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生涯学習通信

「風の便り」(第79号)

発行日:平成18年7月

発行者:「風の便り」編集委員会


1. どこから来たのか?どうしろと言うのか? 〜「小1プロブレン」〜

2. どこから来たのか?どうしろと言うのか? 〜「小1プロブレン」〜(続き)

3. 諸外国の生涯学習モデルに学ぶ

4. A小学校への提案 −家庭秩序の崩壊から学校秩序の崩壊へ

5. MESSAGE TO AND FROM

6. お知らせ&編集後記

どこから来たのか?どうしろと言うのか? 〜「小1プロブレン」〜

  第68回フォーラムは現役の4人の先生方をお招きして「インタビュー・ダイアローグ」の形式で、小学校低学年児童の実態をお聞きした。ご登壇いただいたのはいずれも福岡県の小学校の1年生を担当している、あるいはかつて担当し、今も低学年のご指導に関わっておられる先生方である。発言順にご紹介すると、飯塚市立椋本小学校の津留文子先生、志免町立志免南小学校の永井秀樹先生、行橋市立延永小学校の内本郁美先生、直方市立感田小学校の吉村淳子先生である。コーディネーターは三浦が担当した。
  「小1プロブレン」は聞きしに優る実態であった。
  明らかに学校での「子ども」は「児童」になっていない事が多い。それゆえ、ベルがなっても教室には入らない。集団行動が取れない。時々奇声を発する。先生が教室においでになっても席につかない。授業をはじめてもおしゃべりは止まらず、落ち着きがなく、姿勢を保つこともできない。中には机を離れて何処かへ行ってしまう。注意を与えても耳を貸さない。そればかりか、「いやだ!」と叫んで自分の欲求を押し通そうとだだをこねる。中には教師を蹴ったり、唾をかけたりする子どもまでいる。当然、人とのかかわりが下手である。今の学校の処罰では効果がないだけでなく、ルールに基づく禁止を強行すれば反抗して泣叫び続ける事もある。教師の自信と誇りが崩れはじめる時である。小1プロブレンに適切に対処できなかった時、子どもは小学校期を通して「未熟さ」を引きずり、時には「中1プロブレン」として更に問題を複雑化する。
  以下は先生方から実態をお聞きした後、参加者全員が5つのグループに分かれて、「原因の分析」と「処方」の提案について約1時間のブレイン・ストーミングを行なった結果である。

  まとめにあたっては、ご意見の解釈、背景の説明、補足的提案の追加などは皆さんの議論に触発された筆者の独断と偏見と責任で行なった。「勇み足」、「読み込み過ぎ」、「思い過ごし」、「想像過剰」など文責は一重に筆者にある。ご参加の皆様の意に添わないところは事前に寛容なお許しをお願いしたい。

I  どこから来たのか?

1  『親は分かってない』!!

  子どもの育て方、指導の仕方、行動モデルの提示、どれをとっても親は分かっていない。「家庭教育」の多くが間違っている。先ず、「親自身の行儀が悪い」。「規範意識は低下し」、「ルールを守らない」。「それを子どもが見ている」。「人の批判ばかりで」、自分の「反省はしない」。「生活習慣も乱れている」。「子どもの朝食すら作らない」。「自分が良ければ」という大人が増えている。一方で「子どもをペット化」しており、他方では、「子どもに振り回されている」。「親であって親でない」。したがって、「子ども以上に手がかかる」。当然、親が親たる「理想を持っていない」。しつけの基準も、怒る基準も分らず、子育てに「不安が一杯」である。
  「『子どもの言うことを聞くことが良い親の条件』と勘違いしている」。「子どもの嫌がることはさせない」。「『教えなければならないこと』も教えない」。「父親も子どもになめられている」。結果的に、親の多くが「過保護」か、「放任」か、あるいはその両方に陥っている。だから、しつけはできるはずがない。親は、一方で「怒ること」ができないが、他方では、切羽詰まった状況の中で、「怒るか、罵倒する」ことしかできない。

2  世間はトレーニングの阻害条件に満ちている

(1)  親は孤立している

  「地域で子育てはできない」。親にとって「地域の人間関係を作ることは難しい」。「保護者同士ですら繋がっていない」。「先輩世代からの子育て指導の場面もない」。「親は孤立し、子育の不安を一人で背負い込んでいる」。遊び場も安全性も子育て環境は悪化している。家族と子どもを巡る社会状況は極めて貧しいのである。教育委員会は何をやっているのか?社会教育はなにをやってきたのか!?

(2)  親の受難

  多くの親は「長時間労働に耐えている」。「少子化」も「核家族化」も「共働き」も、時代の趨勢であって個々の親では如何ともし難い。親は子どもと話す時間がなく、「子どもは親の生活スケジュールに振り回されている」。当然、家庭内のコミュニケーションは少なくなり、いわゆる教育力は低下する。しかも、戦後教育の失敗は親自身の「体験不足」を生み、親の基本トレーニングも不十分に終った。子育てについての「親の勉強不足は明らか」であり、「愛情のかけ方は過っており」、親は「親業」を十分に果たしてはいない。

(3)  「しつけ不在」の悪循環

  幼児期に基本的なしつけと鍛練を経ていないので子どもは「へなへなで」ある。「ルールが守れず、がまんができない」。「子ども同士の遊びが成立せず」、「異年齢の集団も体験していない」。遊び場は屋内化し、「テレビやゲームが子どもの遊びをますます抑圧する」。しつけの不在は「わがまま」や「勝手」を増殖し、「やりたい放題」の子どもが放任される。子どもは大人の顔色を読み、時に「大人を舐め」、時に「びくびくしている」。
  「しつけの不在」は家庭に根本原因があるが、「学校は問題を補完する対応能力がなく」、「教育委員会には『現状認識が希薄で、指導能力もない』」。小学校に行ってまで、子どもが人の話を聞けないのも、体力や集中力がないのも、朝飯を食わないのも、日常の生活技術が未熟なのも、しつけができていないことの悪循環の結果である。

(4) 「自己虫」と「責任転化」病

  保護者は自らの規範意識の稀薄を反省することなく、問題を「学校に押し付け」、「人の責任」ばかりを言い募り、わがままで、学校に「関心も持っていない」。「自分の子どもさえ良ければ」という態度もあからさまで、自信のないこと、関心のないこと、責任感のないことなどと相まって「自己虫」と「責任転化」は既に教育の伝染病の症状を呈している。

3  浅薄な「教育イデオロギー」の蔓延

  「間違った平等主義」、「自由とわがままのはき違い」が教育やしつけから「規範意識」を失わせた。教育が言う「個性」は「わがままや勝手」との線引きができず、「権利の乱用」が共同生活や社会生活のバランスを崩した。「自己責任」の原則はいまだ社会に浸透せず、「責任転化」の風潮は、親に対しても、子どもに対しても、社会生活の基本トレーニングを阻害する条件に満ちているのである。これらのイデオロギーが「人権論」や「教育理論」の衣を纏って学校の「児童中心主義」と合体した時、もはや誰も「子どもの『非』を正さず」、「小1プロブレン」を修正する力はない。

4  支援集団が「ストレス」になっていないか!

  「子ども会も、育成会も、PTAですらも家族にとってのストレスになっていないか」?これらの支援集団の存在は子育てを本当に「楽」にしてくれているか?これらの支援集団に参加することで子どものしつけや基本的生活習慣は確立されているか?遊びを創造し、安全を保障することに繋がっているか?「いない!!!」
  逆に、これらの支援集団が要求する役員の交代制や、役員になった時の時間的制約や心理的負担は親のストレスである。役員になり手がいないのが何よりの証拠ではないのか!行政のてこ入れがあるのに既存の集団が消滅し始めているのが何よりの証拠ではないのか!支援集団が「支援」機能を発揮できない理由は多々あるが、これらの集団を指導するはずの行政が無力化し、集団を支える制度が制度疲労を引き起こし、時に親のストレスになっているという指摘の重要性は看過できない。

5  就学前教育に問題あり!!

  大部分の子どもは保育所か幼稚園に通っている。それ故、親の側に問題があったとしても就学前教育が機能していれば「小1プロブレン」の多くは防げるのではないか?
  しかし、「就学前教育も又機能していない」。危機は2重である。フォーラム参加者の診断評価は就学前教育において「子どものがまんする力は養われておらず」、幼児期の「基本的しつけができていない」としている。「価値観の多様化」などを言い訳に就学前教育の目的が明確ではなく、指導の「中身と方法が子どもの将来を見通していない」。少子化で子どもという「顧客」の奪い合いも起っており、「保護者の目先の要求に振り回され、就学前教育の目的と方法が確立されていない」。

6  学校教育と教員自身の改善が不可欠

  先生が指導しにくい世の中になっていることは確かだとしても、フォーラムの参加者は、学校が「小1プロブレン」を引きづっているのは、「学校にも教員にも責任がある」としている。親が学校の注文に耳傾けないのは、「普段の信頼関係がないから」であり、学校の「事なかれ主義」、「弱気な体制」も両者の意志の疎通がうまく行かない原因である。現象的には、「教師に威厳がなく」、「自信を持って指導やしつけができていない」。「教師の指導力不足は明らか」である。教師は「問題から逃げており」、「精神的に弱い」。「人生経験も浅く体験は欠損している」。教師は地域と関わっていないので「子どもの地域での生活を知らない」。学校も教師も力を発揮するシステムになっていないのである。
 

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