失敗の効能と弱さの強さ

 35歳になった心境の続きで、若い頃よりも「生き易さ」を感じるようになった理由について。
 「生き易さ」を感じる二つ目には、失敗に対する見方が変わったことだろうか。前回書いたように、人は自分のことで手一杯なので、ちょっとやそっとの失敗をしたところで、自分が思うほどに人は気にしてない。いちいちあげつらって失敗を笑う人がいたとしても、それは不幸な自分を慰めるためにやっていることで、失敗した人自体を見てのことではない。


 それに自分がおかした失敗というのは、「それくらいの失敗で済んでよかった失敗」が案外多かったりする。失敗学というのがあるように、そこで失敗しておいた方が後の成功につながるものは多いし、失敗せずに年を食ってしまって、失敗できない人間になってしまう方がよほど苦しい。
 そうはいっても、後で何度思い出しても恥ずかしい失敗というのは誰にでもあると思う。でも本当に恥ずかしいのは、それを失敗だと気づかないことで、同じ失敗を何度も繰り返し続ける状態だろう。失敗を恥じる気持ちがなくなり、自己反省しない人間というのは社会や組織にとって有害な存在であることが多く、そういう存在になることの方がよほど恥ずかしい。
 失敗に気づけるのはむしろ成長のために大事なことだし、以前は気づけなかった失敗に気づけるようになるというのは成長の証だと思う。それに失敗したくないという気持ちは、仕事を成功させるための原動力になるし、自信があるように見える人は、失敗したくない気持ちからくる不安を処理することができる人であって、単に失敗に対する恐怖心のない人は、緊張感がなくて周りに迷惑を掛け放題の人だったりする。
 三つ目も二つ目と似ているが、「弱さ」に対する見方が変わったことがあると思う。苦手や弱点は、必ずしもその人の短所ではなくて、長所を引き立てる大事な性質だったり、長所そのものだったりすると少し前から考えるようになった。普通は誰もが自分の弱点は補うべき恥ずべきものと考える傾向があるが、その弱点が起点の一つとなってその人の個性やその生き方が形成されているという側面はあるだろう。
 たとえば、内気で人と接するのが苦手な人が、外向的で口説き上手な人になれば、周囲の接し方も付き合う相手もまったく変わってしまう。これは裏を返せば、強さにも同じようなことがいえる。どうしても数字が苦手な人が数字ができるようになれば、周囲はその人にその強みを期待するようになるし、苦手でないというだけで好きになっていないとしたらその人のキャリアは不幸だろう。これだったら数字が苦手だった方がまだよかったのに、と思うかもしれない。
 「嫌いなことへの我慢強さ」も、普通は美徳として捉えられるが、必ずしもその人のためにはならないことがある。組織や集団の中で生きていると、嫌なことに耐えてがんばらなければいけない局面というのが必ずある。「石の上にも三年」とよく言われるように、基本的には我慢強さや根性はその人の身を助ける徳なのだが、がんばってはいけない時にがんばれてしまうほどに我慢強すぎるのは、その人を不幸にしてしまう。耐えてがんばればがんばるほど、周りはその人のがんばりを当てにするし、だらしない人やずるい人はもたれかかってくる。
 それに頼れる人の少ない組織にいると、自分ががんばってしまうのが一番効率がよかったり楽だったりという局面も生じる。がんばり癖のついた人はそんな時についがんばってしまう。そのこと自体は悪いことではないのだが、気がつくと自分が無理やりがんばるのを前提にした形で組織が出来上がってしまう。そんななかで仕事を続ければ、ちょっと休みたいと言っても簡単には休めなくなる。周りは自分たちの都合しか考えてないので、その状況から抜け出す糸口を見出すことができないままに、消耗して擦り切れて病気になって取り返しがつかなくなるまで酷使される。そしてそんな状況に至らせた当事者ほどその人の不幸に心を痛めたりはしない。
 そういう状況に陥ってしまうのは大変不幸なことで、そんな状況に陥らないためには、「ほどよい我慢弱さ」や、過剰に責任を抱え込んでつぶれてしまわないための「ほどよい無責任さ」が必要だったりする。我慢弱さも無責任さも、組織から見れば短所だとされても、身勝手な組織の中で個人の幸せを守っていくためには大事な長所になる。
 年を取るにつれて、そういうあまり世の中で普通に生きているだけでは誰も教えてくれないことが結構あることに気づくようになった。そういうことに気づくと、社会の動きや人々の思惑も少し落ち着いて見ることができる。でもそういうものが見えたからといって、人間や社会に対して否定的になってしまうほど若くもないところがよいところで、過剰な期待をしないようになった分、周りに振り回されなくなったところに「生き易さ」を感じているのかもしれない。もう何年かすれば、今の自分のものの見方などたいしたものではないと思うようになっていると思うが、それもまた成長だと思うし、これから先、どんな風に自分のものの見方や考え方が変わっていくのかの方が、むしろ楽しみな気がしている。