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風の便り

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生涯学習通信

「風の便り」(第38号)

発行日:平成15年2月

発行者:「風の便り」編集委員会


1. 伝統の再点検

2. 「聞き取り調査」の声、質問者の独白

3. ペンシルヴェニア便り−大学の学習環境−、 想像力の向こう側

4. 第32回生涯学習フォーラムin津和野

5. MESSAGE TO AND FROM

6. お知らせ&編集後記

第33回生涯学習フォーラム

日時:3月15日(土)15時〜17時

フォーラム終了後夕食会

テーマ:「青少年のための青少年によるボランティア」

発表者:山口県長門市 西本達夫さん外

論文発表:論文発表はお休みです。代わりに出版編集計画「生涯学習立国の条件」

(三浦清一郎)を発表します。

 

編集後記

外国人居留地のDNA

   2月の初めは旧正月である。長崎は中国街が中心になってランターンまつりで賑わう。ちょうど長崎県の教頭研修と重なってお邪魔することになった。初日の研修が終わり、懇親交流会で意気投合した皆さんが三々五々祭りの街にくり出して行く。私も県教委の北川さんの御案内で唐人町をくまなく歩いた。せまい辻を抜けて、土神堂、天后堂などかつての長崎華僑の精神を支えた寺(神社?)を巡った。北川さんは長崎の歴史にも文化にも造詣が深く、色々なことを教えていただいた。関心は”外国人居留地”を塀で囲って隔離した政治的意図であった。北川さんによれば、初めは中国人も日本人と混在して暮らしていたという。チャイナタウンに集めるのは後のことであったそうである。案内板の説明と北川さんの解説を総合すると、”居留地”のはじまりは、密貿易の取り締まりと外国思想、特に、キリシタン宗派の監視であったという。

   要するに、中国人も、その他の外国人も、特定の塀の中に隔離することによって一括管理が容易になる。一括管理こそが”居留地”の目的である。密貿易の取り締まりは表の理由であろう。当然、隠れた”カリキュラム”も存在する。北川さんとの会話を通して、外国人居留地”は、日本人と外国人の交流・混血を防ぐ目的もあったであろうということになった。特に、混血は外国思想と外国文化の流入を意味する。日本国の現状を維持しようとすれば、外国文化による国内の”混乱”を回避しなければならない。文化や思想の純血主義は混血をもっとも恐れる。幕末の攘夷思想も同じような論理と感情を基に展開されたものであろう。

   地球化、国際化の時代が明きらかになり、貿易立国日本としては、世界の国々と仲良く交流しない限り、国の存続すらも危ういという時代に、文科省や大学はなにゆえ留学生センターにこだわって外国人学生を、日本の生活及び日本人学生から隔離しようとするのか?日本人学生の寮に混住させれば、経費も安く、交流の実も上がる。敢えて、外国人学生を日本人から分離するのはなぜか?国際化の論文でも、国際交流のプログラムでも、明解な理由がわからない頑迷な姿勢である、と指摘して来た。答は思い掛けず、ランターン祭りの中にあった。留学生センターは”外国人居留地”のDNAを受け継いだ隔離政策の文化的遺伝である。それは大学の中の”外国人居留地”である。目的もかつての居留地と同じである。目的は、一括管理と日本人との混血の防止である。筆者は、国際結婚をして30余年の歳月を生きたが、迂闊にも単純な歴史的事実を見落としていた。

   かつて大学の改革事業に取り組んだ時、少子化の時代は、成人の生涯学習者と外国人の留学生で、学生の不足を補わなければならないと想定した。それゆえ、フルスピードで生涯学習センターと国際交流センターを設立した。国際交流については、知恵の限りを尽くして世界中の20の大学と姉妹提携を結んだ。しかし、どちらも、教授会には極めて不評であった。不評の理由は、成人の学習者や新しい文化・外国語と付き合うことの煩わしさの故であろう、と想像していた。しかし、根はもっと深いところにあるのかも知れない。新たな発想との出会いは、長崎唐人町と北川さんに感謝しなければならない。この国の国際化はまだまだ道が遠い。

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