HOME

風の便り

フォーラム論文

編集長略歴

問い合わせ


生涯学習通信

「風の便り」(第79号)

発行日:平成18年7月

発行者:「風の便り」編集委員会


1. どこから来たのか?どうしろと言うのか? 〜「小1プロブレン」〜

2. どこから来たのか?どうしろと言うのか? 〜「小1プロブレン」〜(続き)

3. 諸外国の生涯学習モデルに学ぶ

4. A小学校への提案 −家庭秩序の崩壊から学校秩序の崩壊へ

5. MESSAGE TO AND FROM

6. お知らせ&編集後記

『諸外国の生涯学習モデルに学ぶ』

  ふとした切っ掛けで久々に大学の集中講義の教壇に立つことになりました。担当は「諸外国の生涯学習」です。折角の機会なので講義テキストを工夫して新しく書き直してみることにしました。以下はその基本構想です。

  モデルは比較できるか?〜「背比べの論理」と「特性別照応分析」の手法

1.「盗むこと」が前提

  教育における外国の研究は博物趣味に近いと言ったら叱られるでしょうか!?これまでの比較教育の論文を読んだ率直な感想です。外国の風物や現象を紹介することにも当然意義があるでしょう。しかし、当方の問題意識は「外国から学ぶところがあるか!?」です。外国モデルが参考になるのであれば、「盗んで・真似て・ヒントにして」当方の教育サービスを向上させたいと思うのです。いささか知的好奇心の追求を旨とする研究者にとっては「下品」の謗りを受けそうですが、筆者の研究動機は「実学の要請」を満たすことにあります。「実学」とは目の前の課題の解決を意味します。それゆえ、現在の課題解決に参考にならない"外国事情"には興味がないのです。未来の拙著が表記のタイトルになるのはそのためです。「盗む」ためには外国「モデル」を日本の実態と比較考量し、解剖・解読・分析してわが方の参考資料にまで加工しなければなりません。
  「盗む」にせよ、「真似る」にせよ、「ヒントとして活かす」にせよ、どこがモデル足りうるのか、なぜ手本にしたいのか、模倣は可能なのか、部分輸入は可能か、どんな修正・工夫が必要になるのか、等々を点検しなければなりません。モデルとしては面白そうでも日本の風土・実態に合わなければ導入しても機能しないのです。社会科学や政策論はこの点が自然科学の公式や技術やその製品と異なるのです。拳銃はどの文化においても人を殺傷し、自動車はどの文化においても一応の道さえあれば移動の手段となり得ます。電気機器も、どの文化でも電気さえ通じていればその働きをします。しかし、生涯学習施策は違うのです。それゆえ、モデルの比較検討が不可欠になるのです。

2.  「単位」のないものを比較できるか?

  筆者は昭和63年に「比較生涯教育」を出版しました。その中で「特性別照応分析」という比較の手法を開発しました。その後誰も注目してはくれませんでしたが、生涯学習推進の政策比較にはこの手法しかないと今でも確信しています。そこで今回の執筆にもこの手法を用いて比較をする予定です。「特性別照応分析」などというと表現が大仰ですが、要は「背比べ」の理屈と同じです。社会科学には基本的に指標化する単位がありません。長さの単位がない時ふたりの人物の身長を測ることができるか、というのが発想の出発点でした。大雑把でいいのならできないことはないのです。それが「背比べ」です。AさんとBさんに壁際に並んで立ってもらいます。ふたりを見比べれば、Aさんの方が首一つ分背が高いという判断がくだせます。この場合、比較の基準はBさんです。髪でも、目でも比較されるべき特定の当事者の「特性」を基準とすれば、他とくらべることができるのです。
  日米の生涯学習の比較をしようとする時、作業は二つあります。一つは日本の学校開放の特性に比べてアメリカの学校開放はどう映るでしょうか?反対に、アメリカの学校開放の特性に比べて日本のそれはどう映るでしょうか?それぞれの特性を女性が化粧をする時の「合わせ鏡」のように用いれば真ん中にそれぞれの特性が映し出されます。そこからモデルとしての応用や活用の方法が見えるかも知れないではありませんか!現在、福岡県宗像市で実践している「市民学習ネットワーク」事業は既に20年の歴史を刻んでいます。市民が市民にそれぞれの得意分野を指導し合う相互学習のシステムですが、モデルはアメリカの自由大学(Free University)を日本の風土に合わせて工夫したものでした。
  コミュニティ・スク?ルでも、学校のランチルームの開放でも、放課後の子育支援でも学ぶべきものは外国モデルの中に山ほどあるのです。それらを改めて発掘してみたいと思っています。
  旧著の出版以来世界は大きく動きました。1996年にはOECD教育大臣会議が「万人のための生涯学習の保障」政策を打ち出しました。またユネスコは21世紀委員会が「学習:秘められた力」(ドロール・レポート)を発表しています。さらに、1999年にはG8サミットが教育問題特別文書を出しました。「ケルン憲章:生涯学習の目的と希望」がそれです。
  学校も大学も図書館も放送もその他の社会教育施設もそして何よりインターネットの普及により情報検索・交流のネットワークシステムが飛躍的に変わりました。
  筆者の限られた能力、限られた時間の中で大それたことはできませんが、20年前の旧著を手がかりに主としてアメリカについて次のようなことを調べてみたいと考えております。読者のみなさんで特別にご興味のある事項がございましたら事務局までご一報下さい。

(1)  当時作られた数々の法律はどうなっているのか?

  当時のアメリカには、職業訓練と生涯学習政策を結ぶための「マンパワー開発訓練法」(1962)がありました。改めて成人の学習と適応に注目した「成人教育法」(1966)もできました。注目すべきは「学習と雇用を同時に促進する法」(1968)でした。「コミュニティ・スクール法」(1974)もでました。もちろん「生涯学習法」(1976)もありました。この法律の制定によって「生涯教育」は「生涯学習」になったのです。

(2)  「学社共用施設」はどう変わったでしょうか?

  筆者はニューヨーク州の中都市のある高校の生涯スポーツ開放プールで水泳を覚えました。40才の時でした。指導者は高校水泳部の皆さんでした。当時、既に多くの学校が施設を生涯学習のために開放していたのです。訪ねて行ったある町の学校では図書館が2階建てでした。1階はコミュニティ・ライブラリー、2階はスクール・ライブラリーでした。司書は両方を担当していました。学校時間が終了すると2階の図書室と本校舎をつなぐ廊下に電動シャッターが下りて図書館空間を独立させます。その後は市民が自由に2階部分も使用するのです。あの広いアメリカなのに土地や建物空間の使い方は実に合理的でした。
  学校のカフェテリア(ランチルーム)を開放して独居老人に温かい昼食を出している学校もありました。生徒たちが甲斐甲斐しく外からの来訪者をもてなしている光景は日本でもいつか見たいものですね。

(3)  社会教育施設の図書館や美術館はどう変わったでしょうか?

  日本の美術館など大抵は大赤字で来館者はまばらで自治体のお荷物になっているものが大半だとテレビが報じていました。それはそうでしょう。司書も学芸員も生涯学習の住民サービスの方法を分かってはいないからです。図書館の「リファレンス・サービス」に至っては日本の司書に頼む気もしません。調べ者にはほとんど何の役にも立たないからです。第一、図書館は限られた住民しか利用していない事は明らかです。アメリカの図書館は他の生涯学習施設と連携しています。だから室内コンサートがあり、市民が製作した様々な芸術品の展示があり、読みきかせがあり、時にはバザーもあり、読書会もありました。生涯学習の発想を総動員して手を代え、品を代えて人々に図書館を紹介しようとしているのです。ようやく日本でも図書資料のネットワーク化は進んできましたが、大学図書館を含めた「オンライン化」は誠に見事なものです。障害者のための音声翻訳機や高齢者のための大活字図書なども大いに見習うべきところではないでしょうか?
  その他、プログラムへの参加料は?コミュニティに子育て支援の発想はあるか?あるとして、拠点施設、提供者の種類、プログラムの中身と指導者はどんなものか?高齢者教育の中核はなにか?大学の地域サービスは?などなど比較すべきものは多様にあるのです。調べが進んだ順にご報告したいと考えています。教育長さん!読んで下さい!!


 

←前ページ    次ページ→

Copyright (c) 2002-, Seiichirou Miura ( kazenotayori@anotherway.jp )

本サイトへのリンクはご自由にどうぞ。論文等の転載についてはこちらからお問い合わせください。