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風の便り

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生涯学習通信

「風の便り」(第109号)

発行日:平成21年1月

発行者:「風の便り」編集委員会


1. 新刊あとがき 男女共同参画ノート「変わってしまった女」と「変わりたくない男」 

2. 「自己決定権」の時代-「地域・機能集団」の待たれる時代

3. 「自己決定権」の時代-「地域・機能集団」の待たれる時代(続き)

4. 健やかに生きる―「負荷の原理と方法」

5. MESSAGE TO AND FROM

6. お知らせ&編集後記

4 新しい地域・機能集団は生まれるか?

 今や、個人の未熟と放埒の結果を社会が引き受けなければならないのに、社会にも、教育にも個人の放埒を抑制する「力」が付与されていません。教育者受難の時代の根源がそこにあります。教育集団はもとより、地域集団よりも、社会集団よりも、個人の判断と選択が優先される時代が来たということです。学校が苦しみ,子ども会が衰退するのも当然なのです。皮肉なことですが,主体の解放は個人を全体より優先させた教育の成果です。学校が苦しむのは,戦後民主主義を振りかざして,「個」を突出させ、廻り回って、社会の規範を弱体化させた自己責任の責めを負っているのです。
 すでに、地域集団は衰退し、個人の選択対象になる個別機能を追求する機能集団が時代の主役になったのです。機能集団は個人への奉仕を原則とします。個人の集団への服従を原則とはしません。機能集団には個人の「要求充足原則」が貫徹しているのに対し、地域集団には個人よりは共同体を、個人の要求課題よりは集団の共同課題を重視する傾向が顕著です。
 それゆえ、筆者の結論は、個人の時代が来た以上、青年団も、婦人会も、子ども会も、地域を基盤とする地域集団は確実に衰退するということです。共益を私益に優先する集団も衰退します。代わりに人々の必要や欲求を満たす機能集団が取って代わり、あちこちで「顧客」の争奪戦を始めます。放課後の「顧客」である子どもが奪い合いの対象になっているのはその象徴です。公民館を始め、生涯学習が個人の欲求を充足するために、「パンとサーカス」を追求するようになったのも個人の主体の解放の結果です。主体の解放とは所詮「欲望」の解放に他ならないからです。教育行政は「現代的課題」の学習を社会教育における「必要課題」として提示しようとしましたが、焼け石に水でした。もはや生涯学習の舞台において,日本国民は公益や共益の課題を選択することがなくなりつつあるのです。
 人間は「万人の万人に対する戦い」を回避するために社会を組織し,ルールを設定しました。共同体の利益や弱小の個人を守るために社会を組織したのです。にもかかわらず、今度は公益や共益の上に私益を起き、個人の主体を解き放ちました。当然、共同体の相互扶助が後退し、社会が弱体化します。弱体化した社会では個人の欲求が一人歩きを始めます。わがままや勝手も自己増殖します。
 全体の福祉を無視せずに,個人がそれぞれの自由意志を行使して,自己責任を前提として,生きられる間は,当該個人の選択が最も大事でした。自分が選んだ仲間と自分が作り上げた人間関係のネットワークで人生を生きることが出来ました。しかし,義務教育の失敗によって、全体を顧みず,己の私益を優先する日本人が自己増殖を続けました。過疎が進み,少子化が止まらず家族が総出で稼がなければ生きられない時代状況が到来した時,人々はもはや自由意志も自己責任も全う出来なくなります。相互支援システムなしに、過疎も,少子高齢化も乗り切れないという状況が出現しているのです。少子高齢化時代は子育て支援でも,高齢者の支援でも,遠い専門集団よりは近い地域集団の助けが必要になります。しかし、地域集団は壊滅しているのです。
 「主体性」の名の下に野放しにされた個人の欲望は、自己責任を伴わない多くの未熟で放埒な人間を「反社会的な存在」に転落させました。親不孝も,虐待も,青少年非行も、犯罪も、規範の崩壊も、へなへなな子どもたちも、不登校も、引き蘢りも、多くの場合が個人の未熟と不覚と放埒の結果です。社会の迷惑の多くは,未熟な主体の解放の関数です。今や、社会は個人の欲望に対する抑止力を失いつつあるのです。教育界は「個人の主体性」と「自己決定権」の前に無力なのです。
 それゆえ,教育の抑止力を回復し,他方で,個人に分解された人々をボランティアとして再組織化し,従来の地域集団と目的・機能上の結合を果たすことが不可欠になりました。過去の共同体や地域集団とは異なりますが,ふたたび共同体や地域集団が脚光を浴びる時代が来ているのです。これからのまちづくりの焦点は地域と機能の結合になります。婦人会の立て直しも、子ども会の機能強化もこの一点に集中すべきです。
 その時、地域のステージに躍り出るのは,自由ではあるが,気まぐれな「機能集団」ではなく、自由と地域サービス機能を併せ持った「NPO・地域・機能集団」のようなものになるだろうと予想されます。社会教育はもう一度地域集団-地域サービスの意味を見直すべき時期にさしかかっているのだろうと思います。それにしても鳴り物入りで始まった「放課後子ども教室」の何たる体たらくでしょうか?「放課後子ども教室」の成否こそが新しい地域・機能集団の試金石になると予想しています。改めて、地域住民が子育て指導に結集した「豊津寺子屋」の先駆性を確信しています。

(*1)世地山 角、お笑いジェンダー論,勁草書房、2001年、p.212
 


 

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