2 「全体の福祉」より「個人の権利」
戦後教育は教育における集団の意義を軽視し、反対に、子どもの個性や創造性を意図的、意識的に取り出して強調して来ました。個人の特性の強調の背景には「全体主義」への強烈な反発がありました。反発の対象は、「滅私奉公」であり、「国家や天皇」を優先させた国家主義、全体主義、天皇制軍国主義などと総括された戦前教育でした。当然の結果ですが、集団主義教育は戦後教育改革の中で「全否定」されたのです。個を全体に従属させ、部分を全体に従属させたことへの強い反発があったことは当然であったと思います。それゆえ、教育の力点は個々の子どもの学習や成長に置かれました。否定されたのは「集団」の強調であり、「全体」の優先でした。「チームのために」(For
the
team)というスローガンは、もはやラグビーぐらいにしか通用しなくなりました。結果的に、「家族」も、「地域」も、「社会」も、常に全体の福祉よりは、個々の構成員の利益や権利の方を尊重しました。集団も組織も個人に犠牲を要求する存在であるかのように見なされることも多くありました。あらゆる集団において「個」と「全体」の優先順位が論じられ、「個」の方が大切であるという感情が戦後日本を支配した、と言っても過言ではないでしょう。組織が敵視され、社会的集団が「ばらけて」きたのは、「個」と「集団」のバランスが崩れたという背景があったからです。換言すれば、それほどまでに「全体」の前に「個」が抑圧された極端な時代があり、そうした状況への反動が「個」の全面尊重という傾向を生み出して来たということだと思います。