本に帰ってきて以前と違うところに気づくことがある。一番感じるのは、テレビをつけても街を歩いても、人やメディアを介してそこここで不幸が伝播しているような感覚だ。
 たとえば、銀行の風景はずいぶん変わった。留学前は銀行が合併後の支店統合前だったので、近所の支店はだいたい空いていて快適だったのだが、数年経ってみて、久しぶりに用事があって銀行へ行ってみると、いつも混んでいる。


 待たされている客の多くは近所のオバちゃんとかじいちゃんとか、ネットバンキングの非ユーザーと思しき人々。お金持ちのじいちゃんはプレミアムなんとかとかいう別室に通されて快適サービスを受けているが、庶民のための窓口はいつも混んでいて、くたびれた感じの中高年でごった返している。客はみんなイライラ、対応する行員たちはオロオロソワソワしていた。
 目新しくもないご都合主義なポイントサービスはころころ変わり、クレジット機能付きのキャッシュカードの種類は増えるばかり。サービスを勧めておきながら、ちょっと質問すると窓口担当は答えられずに先輩行員に確認しに行く。本部が考えた商品が複雑化しすぎて飽和していて、支店は振り回されているのだろうか。自信なさそうに説明されても気持ちよくサービスを受けられるわけがない。古いカードのサービスから切り替えるのに書類を何度も間違えられ、あげくには帰ってからまた書類間違えたから書き直しに来てくれという。出向いたのが合併前の別系統の銀行の支店だったからだろうか、それともよその支店の口座の手続きだったからぞんさいに扱われたのか。なぜここまで間違えるものを商品として提供しているのか理解に苦しんだ。
 対応がまずかったのは別にそこまで大した話ではない。それよりも気になったのは、フロアが負のオーラに満ちている感じがして、何もしなくても店を出る時にはなぜか疲れて気が重くなることだ。何カ所か違う支店に行ってみたが、どこでも似たような感じだ。フロア担当の中高年行員はどこか不安そうで愛想笑いすらない。応対を受けている客もどこか不幸そうで、いずれも楽しそうに応対しているところを見たことがない。その場に居合わせるだけで気が沈んでくる。
 銀行はそんな感じで、不幸スタンド化しているところがあって、まるでお金ではなく不幸を心にチャージしに行っているようだ。なので、できる限りネットバンキングで用事を済ませて店頭には出向きたくないなという気にさせられる。銀行的にはこれはまずいんじゃなかろうか。野崎修平のような問題意識をもった人はいないのだろうか。
 銀行だけではなく、帰国生活を始めて、そこここで不幸が伝播するのを見かけることが他にもあったので、またあらためて書いておこうと思う。