36歳になりました

 ちょうど博論研究の大きな山を一つ越えたばかりのところなので、ここ数年で一番頭が考えようとしない状態で迎えた誕生日かもしれない。そういうタイミングを自分の状態を振り返る時間にあてるのも、気持ちを切り替えるのによいかもしれない。
 ここ最近、限界一杯まで無理な状態を強いて続けると、頭が飽和してパフォーマンスが下がってくる、という現実を身をもって感じている。時間はあっても大事なことを手がける意欲自体がなくなるのだ。ボクシングにたとえれば、ガードが下がって打たれまくりなのがわかってるのに、何も対処できずに棒立ちでラウンドが終わるゴングが聞こえるまでただ耐えているだけのような、そんな感覚。きちんと休む時間をとれば回復して、さらに先に進む意欲が戻ってくることは経験上わかっているので焦ることもないが、これを休みを取らずに無理に繰り返すとバーンアウト状態になるのだろう。


 昨年5月からここ一年のことを振り返ってみると、夜明け前の一番暗い時間のような一年だった気がする。昨年後半はずっと研究に捧げていたし、今年に入ってからは論文執筆の合間を縫いながら帰国後の活動の下準備を続けていた。目に見えた成果と言えば3年がかりで手がけた翻訳書がようやく出版にこぎつけたことくらいで、あとはなにやらすっきりしない状態で時間が過ぎていった。
 研究の方は、大学院で研究しているというよりは、山寺で修行しているような日々だった。スターウォーズで言えば、修行不足のパダワンが昇格試験を受けているようなもので、ようやく最後の試練を乗り切ろうとしているような状況にある。試練として登っている山がどれほど高いかもわからずに、ロッククライミングのような軽装で何となく登ってきたら、思った以上に山が高かったことに気づいたが、ここまで来たからには後には引けずに進んできたような、そんな日々だった。
 普通なら登ってくる前に必要な装備を入念に準備してくるものだが、人の来ないところを進むのが好きな性分が災いしたところもあって、道を間違えることも多かった。そういう自分のやり方に反省を重ねながら、妻をはじめ周りの人に迷惑を掛けまくりながら前に進んできて、ようやく目指す道標が見えてきた。
 昨年の今頃にこの辺がゴールだと思っていたところはもうとっくに通り越しているのだが、まだ目指すところは先だった。当時は見えなかったものが見えるようになったのは成長の現われと言えばそうなのだが、なんと見積もりを誤っていたことだろうと我ながら情けなく思う。
 そうやってここまで研究者としての軸足の方をずっと踏み込み続けていたということに気づいたのは最近のことだった。年初には研究はほどほどにして、ビジネス的な活動に進もうと思って準備を始めようとした。しかしすぐにその方向に違和感を感じるようになって、何がおかしいのか考えているうちに、それまでの活動とこれからやろうとしていることにかなりズレがあることに気がついた。
 昨年8ヶ月間の研究生活で、意識していた以上に自分の思考回路が変わっていて、ビジネス的な関心や意欲がずいぶんと薄れていた。踏み込んだ足で飛べる方向と、飛ぼうとしていた方向が違っていて、このまま飛ぶと失速して飛べない上にぎっくり腰か何かになってしまいそうな感覚がした。
 それに実際に帰国していろんな人に会って話をしてみると、自分が果たすべき役割も若干違うのではないかなという気がしてきた。そんなことがあって方針を少し見直して、自分がビジネスに直接関わるという感じよりもむしろ、もう少し自分の研究者としての強みに集中できる体制を組んで、その延長で事業活動があるようなあり方にしたいと考え直した。
 そんなこんなでこれから今年の後半は、博論研究に今以上に没頭して成果を出すことと、それも含めてここまで約3年かけて進めてきた研究の成果を論文や発表の形で表に出すことを優先して全力を注ごうと考えている。とにかく手持ちのものを出し切って、その先のことはそこから考えることにした。今手がけていることを形にする力をつけることによって、ここまで期待して協力してくれた人たちへ提供できる価値を高められるはずなので、まずはここまで踏み込んだ軸足をぶらさずに飛んでみて、どこまで飛べるか試してみようと思う。
 そういう気持ちとともに、これほど年齢に不相応に無茶な人生を送ってきて何とかここまでこれたのは、物事が思うように進まない状況に長いこといても、愛想尽かさずに支えてくれた妻や周りの人たちがいてくれるおかげ以外の何ものでもない。そのことだけは、これからどんなことがあっても忘れるような人間にはならないように生きていこうと思う。36歳初日の心境はそんな感じだ。成長してるんだか相変わらずなんだか。