34歳になりました

 今日は平日だったので普通に仕事をしつつ、自分の現状と少し先のこれからのことを考えつつ過ごした。日本にいると、直接人に会ってものごとを進められる分ペースが速い。時差ぼけはなおったけど、その速さにまだ慣れていないせいか、よそ見したり振り返ったりするとコケたり壁にぶつかったりしそうな感じがして、前を向いたままちょっとだけ振り返るような感覚だ。


 年初からここまでの状況としては、とても良い状態で推移している。博士論文は心強い協力者が見つかり、今の構想のままで進められそうな状況だし、シリアスゲーム本一冊目は無事に世に送り出したし、二冊目の翻訳書も7月中旬刊行が見えてきた。三冊目は今年の後半に作業するので、予定通りにいけば遅くとも来年早々には出せる。
 学位取得後の活動も、帰国してきてどういう形でやっていくかが具体的に見えてきた。引き続き今年の後半も準備を進めて、来年博士論文が片付くのと入れ替わる形ですぐに走り出せそうな状況になってきた。あとはこれまであたためてきたアイデアを一つ一つきちんと形にしていくことと、そのための体制作りをこれから来年前半にかけて進めていくことだ。
 30代半ばというのは、気力や体力的にひとつのピークのような気がしていて、この時期に大事なことに集中してやれた分だけ、その後の能力的な貯金になるのではないかと思う。まあ、これも今の自分がそう感じているだけであって、今までにもそんな時期はあったのだろうし、これから先、40代にも50代にもその時々の局面に応じたピークを作ることはできるかもしれない。これから先のことはまたその時に考えるとして、今は当面の自分の能力的なピークを迎えていることを感じるし、このタイミングで集中すべき課題もだいぶはっきりしている。
 最近感じるのは、幸運やチャンスというのは、準備ができていなければ活かせないままただ通り過ぎていくものだ、ということだ。準備のできていないところにくる機会というのはたちまち試練に変わる。たとえば、性根の貧しい人が宝くじを当てたりして大金をつかむと不幸になるようなことは容易に起こる。能力のない人が重要な仕事を任されたり、未熟なベンチャー企業の商品が思いがけずヒットしたりすると、その後には厳しい試練が待っている。果たして今の自分は、どれだけ準備ができているのか。自分に対する過信があれば、いずれ試練に直面するだろうし、過度に慎重になればただチャンスは活かせないまま過ぎていくだろう。
 こういうことは考えすぎても仕方がないので、結局のところは今見えている課題に一つ一つ取り組んでいくだけなのだが、とりあえずそんな堅いことを考えつつ34歳の初日は過ぎていく。