お知らせ 第55回生涯学習フォーラム
日程の変更に御注意下さい!!3月のフォーラムは第2土曜日です。
フォーラム実行委員会では第25回中国・四国・九州地区生涯学習実践研究交流会を期して記念出版を行うため編集の準備を開始しています。そのため当分の間、各地の事例発表のお招きはお休みとし、代わりに、過去の「交流会」の発表の中から注目すべき事例を選び、その意義と内容・方法を実行委員の持ち回りによりそれぞれが小論文の形にまとめて発表する形式を取ります。
日時: 平成17年3月12日(土)15時-17時
のち「センターレストラン『そよかぜ』にて夕食会」
場所: 福岡県立社会教育総合センター
テーマ及び事例取りまとめ者:
1 重松孝士 (発表事例未定) (福岡県立社会教育総合センター)
2 永渕美法 (発表事例未定) (九州女子短期大学)
3 三浦清一郎 「『セカンドスクール』構想の多様な意義と役割(仮)」
フォーラム終了後センターレストランにて「夕食会」を企画しています。ふるってご参加下さい。準備の関係上、事前参加申込みをお願い致します。(担当:朝比奈)092−947−3511まで。
編集後記 老境の誕生日−Golden Days!?
誕生日はもっとも分りやすい人生の区切りである。しかし、老境に踏み込んだ後は、誕生日は衰弱と死に向かって降下する区切りの階段である。そう思えば誕生日の目出たさも明らかに"中くらい"である。心身のおとろえを実感している昨今ではなおさらである。誕生日の感想を聞かれたので、思った通りの気持ちを漏らしたところ妻にいたく叱られることになった。老境に入りながらいまだ人生への感謝の心が足りず、未熟である、ということであった。
言われてみれば筆者の日々はやさしい人々に恵まれている。いつものように友人・知人からカードやプレゼントもいただいた。日課のプールから帰宅してみたら、玄関先が真っ赤な薔薇や紅白の胡蝶蘭の花で満たされていた。この十数年誕生日のセレモニーとなった長い付き合いの友人の心づかいである。夜は教え子の心尽くしで久々に贅沢な夕食をふるまわれた。倅夫婦のプレゼントも届き、外国暮しの娘のメールも届いた。
感謝の思いが足りないと指摘された通り、老いの身でありながらここ6年医者の世話になっていない。死亡率100パーセントの老境としてはありがたい話である。毎日、生涯スポーツの友となった愛犬カイザーと森林公園を駆け巡り、そのあとは妻のお供をしてプールで泳ぎ、サウナとジャグジーを楽しんでいる。3度の飯もうまい。眠りも深い。
現役時代の付き合いはこちらから断ったが、苦境時代にも変わらずに信頼を寄せてくれた友人との交流はいまだに続いている。月の3分の1は講演や会議に招きを受け、残りは執筆に没頭している。職を引いた後も、それなりの稼ぎも続けており、書きためた原稿は「生涯学習通信」として発表し、多くの人々が読んでくださっているだけでなく、新しい出版の可能性も出て来た。心身の機能が落ちたとは言え、若い頃と比較すること自体、比較の基準が間違っているのであろう。
妻からは、職にあった頃のストレスや苦労や中傷を思い返せと言われた。まわりの人間の多くは面従腹背、エネルギーは抵抗勢力との戦いに費やし、しかもやりたかった大学改革はほとんど実現しなかった。もちろん、家族と過ごす時間はなかった。息子は孤独な受験勉強に耐え、父は全く力になってやる事無く、孤独な改革への挑戦に翻弄されていた。当然、自分の時間はなかった。
健康を維持しながら、自分の能力を専門職業と結び付け、人々のお招きを受けられる今こそがGolden
Daysなのだと妻は言う。現在の境遇は"中ぐらい"の目出たさではない。最高の目出たさなのである。それをありがたいと思えないのは、いい年をして「足る」を知らない人間の未熟なのだ!
そのとおりであろう。一日は24時間、一年は365日、人間の寿命は高々100年。時間は公平であり、誰の人生にも至る所青山あり、生老病死はこの世のならいである。わが人生は白秋の終りに近く、日はすでに地平の遠くに傾きGolden
Daysのかがやきは夕映えの金色かも知れない。しかし、年をとったのだから仕方がない。時間は公平なのだ。欲張りもいい加減にしなさい、ということであった。
『編集事務局連絡先』
(代表) 三浦清一郎 E-mail:
kazenotayori@anotherway.jp *尚、誠に恐縮ですが、インターネット上にお寄せいただいたご感想、ご意見にはご返事を差し上げませんので御寛容にお許し下さい。
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