第54回生涯学習フォーラム報告
第25回大会記念の出版を前提とした事例の再整理と背景の分析作業を続けている。3回のフォーラムを経て、3本の論文と8つの事例の整理を終了した。このペースで作業が進めば、年内に作業を終え、来年の5月には参加者に新しい本をお届けすることができる。
第54回のフォーラムでは2つの事例を分析した。一つは、福岡県立英彦山青年の家が実施した「やまびこの杜(セカンドスクールin英彦山)」である。主題は「自然・生活体験活動を推進する社学連携・融合の具体的方策」である。事例の整理は福岡県教育庁の樋田京子主幹が担当した。他の一つは長崎県壱岐市立霞翠小学校の実践; 「目標は『タフな子ども』ー地域と共に歩む学校の創造」である。整理は三浦清一郎が担当した。
個々の事例については前回と同様、内容・方法はもとより、実践の先駆性、革新性、応用可能性、想定される社会的、経済的、政治的効果などを報告した。また、論文発表は、「少年の鍛錬」である。鍛練プログラムの具体例として、霞翠小学校の「タフ事業」と前回報告で取り上げられた福岡県立社会教育センターの恵良 章治さんが整理した福岡県古賀市青柳小学校の実践「青小唐津まで歩くんジャー」の背景を分析した(整理担当、福岡県立社会教育センターの恵良 章治さん)。 事例の紹介は省略するが、論文の骨子、議論の方向は以下の通りである。
1 なぜ、今、「鍛練」なのか!?鍛練プログラムの不可欠
子どもは協力体験から「協力的態度」を学び、責任遂行体験から責任感を学ぶ。困難体験がなければ困難に耐えていく力は身につかない。社会参加体験がなければ社会性は育たない。それゆえ、各種体験の「欠損」は意味重大なのである。本人にとっては取り返しがつかない。上記の体験が欠損している分だけ子どもの学習は行なわれないと言うことを意味しているからである。
知識は教室で学ぶことが出来る。しかし、感情や態度、行為や作法を学ぶ事は容易ではない。責任の重要性を説いても責任感は育たない。がまんすることの大切さを説いても根性は育たない。ましてや、親切、いたわり、共感、思いやり、連帯など人間にとって微妙な側隠の情は、自らの体験抜きに身につけることはほとんど不可能である。
これまでの教育が「頭でっかち」を育て続けたことは「教室主義」、「知識主義」の必然の結果である。保護者もこの単純な論理を鵜呑みにしてきた。学校教育の「誤り」という言い方は軽すぎる。それは教育行政と学校の過失犯罪に近い。親の過保護と過干渉が問題であるという社会の言い方も軽すぎる。保護者の愛情に疑いはないが、過保護・過干渉を修正できないのは、子どもの未来に対する無責任に近い。体験を通した「体得」こそが「生き方の社会化」の鍵だからである。中でも「体力」は生き物が生き続ける土台である。体力が尽きれば、生き物の存在が終わる。「耐性」は社会的動物の基本条件である。社会はルールを定め、規範を確立して人はそれに従う。資源をわけあい、共同生活を営むためには多くの場面でがまんせざるを得ない。やりたくてもやってはならないことは多い。やりたくなくても責任や役割は果たさなければならない場合も多い。体力も、耐性もプログラムの成果として向上する。鍛練プログラムが不可欠な所以である。
2 鍛錬の空白と耐性の欠損
「鍛練」とは金属を鍛えることであり、「習い極めること」であり、修業や修練を積むことである(広辞苑)。家庭の教育力があり、地域の教育力があり、夏休みの教育力があり、土曜日の教育力がある以上、教育力が達成すべき中身が問われる。それぞれの教育力は少年に何をもたらすのか?戦後日本の教育が反発して来たものの筆頭は「鍛練」であろう。鍛練が厳しい修業の別名であるとすれば、戦後の子ども達は、子ども時代の心身の修業を経ずに、突然、思春期に至って「受験勉強」という"擬似修業"に放り込まれて来た。結果的に、現代の少年はひ弱である。体力的に親の世代に劣り、耐性に至っては先輩世代とは比較にもならない。些細なことに「切れる」のがその証拠であり、わずかの困難で挫折するのもその証拠である。「不登校」も「引きこもり」も、多くの非行も基本的に耐性の欠如が原因である。その他子どもを巡る諸々の問題で彼らの「体力・耐性」の低さが関わっていない問題はない。現代の学校にもっとも欠けているもの、現代の地域には存在しないもの、現代の家庭が忘れ果てたもの、それが少年の心身の「鍛練」である。それゆえ、今、少年の自立にとっても、学力の向上にとっても、社会性の陶冶にとっても、もっとも重要な条件、それが「行動耐性」であり、「欲求不満耐性」である。この二つを欠けばあらゆるトレーニングは成り立たない。そしてもちろん、心身の体力・耐性を養うもの、それが少年の鍛錬プログラムである。
3 鍛練アレルギー
日本には鍛練アレルギーがある。戦後日本の教育は、戦前の苦い体験から、「鍛錬」という用語自体に感情的に反発した。恐らく、そうした心情的反発の背景は、本来の「鍛練」概念そのものではない。「鍛練」の名のもとに行われた戦時下の異常な「軍事教練」や「学徒動員」の否定であり、「後遺症」である。それゆえ、不幸にも、戦後の「鍛錬」概念は「軍国主義」教育を連想させるマイナスイメージを背負い続けて来たのであろう。
結果的に、内容的にも、方法論上も「鍛練」の教育力は空白になった。当然、鍛錬の機会を失った子ども達はへなへなになった。教育力がなければ子どもの成長・発達を促すことはできない。朝礼に立っていられない子どもも、わずか45分の授業に集中して机に坐っていることの出来ない子どもも、鍛練の空白の象徴である。敗戦から60年を過ぎて、ようやく近年、教育界も子どもの実態を直視せざるを得なくなった。子どもを鍛えなくていいのか、というまともな疑問を発する人が増え始めた。ようやく、本来の鍛練プログラムの期が熟し始めたということである。長崎県はモデル事業の表題・目標に「タフな子ども」を掲げた。壱岐市の霞翠小学校の「タフの子どもを育てる」モデル事業はその本質において鍛練の教育力の復活に挑戦している。また、福岡県古賀市の青柳小学校が行った「唐津まで歩くんじゃー」事業も方向目標は同じである。毎年、遠泳で錦江湾を横断するという鹿児島市の松原小学校の伝統も薩摩に細々と続いて来た「山坂達者」の鍛練伝統の遺産であろう。
しかしながら、多くの通学合宿は子どもの自立を目標に掲げながら、いまだ「鍛練」にほど遠い。少年自然の家のプログラムの多くも、いまだ「鍛練」にほど遠い。モデル事業「タフな子ども」の概念も多くのモデル校で、いまだ明確には提示されていない。戦後教育にとって、「鍛練」プログラムはようやく新しい試行錯誤が始まったばかりなのである。
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