モチベーションの向かう先に答えがある

 逆に言えば、モチベーションが向かわないところには答えはないし、ソリューションも生まれない。「ない」というのは言い過ぎで、答えもソリューションも「見出せない」、と言った方が適切かもしれない。


 やるべきことだと自分が納得してやっているつもりなのに、何でこんなに仕事がはかどらないんだろうという時がある。あるいは、その仕事を始めた時にはこうやるのがよいと考えて段取りを決めて進めていることなのに、だんだんと停滞してきて、何をやってもうまく回らなくなる時もある。そういう時は、たいていその仕事の方向性が自分のモチベーションと合致していない。
 その一方で、人と話していて得たちょっとしたヒントが気づきを生んだり、よいお手本を見て、ああこれかと納得したり、何か「わかった」感覚がある時は、そちらに自分のモチベーションは向かっている。自分のモチベーションが向かっていない方向には気づきは生まれないか、たとえ何かよい気づきが生まれたように思えても、考えているうちに勢いがしぼんでしまう。
 このはかどらない時のグズグズした(procrastination)状態というのは、単に怠惰なのではなくて、無意識に心が「そっちに向かってもダメだよ」と発しているシグナルではないかと最近考えるようになった。何か違和感があるのに無理してやっている時は、往々にして望まない結果に終わることがよくある。無理しているうちに方向性が見えてくる場合もあるが、そういう場合は最初にグズグズ進んでいた方向とは違う方向に活路を見出すことが多い。
 そう考えると、グズグズした状態をはなから悪とみなして自分を律しようとしたり、自分が始めたことだから、とか、他にやる人がいないんだから自分がやるしかないとかいった責任感や義務感でその仕事を続けたりする傾向が強い人は、自分からの大事なサインを見逃しかねない。
 責任感でがんばった結果が誰も望まないものだったりする気の毒な状況はどこにでもある。たまたま能力の高い人がいて、みんな違和感がある状況へ突き進んでいってしまってどうしようもなくなることもある。そういう経験をよくしていると感じる場合は、違和感やグズグズ感が自分自身の発している警戒サインかもしれないので、無視してしまわずに何か間違った方向に進んでいる可能性を疑ってみた方がよいかもしれない。
 もちろん、単にだらしなく面倒がっているだけの場合もあって、そういう時にはその感覚に従って判断してもよい結果にはつながらない。なので単に怠けているのではないかという可能性もあわせて疑ってみる必要はある。おそらく、その仕事への本気度が一つの判断基準になるだろう。
 同様に、自分のモチベーションがどっちに向かっているのか自体よくわからないこともある。そういう時はある程度続けてみることで答えが見えてくることもあるし、その方向性自体が間違いだということに気づくこともある。これはある程度その問題について悩んでみないと見えてこない。悩んでいるうちにその問題の文脈を理解して、何かの刺激を受容できる体制ができるようになるような感じかもしれない。やっているうちに最初の自分が気づかなかった方向性が見えてきて、それがモチベーションのもとになるケースもあるので、まだこの辺りのことは自分でもよく整理できてない。
 いろいろ言っても結局、自分のモチベーションがどうであれ、やらないといけないような局面は組織で働いていればいくらでもあるし、自分がコントロールできないと感じる局面の方が多いかもしれない。それでも、自分が仕事の方向性を決められる場合もあるし、どんな場合でも自分の意志で働きかける余地はどこかにある。そういう時には、自分のモチベーションの向く方向を意識することで活路が見出せて、物事が驚くように前に進むこともある。そういう場合、その仕事はだいたいうまくいく。
 整理すると、責任感とか義務感で自分にドライブをかけ続けると、肝心な時に自分が無意識に発しているシグナルを逃しやすくなると注意しておくこと。責任感の強さや我慢強さは美徳だが、強すぎれば欠点になることもなる。それに一生懸命やっているつもりなのにどうにもグズグズしてしまう時や、向かう方向に変な違和感を感じている時には、自分のモチベーションに聞いてみること、モチベーションが見えやすいような刺激を自分に与えてみることがよい結果を生むきっかけとなるかもしれない。