「翻訳学問」を疑え
最近、先生方の研修/講演の依頼が増え始めた。筆者は学校を信用せず、教師を痛烈に批判して長い研究生活をしてきたので、何から切り出していいのか取っ掛かりがむずかしい。簡単なレジュメを書くのに頭を抱えてしまう。
これまではPTAの研修会でも、生涯学習行政の講演でも、「子どもの生きる力」論からのアプローチをした。子どもの現状を診断し、診断結果に即した処方箋を提示しようと考えたからである。しかし、数回の研修会の結果、教師集団には「子ども論」のアプローチは入らないことに気がついた。彼等には子どもの現状を一番知っているのは自分達である、という自負が強すぎるからであろう。今回も教師集団の研修依頼があった。これまでのアプローチを変えて、先生方が大学などで習って来た「学問」を疑うことの提案から始めようと思う。
翻訳学問はそれが生まれた社会には正しくとも、輸入・移植した風土の条件を考慮してはいない。ルソーも、フレーベルも、ペスタロッチも、デューイも西洋の教育学がそれぞれの学問を構築した時、当然ながら、我が国の「子宝の風土」の特性には考慮を払っていない。自然科学と異なって、社会科学や文化に関する学問は風土の制約を受ける。物理学はどこの国へ持って行っても物理学であるが、社会科学、中でも教育学は全く事情が異なる。誤解を恐れずに言えば、教育学はそれぞれの社会が掲げる価値を教え、それぞれの子育て風土の欠陥を補う学問である。教育がイデオロギー教育に傾きやすいのはそのためであり、教育が社会の「体質」と反対の理想を説くのもそのためである。子どもに厳しすぎる風土では「余り厳しくするな」と教え、子どもに甘過ぎる風土では「もっと厳しく鍛えよ」と教える。人権が尊重されて来なかった風土では人権の尊重を教える。学問の論理や成果を異なった風土にそのまま移植できないのはそのためである。教育学はその典型である。筆者をはじめ先生方が習ってきたのは戦後教育学である。戦後教育学の中心は欧米を中心とした「児童中心主義」教育思想である。もちろん、アメリカもヨーロッパも「児童が中心」の社会ではない。明らかに大人が中心の社会である。それゆえにこそ、教育実践において「児童が中心」であるべきことの意味が際立つのである。「児童中心主義」の要諦は、教育において「子どもの主体性、自主性に配慮せよ」ということである。教育では「子どもが主役」である、ということである。しかし、日本の風土はもともとが子どもは中心的位置にいる。「子宝」という表現は何よりもそのことを雄弁に語っている。「子宝の風土」は子どもが中心の風土である。すなわち、子宝の風土の子ども観は児童中心主義の子ども観とほとんど共通している。したがって、児童中心主義は子宝の風土の副作用を緩和・防止する事はできない。子宝の風土の副作用とは過剰な保護と過剰な放任が同時に発生して、しつけや鍛錬ができなくなる状態である。過保護と放任は、子どもの「生きる力」の衰退に直結する。日本風土の格言がなぜ「可愛い子には旅」と主張したか?なぜ「他人の飯」を喰わせろと助言したか?風土は風土自身の副作用を自覚していたからである。
筆者が子宝の風土で児童中心主義を説くことが間違いであると悟ったのは自身の子育てを始めた時である。未熟な子どもの自主性や主体性を尊重すればするほど、規範やルールが崩壊し、子どもの体力や耐性を鍛える事はできない。子どもの主体性は保護の枠の中の主体性にとどめなければならない。子どもの自主性は他律の枠の中で認められる自主性にとどめなければならない。日本の子育てにおける社会性の訓練が第3者の「守役」に委ねられたのは子宝の風土の親は保護と放任の自制ができなかったからに外ならない。学校は厳しい「守役」になるべきであった。結果は、逆で、学校も第二の保護者になった。戦後教育が信奉した児童中心主義の影響はすでに国民に浸透している。子宝の風土は風土の自家中毒にかかっているのである。根本は戦後教育の過信である。
果たして、教員は聞いてくれるだろうか?自分が学んできた事を否定するのは困難である。「転向」のような思想的急旋回も難しい。それぞれにプライドもあることは重々承知している。しかし、それができなければ学校は保護者の付託に応える「守役」の役目は果たせない。
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