三つの社会化と三者連携 −「学校」は理解できるか?−
荒っぽい分析は承知の上だが、年の初めに思い付いたことがある。表題の三つの社会化とは、「教育」の社会化、「介護」の社会化、「養育」の社会化を意味する。三者の連携とは、保育や介護を担当してきた「福祉」と地域社会の学習やスポーツ機会の創出を担当してきた「社会教育」と教科教育の専門機関である「学校」の連携である。
● 母の直観
ひょんな事から男女共同参画に関わって以来、改めて学ぶことが多かった。初めに「変わってしまった女」からの絶縁状を農村青年の結婚難の中に見た。若い女性は自分を見下す農村文化を認めない。中国地方を旅した時の峠道でいくつもの「国際結婚相談」の立て看板に巡り会ったのもこの頃であった。日本の若い女からそっぽを向かれた農村青年にアジアの女を世話しようという「商売」である。農村の指導者層はまだ気付いていないが、若い女性が拒否したのは、農業でも、農業青年彼自身でもない。彼らの背景を為している農村文化である。彼女達の背景には「母の直観」があった。最早、農村の母は自分が置かれた境遇に娘を置くことはしない。彼女達の直感は農村文化の男女差別を見抜いている。彼女達こそが歯を食いしばって、やむなく耐えてきた本人だからである。したがって、農家の娘も農業青年には嫁がない。農村文化こそが女を見下す事を制度化し、正当化した「筋肉文化」の象徴であり、残滓である。地方の男性政治家が放置してきた伝統やしきたりの美名の中に女性を見下す「死角」があったのである。農業委員はもとより、区長も、PTA会長も例外なく男である。祭の総代に女がなることはなく、子ども神楽に女児が入会を許されることも稀である。地方によっては女を「一人前」と扱わない「出不足金」制度が今も残っている。
● 「学童」の奴
ところで今回、筆者が関わってきた小さな町で、担当者の熱意と町長の直観が一致して、遅蒔きながら「子育て支援のパイロット事業」が始まろうとしている。後発プロジェクトである分、先行の事例を分析し、参考にすることができる。事業の開発には、どこもそれなりに苦労しているのである。子育て支援プログラムが存在したとしても、なかなか「生涯学習」と「福祉」の連携にはなっていない。行政の縦割りは確固として動かない。”わがまちでは学校に「学童保育」を置いています”、と胸を張る担当者もいるが、実態を調べてみれば、運動場の片隅にプレハブを建てさせてもらって細々と間借しているに過ぎない。「居候」の「学童保育」は、教育委員会も、学校教職員も歓迎してはいない。”「学童」の奴!が窓ガラスを割ってねえ”と言う校長もいると聞いた。同じ学校の児童でも福祉プログラムの子どもは「学童」の奴!になるのである。校長ですらこのようなメンタリティであれば、まちの幹部に保育と教育の「融合」発想などあるはずはない。学校に「放課後児童健全育成事業」を間借させておいて、市長や議会が生涯学習宣言都市などと誇らしげな看板を立てているのは誠に笑止である。
● 「養育」の社会化 −「次世代育成支援対策推進法」の制定−
筆者が関わっている試行の町は決して豊かではない。人口規模も小さい。「子育て支援」の実績も少ない。当然、あらゆる地域資源を総動員しなければ新しい時代の要請には応えられない。そこで、福祉分野の保育と社会教育をボランティア指導者で連結し、学校の協力を得て総合的な少年のための生涯学習プログラムを創始しようと思い立った。担当は発案者が所属する「女性政策係」と当該「係」が事務局を勤める「男女共同参画まちづくり委員会」である。依頼を受けて企画書を書きながら、なぜ社会はこれまで「プライベート」な領域であった子育ての支援をするのか、を考えざるを得なくなった。「私事」の社会化には理由があるはずである。荒っぽい分析ではあるが、以下のような分析となった。
近代国家は工業化に伴ってはじめに「教育」を社会化した。もともとは教育もまた「私的な領域」であった。近代学校が淵源とするものは基本的に「私塾」であった。寺子屋はもちろん藩校ですらその基本は「私事」であった。しかし、近代産業が興り、工業を基本とするようになって、労働力の「均質性」、労働者の「基礎学力」と工業に馴染んだ「生活慣行」が求められたのは当然であった。基礎学力もその均質性も、工業製品の質の高さと均質性を保証する必須条件であったからである。かくして国家は「教育」を社会化し、標準化し、義務化したのである。
近年、国家は「介護」を社会化し始めた。従来の文化では、介護は教育以上に他者の介入を許さぬ「私事」の領域である。年寄りの面倒は家族が負うべき「私的責任」であり、他者の介入を許さぬ「私的領域」であった。ある町の公民館がデイ・ケア的プログラムを始めて、近所のお年寄りを招き始めた時、遠くの家族が「余計なことをしてくれるな!」、と怒鳴り込んだという。この話も公民館による「私的領域」への侵略と考えれば頷けることであろう。
しかし、社会の高齢化に伴って、老老介護の現実を突き付けられ、孤独死を突き付けられれば、すでに事態は待ったなしである。現代の介護は個別の家庭、個々の家族の対応力量を越えている。国家が介入しなければ、現代の「姥捨て」が多発することは疑いなかったであろう。東京新聞の著名なコラムニストが泣く泣く痴呆が進行する妻(当時77歳)を絞殺し、己も死のうとした事件はその走りであった。「民主主義」を掲げ、「人権」を掲げ、国民の安全が一番大事であると宣言した以上、社会がその「建て前」の崩壊を防ぐためには、「介護」の社会化もまた必然だったのである。
そしてわが小さな試行の町がささやかながらいよいよ「子育て支援」のプログラムに着手する。それは男女共同参画の思想が持たらした「養育」の社会化である。少なくともその走りである。自分の子どもは責任を持って自分で育てよ、というこれまでの文化が変質しようとしている。研修を通して知り合った福岡県のPTA会長は子育ての「製造責任」を主張する。育児は基本的に「私事」だ、というのである。しかし、大半の親はすでに聞く耳を持つまい。己の子育ての失敗を学校や社会のせいにするのは、すでに「製造責任」も、「私事性」も放棄しているからである。社会はPTA会長の発想とは逆の方向に動こうとしている。子育ての崩壊や子どもの問題行動の多発は、保護者の「ミーイズム」による勝手主義や「子宝の風土」がもたらす過保護の副作用であることはこれまで論じた通りである。しかし、そうした事態への対処も含めて、根源的に「養育」の社会化を求めているのは「男女共同参画」の流れである。女性が男性と対等に社会参加を果たそうとすれば、事実上の男性の協力だけでは事態は打開できない。ましてや日本の男はまだまだ「変わりたくない」。それゆえ、「産む性」をサポートする「養育」の社会化が不可欠になったのである。「養育」の社会化こそが男女の対等を保証する必要条件になったのである。「次世代育成支援対策推進法」はそのような時代背景から生まれた。本命は「養育」の社会化である。かくして、時代は、教育と福祉のドッキングを要請する。
● 「融合」の必然
高齢社会における生涯学習と「介護」の社会化は内容的に重複する。未来の公民館は「デイケア・センター」を兼ねなければならない。今後の「デイケア・センター」は、生涯スポーツと生涯学習のメニューをふんだんに用意しなければ、熟年の「生きる力」の維持・存続はできない。別項;「介護予防の義務化」で論じたように、ようやく厚生労働省が介護における教育の重要性を自覚したということである。
かくして、生涯学習と福祉の連携、更に進んで「学福融合」は未来の必然である。同様に、「養育」の社会化と「教育」の社会化も繋がらざるを得ない。「養育」は当然「教育」と内容的に重複している。かくして、児童福祉法は、従来の「学童保育」の概念を整理して、その第6条に「放課後児童健全育成事業」の一項を挿入したのである。児童を「健全」に育成するためには、保育も教育も同時に必要である。従って、「放課後児童健全育成」事業は「保育」という福祉と「健全育成」という教育の融合を目指すことになる。しかるに、そうした子ども達の「居場所」を作るためにも、学校施設の福祉への開放もまた必然である。まして財政難の時代、新しい「箱物」は国民の許すところではない。コミュニティの活用を想定した学校施設機能の再定義、学校建築デザインの再検討は不可欠の課題である。小さな町の子育て支援パイロット事業が男女共同参画行政を事務局として、福祉と社会教育と学校施設利用の3者連携事業になるべき理由はここにある。願わくは、担当者の直観を町長、教育長が理解し、学校長が理解し、教職員を説得し得ることである。前号に書いたとおり、これまでの学校は典型的に「反」生涯学習的であった。学校は「特定の時期」に、「特定の場所」で、「特定の対象者」だけに、「特定の内容」を、「特定の指導者」だけが教える仕組みになっている。学校の論理は、施設管理が先行する。「部外者は学校に入れない」。「子どもたちの福祉よりは教室の整理整頓の方が大事」だという。学校施設は誰の金で作ったと思っているのか?これに対して、生涯学習の原理は自由と選択である。そのスローガンは「いつでも、どこでも、だれでも、なんでも」である。学校が「養育」の社会化を理解し得るか否か、小さな町の答がもうすぐ出る。 |