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Seniorに対する生涯学習の「対処法」を最も簡潔に表現すれば『読み、書き、体操、ボランティア』になります。換言すれば、読み書きに代表される頭を使い続け、身体の手入れと鍛練を怠らず、社会に対する貢献と人々との交流を通して、気を使い続けることが重要だということです。労働の季節においては特に意識しなくても、心身の機能はフルに回転し、活用し続けて来ました。もちろん、労働は「社会の必要に応えた活動」であったことは言うまでもありません。多くの人の活動量は「定年」を境に一気に落ち込みます。賃金や給与に伴う社会的義務が消滅するからです。他律による強制がなくなれば、その後の活動量は個人の判断;自らの「自律」の結果に左右されるようになるでしょう。その時、「自律」の方向に最も重大な影響を与えるものこそ本人の生涯学習・スポーツの蓄積の歴史になるでしょう。人生の連続性を考えれば、壮年期は通常若年期の蓄積の結果を反映し、熟年期は同じく壮年期の蓄積を反映するはずです。定年前に定年準備教育を始めることの重要性がここにあります。
それゆえ、引退後の最大の問題は、「安楽余生」論の副作用です。これまでの生涯学習や福祉政策は定年者に総じて「楽」を勧めました。熟年に対する助言の多くが「無理をするな」であり、「目標にこだわるな」であり「できる範囲で」いいんだということでした。暮らし方についても、「いい加減」でいいんだと言い、「目先のこと」にこだわるなと言い、「過去にもこだわるな」といいます。要は、楽しく、のんびり暮らせと言うことです。「安楽余生」論と名づけた所以です。
しかし、「安楽」の勧めは「がんばらなくてもいいんだ」ということであり、「努力をしなくてもいいんだ」ということに繋がります。それゆえ、定年後に「楽」を続ければ、活動量が減少し、心身の「負荷」が減少するのは当然です。
結果的に、心身の機能の活用は労働時代の3分の1にも4分の1にも減ってしまうことでしょう。「楽をして暮らすこと」は熟年期の最大の「落し穴」なのです。必要とされない機能は退化し、やがて消滅するでしょう。使わなければ衰えるのは筋肉に限ったことではありません。感覚体としての人間のあらゆる機能に共通しています。しかも、心身の機能は連続しています。頭も身体も心も感覚体の仕組みの中で相互に影響しあっているのです。熟年期の健康を維持するのに「健康体操」だけをやっていても部分的な効果しか上がらないのはそのためです。人間の心身のあらゆる機能が全部繋がっていると考えなければなりません。