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風の便り

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生涯学習通信

「風の便り」(第79号)

発行日:平成18年7月

発行者:「風の便り」編集委員会


1. どこから来たのか?どうしろと言うのか? 〜「小1プロブレン」〜

2. どこから来たのか?どうしろと言うのか? 〜「小1プロブレン」〜(続き)

3. 諸外国の生涯学習モデルに学ぶ

4. A小学校への提案 −家庭秩序の崩壊から学校秩序の崩壊へ

5. MESSAGE TO AND FROM

6. お知らせ&編集後記

◆◆◆ 第69回生涯学習フォーラム(お知らせ) ◆◆◆
開催は 8/12(土)です。日程変更にご注意!!

前回7月フォーラムは小学校の現役の先生方から「小1プロブレン」の実態をご報告いただきました。今回は就学前教育をご担当の幼稚園、保育所の先生方の報告と意見をお聞きします。発表者は現在福岡県立社会教育総合センターの皆さんが交渉してくださっています。久々の論文発表は「幼少年教育の失敗(仮題)」(三浦清一郎)です。

日時: 平成18年8月12日(土)15時〜17時、
研究会終了後、センターレストラン「そよかぜ」にて夕食会を予定しています。
どうぞご参加ください。

場所: 福岡県立社会教育総合センター      
会場その他準備の関係上、事前参加申込みをお願い致します。
(担当:朝比奈)092-947-3511まで。


●●●●● 編集後記:「論理の赴くところ」2 信じられませんか?「九州王朝」の存在! ●●●●●

  福岡県PTA連合会の「新家庭教育宣言」事業のお陰で思いもよらぬたくさんの学校にお招きをいただいた。頑張ったつもりであるが、筆者の論理が通じたのはほんの少しの例外に終った、というのが実感である。
  戦後日本の少年教育を論じて辛いところは「教育論理」と「『教育論理』と『風土』の組み合わせ」から生じる問題は別のものであることをいい続けなければならないところである。「教育論理」だけを別個に取出して論じても、今の教育実態を解明することはできない。思想は常に現実との組み合わせでその有効性が決まって来るからである。
  筆者は欧米流「児童中心主義」の論理を否定しているのではない。筆者が否定しているのは「児童中心主義」と「子宝の風土」の組み合わせである。
  欧米の教育研究の成果は豊かである。「児童中心主義」も論理的である。それゆえ、戦後日本の教育は占領政策による強力な指導もあって大学の教育学部も教員養成課程もすべて「児童中心主義」一色に染まった。子どもの興味関心が教育の中核を為し、子どもの主体性・自主性を尊重することが指導の大義となった。ただし、この論理が有効に機能するのは、子どもの興味・関心が大人の興味・関心に従属し、子どもの主体性・自主性よりは大人の意志が断然優先する「大人中心の風土」においてである。もともと子どもの存在と欲求が優先される「子宝の風土」に於いて、更に「児童」を教育の中心に置くべきだという主張は未熟な子どもの意志やわがままを異常に肥大させる。結果は現在見ての通り、子どもは「へなへな」で、規範は「内面化」されず、保護者も、学校も子どもの指導に頭を抱えている。すでに社会は「児童中心主義」で育てられた子どもの「公害」を受けるようになった。昨今のニュースに登場する子どもあるいは数年前の子どもが引き起こす数々の事件はその走りである。今後「教育公害」の被害はますますひどくなって行くであろう。教育関係者の真面目さを疑ってはいないが、「児童中心主義」の論理に呪縛され、風土と論理の組み合わせが生み出す副作用の重大さを見失っているのは誠に残念である。
  似たようなことは古代史研究でも起る。以下は前号の紹介から転じた、古田史学の驚くべき論理の挑戦:「九州王朝」の論理である。古代中国や古代朝鮮の各国の史書の記述が正確で論理的であっても、日本の史書(この場合は古事記と日本書紀)の記述と照らし合わせて合致しなかった時、どう理解すればいいのか?大和朝廷一元史観からでは問題は解けない。
  古田は個々の資料の分析から、古代の日本に「多元王朝」が存在したという結論に到達した。その代表が近隣諸国の史書に現れる「倭国」である。古田氏の論証は多岐に渡るが圧巻は古代「宋書(五世紀)」の「倭国伝」に現れる「倭の五王」である。名前はそれぞれに讃、珍、済、興、武である。倭国は代々当時の中国に朝貢してきた。従来これらの王は大和朝廷の天皇に比定されてきた。しかし、日本側史書のいう天皇在位の期間・時期が「宋書」の記述と合致しないのである。天皇の年齢も人間の寿命の常識をはずれているのである。「宋書」ほかの史書に紹介されている戦争や権力者の死亡記事の内容も一致しないのである。資料中に表記された地理的描写も大和朝廷の位置とは矛盾しているのである。何よりわれわれが知る限り大和朝廷には一字名の天皇は存在しない。それゆえ、天皇名がそもそも一致しないのである。
  以上のような状況から古田は「宋書」が記録している「倭国」は大和朝廷以外の王朝である、と想定する。それこそが九州を拠点とした「九州王朝」である(*註)。古代史の素人である筆者にとっては「古代における権力の分散」も、「後の権力者が前の権力者の歴史を書き換えるであろうことも」論理の当然の帰結に見える。しかも、古田の凄いところは、「倭の五王」を大和朝廷内の天皇に比定するすべての論者を逐一「検証」可能な方法によって論駁する。「論理の赴くところ」「三国志?魏志倭人伝」に現れ、「宋書」に続く「倭国」とは大和朝廷とは権力を異にする「九州王朝」であったことを納得せざるを得ない。
  自然科学と違って社会科学には多くの場合「単位」が存在しない。したがって、「測定」が困難で、「追試」の可能性は薄い。しかし、古田氏が古代史の領域でここまで検証可能な論理を展開している以上、社会教育も可能な限りの追試・検証の場面を設定してみれば良いのである。それは自然科学のように中立、客観的かつ自由にデータを処理できるようなものにはほど遠いかも知れぬ。個人情報の取得制約も検証の妨げになるであろう。しかし、それらを理由に「何もしないこと」こそが問題であることに教育行政は気付いていない。子どもの元気も、熟年の元気も、財政上の効率指数も工夫次第で多くの資料が得られるのである。分る範囲の資料で追試・検証を行なっただけでもシステムやプログラムの優劣は一目瞭然であろう。その時初めて「論理の赴くところ」に事業モデルが確立し、住民への生涯学習サービスが向上して行くのである。
  *  古田武彦、失われた九州王朝、角川文庫、昭和54年
 


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