マーケティングと満足度

 今住んでいるアパートは、結構居心地が良く、家賃が少し値上がりする以外は特に不満はないので来年も住むことにした。このアパートは築年数が古くて設備も質素、とりたててスペック面で魅力があるわけではないけれども、管理人やメンテナンススタッフは感じの良い人たちで、何か修理を頼めばすぐに来てくれるし、問題があれば丁寧に対応してくれる。ゲストが気軽に駐車場を利用できるのも良い。廊下や共用設備は手入れが行き届いている。何かプラスがあるというよりも、マイナス要素が少ないのが居心地の良さに貢献している感じだ。他の住人も同じように感じているのか、一度越してきたらそのまま居ついてしまうのか、新規の入居はすぐに一杯になってしまうらしい。
 (ちなみにアパートというと、日本では2階建てくらいの小規模なものをイメージするけど、アメリカのアパートは一般にサイズはそれよりずいぶん大きい。うちのアパートは6階建てのホテルのような建物に全部で150室くらいある。日本で言うところのマンションの方がイメージが近い。念のため、英語でマンションと言うと、大豪邸のこと。日本の分譲マンションを英語でアメリカ人に説明したい時は「コンドミニアム」「コンドゥ」と言っておけばだいたい近いイメージを共有できる感じ。賃貸はマンションもアパートも同じく「アパートメント」。)
 一方、近所にもう一つ、留学生がよく入っているアパートがある。家賃はほぼうちのアパートと同じくらい。ただそちらのアパートはフィットネス施設や住人専用の送迎バスなど、設備やサービス面でこちらにはないものをいくつも提供している。入居者募集パンフレットも立派なものを作っていて、グループでまとめて申し込むとグループ割引で家賃が安くなるサービスもある。傍目にはそっちのアパートの方が快適そうで、そのせいもあって新入生には人気が高い。ただ、翌年には転出する人が多いので、毎年結構空きが出る様子。
 そこの住人に話を聞くと、あまりいい話は出てこない。管理人やスタッフは感じが悪く、メンテナンスは十分でない。バスは勝手にサボったりするので当てにならない。挙句には転出時にあれこれ難癖をつけられて敷金をずいぶん差し引かれるので、入ってから出るまで気分の悪いことが多いそうだ。
 そのアパートとうちのアパートとを比べてみると、いわゆる学校で習うようなマーケティング戦略の観点で見ればそのアパートの方があれこれ工夫をしているし、実際に客は集まっている。しかし満足度は低く、非継続率が高いためにその分マーケティングコストはかさむ。ついた先から客が去って行ってしまうので、その分集客に力を入れる必要が生じる。口コミでは「あそこはやめとけ」という悪評は常に広まっている。
 かたや、うちのアパートはその点全くと言ってよいほどマーケティングらしいことはしている様子はない。集客の目玉になるような設備は何もない。特に目新しいことをするわけでもなく、余計なことをせず、当たり前のオペレーションをやっているだけ。それでも住人は居心地のよさを感じて住み続け、口コミでよい評判を聞いて他のアパートが嫌になった客が流れてくるほどだ。
 アパートでも何でも、ユーザーの満足度のツボというのがどこかにあって、それを外さなければ余計なことをしなくても満足してくれるのだろうと思う。そのツボを外していれば、どんなに見た目をよくしてもダメで、本質的でない工夫や集客のためのコスト増の必要に迫られる。顧客満足度向上だ何だとマーケティングのテクニックや知識を駆使しても、ツボを外していては空回りするし、かえって逆効果の場合もある。そういうテクニックをこれ見よがしに振りかざす人ほど、ツボの掴み方をよくわかってなかったりする。そんな状況ではパンフだウェブサイトだとやみくもに金を掛けてもダメで、むしろサービスの目先を変えて、リソースの配分を考える方に力を入れた方がよい。どんな分野もビジネスが複雑化しているように見えて、実は案外そういうシンプルなところに本質があると思う。