研究者のトレーニング

 ここ3ヶ月ほど、論文執筆、パイロット実験、データ集計、論文修正、再実験のサイクルを短期間で回し続けてきた。
 以前よりも論文を読む速度が格段に上がり、消化できなかった文献が消化できるようになった。制作したウェブ教材も、最初は理論とつなぎきれてなくて経験則で作っていた部分が理論的な整合性の精度が上がってくるなど、作業のあちこちで、数ヶ月前と比べてさまざまな研究スキルがついてきたのを実感している。というか、数ヶ月前の自分の知識の量やスキルがやろうとしていることに対してあまりにも足りてなかったのを痛感した。これでは思うように進まないわけだと今さらながら思い知らされた。


 この感覚は筋トレで筋力や体力がついてくる感覚と似ている。楽な負荷でトレーニングしていると、筋力の維持はできても強化はそれほどできない。ちょっときついくらいの負荷に耐えてトレーニングを続けることで、きついばかりだったのがだんだんと楽に消化できるようになり、いつのまにか力のついたのを実感できるようになる。
 ダンベルの重さを選ぶのと違って、研究のためのトレーニングは適度な負荷というのを見つけるのが難しい。言ってみれば、トレーナーやコーチが横についてトレーニングしている状態というのは、学校では授業やゼミの場にあたる。そこでは、講師が教育的配慮をもとにアレンジしてくれた課題に取り組み、その結果に対してフィードバックもくれる。
 そのような活動が研究のためのトレーニングに位置づけられると思うのだが、博士論文のレベルになるとそのような丁寧なサポートをちょうどよく受けることは難しくなる。半期の授業で終わる規模のプロジェクトではなく、論文を書き上げるまでに1年から数年に及ぶし、テーマによってボリュームも難度も変わるので、画一的な指導はしにくいし、教員自身の研究者としての力量やスタイルによっても指導の質が変わってくる。
 指導教員が全てフォローできるケースはまれだし、単に論文の書き方を学べば中身が書けるようになるわけでもない。ある程度のアドバイスを定期的に受けることはできても、最初から最後まで丁寧な指導やフィードバックを受けられるわけではない。チームで行う研究プロジェクトを題材として博士論文を書く場合には周囲からのサポートも得やすいが、ソロプロジェクトで行う場合の方が多く、その場合には基本的には必要なことはすべて自力で前に進めることになる。
 研究プロジェクト実践のような授業はもちろんあって、カリキュラム的には十分なボリュームの授業を受けていると言ってよいと思う。その時点で十分力のついている院生たちは効率よく研究をやって論文をまとめているのだが、僕の場合、英語力の弱さなどいくつか前提知識が足りない中で授業で学んだために取りこぼしも多かったのだろう。コースワークの過程で身につけられたスキルと、実際に論文を書くための研究プロジェクトで必要としているスキルにギャップが大きく、論文研究に入ってからかなりの試行錯誤を余儀なくさせられた。
 それはちょうど、自分の筋力では重すぎて動かせないようなダンベルを無理やり持ち上げようとしていたような状態だった。何で持ち上がらないのか、どれくらいなら持ち上がるのかをあれこれ試しているうちに、なんとなく身体が慣れてきて筋力もついて、自分の力量と実践のバランスが取れてきてサイクルが回り始めたのは、ようやくここ最近のことだ。
 自分自身にとっては、この数ヶ月の試行錯誤が研究者としてやっていくために必要な筋力をつける機会となった。この過程を経ずに研究者や専門家の看板を出して活動していたら、できることが少なくて後々つらかっただろう。トレーニングとして集中して筋力をつけるのと、仕事として回せる範囲で少しずつ筋力をつけていくのでは、力のつき方も変わってくる。それにスポーツと一緒で、力がついてないのに無理やりこなそうとすると、変な癖がついてしまって、長い目で見るとよくない。
 まだトレーニングのうちは失敗もできるので思い切りやれる一方、仕事としてやる場合は失敗回避を前提にしてやらなければいけないので、大胆な大振りができなくなってくるし、誰かに指導を受けることも難しくなる。自分のための学習体制を意識して作っていなければ、歳をとるにつれて、体力の衰えが進むほど、背負っているものが大きくなるほどに困難さが増してくる。
 そういう意味では、この数ヶ月間の経験は得がたいものだった。格闘技では、上級者は組んだだけで相手の力量がわかるという話があるが、この経験を経たおかげで、論文や話す内容でその研究者の力量がどれくらいのものかが前よりもよく見えるようになった気がする。ただしそれもごく狭い範囲での話なので、社会の中でそれがどれだけのものかといえば、あまり大したものではない。
 まあそもそも、どんな芸事も専門領域も狭い世界での話なので、今僕がやっていることも知識自体はオタクの島宇宙の一つの島での話でしかない。その掘り下げた知識で何をどうやって社会と関わっていくかは、免許皆伝後の実践の場での話になってくるので、そこからが本番のお楽しみということになる。
 まだ最後まで行ったわけではないので、こんなことをのんきに書いている場合でもないのだが、筋力がついたのを実感した感想としてちょっと書いてみた。たぶんもう少しすればまた違った自分観が出てくる気がするが、今はこんな感じで。後もうひと息がんばって帰ります。