HOME

風の便り

フォーラム論文

編集長略歴

問い合わせ


生涯学習通信

「風の便り」(第39号)

発行日:平成15年3月

発行者:「風の便り」編集委員会


1. 校長と子雀、「基準論」再考−感想の断片

2. 少年問題の根本−熟年の共感、司会者は「レフリー」

3. ダイレクト・メソッドの常識−英語の授業は英語で!!、

4. 第22回大会総括   「継続」と「力」−「革新」と「伝統」

5. MESSAGE TO AND FROM

6. お知らせ&編集後記

ダイレクト・メソッドの常識−英語の授業は英語で!!

   3月17日のNHKBSニュースは、文部科学省が英語のコミュニケーション力を高めるために、「英語の授業は英語で」という「ダイレクト・メソッド」の方針を打ち出した事を報じた。遅きに失したが、ようやく文科省もようやく語学教育の常識を取り戻した。NOVAECCなど民間の英語学校の方法論に学んだという事であろう。それにしてもここに至る歳月はなんたる徒労と浪費であったろう。

   日本の国際化スローガンは常に掛け声だけのものではなかったか?国民に外国語によるコミュニケーションの能力が備わっていない時、現実の国際交流は難しい。その代表が「英語」ではなかったのか?中学3年、高校3年それに専門学校や大学で学ぶ。しかも、大部分の日本人の英語はまったく使い物にならない。その責任を取ろうとしないのは教育;取り分け文部科学省の怠慢であった。

   高校を卒業しても、大学を卒業してすらも、英語による日常の必要会話もままならない日本人を作って来たのは、ただただ行政の迷妄である。筆者自身もかつてはその一人であったが、日本人も、日本社会もこの迷妄の故に、巨大な徒労と、巨大な浪費を強いられて来た事は明らかである。本年1月の生涯学習フォーラムで論じたところであった(巨大な浪費・巨大な徒労ー学校英語は変えられるかー、三浦清一郎)。貿易立国の日本の見地からいえば、役に立たない英語教育を放置して来た不作為の罪は重大である。

日本語教育を世界に広めたか?

   一方、日本は日本語を世界に広めたか?貿易立国の観点からすれば、英語教育と同時に世界に日本語を広める事はもう一つの選択肢である。しかし、ドイツが「ゲーテ協会」を通してやったように、政府の主導による日本語教育のネットワークを全世界に引いてきたかというとそれもまことに心もとない。日本語教育であれば、日本人教員がいくらでも「ダイレクトメソッド」を用いて教える事ができるはずである。留学生を100万人も呼ぼうというのなら、せめてその10分の1の経費を割いて、世界の国々に日本語を普及すべきであったろう。世界の中の日本を考える時、日本語教育の不熱心もまことに残念な事である。英語にせよ、日本語にせよ、交流の基本は「言葉」だからである。

人間交流の鍵は「言葉」である

   いろいろの条件はあるが、人間交流の基本はコミュニケーションの能力である。それは言葉である。こと英語教育に付いていえば、英語によるコミュニケーション能力のない人々が、自分の未熟を棚に上げて、国際交流は言葉ではないなどとうそぶいているのはまことにお寒い限りである。「オアシス運動」に見るように、地域の交流ですらその出発点は、挨拶の言葉である。言葉こそがはじまりであり、共同生活の基本である。言葉のやりとりの進化こそが交流の進化を意味するのである。相互の意思が通じ合わない時、交流はほとんど不可能である。国際交流の鍵は、コミュニケーション、コミュニケーションの鍵は言葉である。しかも、現代の国際語は実質的に英語である。英語が話せないようでは実質的な国際交流は覚束ないのである。それゆえにこそ、英語教育を「必修」としてきたのではなかったか?受験英語なのだから仕方がない、などという言い訳は大学や行政の国民に対する不誠実であり、卑怯の謗りを免れまい。

本当にやれるのか?

   これからの英語教育を「ダイレクト・メソッド」に変える事は革命的であり、大賛成である。文部科学省の大ヒットである。しかし、本当にやれるだろうか?教室における指導内容・方法の大転換に比べれば、行政方針の転換は比較相対的に容易である。大変なのは、英語で授業のできる教員の養成である。恐らく、ダイレクト・メソッドで授業のできる中学教員は半分もいまい。厳密にいえば10%もいまい。そうした状況の中で、どうして「英語の授業は英語で」できるようになるのか?今回の方針転換は、ニュースで見る限り、いかにも説明が不足している。しかも、大人になってから英語がはなせるようになったとしても、筆者のような”ジャパングリッシュ”の発音では、出発点で子どもがつまずくのである。本気で「話せる英語」をやろうと言うのなら、まず免許状制度を弾力化しなければならない。英語教員の免許状に特例を設けて、初期の英語クラスを担当する外国人教員を大幅に導入すべきである。民間の英語学校がなぜ高い金を出して「ネイティヴ・スピーカー」を雇用しているか?理由は、「ダイレクトメソッド」で指導のできる能力と「発音」である。50音の音しか持たない(50音の音しか聞こえない)日本人教員では、50音以外の外国語の音を子どもに教える事はできない。苦労して習得した大人の英語が「ジャパングリッシュ」になるのはそのためである。それゆえ、初期の英語クラスから、やむを得ず、日本人教員に担当させる場合には、外国人によるヒアリング及び発音の基本試験に合格した教員にのみに担当させるベきである。しかし、英語教員の配置転換は現行制度の大手術である。言うは易く、行なうは難し、の典型である。日本人英語教員の定員削減も不可欠になるであろう。しかし、この手術をやり遂げない限り、「英語の授業は英語で!」の方針は瓦解する。英語の出発点を誤れば、その子は一生キチンとした英語は話せない。国際化を本気でやろうとするのなら、せめて「ダイレクト・メソッド」を本気で初めなければならない。

←前ページ    次ページ→

Copyright (c) 2002, Seiichirou Miura ( kazenotayori@anotherway.jp )

本サイトへのリンクはご自由にどうぞ。論文等の転載についてはこちらからお問い合わせください。